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Bob Dylan『The Freewheelin' Bob Dylan』(1963)

アルバム情報

アーティスト: Bob Dylan
リリース日: 1963/5/27
レーベル: Columbia(US)
「『歴代最高のアルバム』500選(2020年版)」における順位は255位でした。

メンバーの感想

The End End

 リードプレイじゃなくても、"ギターが歌っている"はできるものなのか……!という大きな衝撃を受けている。弾き語りをする人間、全員このアルバムを聴いてからやりなさい!!
 普段ライブハウスでお見かけするアマチュアの弾き語りミュージシャンのみなさんの過半数には、正直に言って"歌だけだと寂しいから賑やかしでアコギを鳴らしています"みたいな演奏をお見せいただくことが多いけど、ここでは歌とギターが絡み合って並び立って一緒に歌っていると思う。どちらが欠けても成立しないような、この形をとることの必然性があるサウンドで、本当に素晴らしい……目の細かいテクニカルなフレーズをほとんど使用していないのにそれができるの、凄まじいことですよ。

コーメイ

 "静かだけど、勁い"と思わせるアルバムであった。
 まず、歌詞が変幻自在に対象を揶揄し、歌い手のアイデンティティを表出している。前者は、「I Shall Free」における、ケネディ大統領から国策を尋ねられた箇所である。その際、当時の人気女優の名前を列挙して、回答する。Bob Dylanは、正面から来た回答には、巧みに視点をずらしている。後者は、自分の名前を2つもタイトルにしている。
 つぎに、ハーモニカがべらぼうに上手い。これだけでも長い間聴いていられる。
 さいごに、歌声である。声量は大きくないものの、芯の強さが分かる。それは、"大きい声だけを期待する奴らは、願い下げだ"と感じさせる歌声で、耳を澄まして聴こうと思わせる。
 以上の点から、1アルバムにおける抽斗の多さが認められた。そのようなアルバムであった。

桜子

 これまでこの企画で聴いた楽曲で、ソングライティングに現代のポピュラー音楽にも通づるようなストーリー性を感じたアルバムは、どこか俗世間とは離れたような、高貴さを感じるものが多かった気がします。そこから、時代が変わった感覚がありました。私達に近いところで歌ってくれているような感覚を覚えました。

俊介

 素朴と言うことしか分からない、歌詞を訳しても彼の偉大さに気づけない、聴けば聴くほど自分がわからない、ああそこまできてはじめて彼を聴く準備が整ったのか。それもよく分からない。私大丈夫ですか。

湘南ギャル

 ギターの弾き語りは優しい手触りがするものだってなんとなく思っていたけど、全然そんなことない。優しさも激しさも温かさも冷たさも、全部この中にある。音数も楽器の数も多くないのに、何ひとつ聴き逃したくないって気持ちになる。きっとギターだけ、ボーカルだけ、ハーモニカだけで聴いてもこのアルバムは楽しい。そのくらいすべての楽器が歌っている。そして、すべてが合わさった時に効果はさらに増大する。1+1+1は3じゃない。1+1+1で300だ。10倍だぞ10倍。

しろみけさん

 いわゆる“フォーク”を想定して聞くと、ギターのリズミカルさに驚かされる。これまで聞いてきたゴージャスなバンドサウンドとは対照的な構成だけど、案外地続きで楽しめたりするのではないかと思った。また「Down the Highway」や「Bob Dylan‘s Blues」などでは使用しているコードから語り方まで、前世代のブルースの影が感じられる。その出立というか、背中一つで世間に相対していく姿勢は新世代そのものだが、アメリカのポップスとして文脈を逸脱しているわけではないように感じた。

談合坂

 歌に言語を使うことの意味、もしくは言葉を歌で発することの意味を示すのにとても良い例なんじゃないかと思った。ギターが詞をどんどん引っ張っていくようなイメージ。弾むようなハープの音にしても、息遣いで生み出す抑揚とアクセントを音楽に落とし込む技術がとても巧いのだと感じる。

 私はノーベル文学賞を受賞したことをきっかけにボブ・ディランの名前を知ったのだけど、2024年になってこの作品を聴いて、やっと彼が文学賞に選ばれた理由の一端を知れた気がする。元来文学も音楽も世界や自分が有する抽象度の高い事象や概念を文字や音という五感で捉えられるレベルに落とし込んだ物である。ボブ・ディランのこの作品は曲やメロディーやアコギの音自体が持っている詩情を捉え、文学の持っているリズムや力強さを音にすることで成り立っている。"文学的"という言葉を積極的に使いたくは無いが(有象無象のバンドたちが"文学的な歌詞"という言葉で褒められて消えていったことを覚えているだろうか?)、ボブ・ディランは音楽の持つ文学的な部分と文学の持つ音楽的な部分を丁寧に練り上げている。

みせざき

 詩の文学性を去ることながら、心地よいメロディー、歌声、曲の完成度がとにかく最高でした。
 言わずと知れた「風に吹かれて」のような含みを持たせる難解な歌詞が多いのかと思ったら、「Masters of War」などの直接的なメッセージの詩もあり、正にボブ・ディランというアーティストの入門としても最適なアルバムであることが分かった。久々に聴いたらとても懐かしく、今でも新鮮に聴こえた。これからもっと好きになれる作品だと思った。

六月

 ジャズやブルースにうつつを抜かしていたら、もうフォークがやってきた!
 彼の紡ぐ言葉については、英検2級止まりなのでよく分からないのですが、とにかく発される言葉の量が多いってことはわかる。メロディやリズムよりも言葉が先立って構成している音楽というのが、ボブ・ディランの新しさだったんじゃないかと思う。こんなに喋っていいんだ!っていうのがディランの与えたショックなんでしょうね。こんな「歌詞」という概念を生み出したに等しい偉人が、2024年現在まだ生きてるというのが実感が湧かない。
 その言葉の面についてばかり書いてしまったけれど普通に曲もめちゃくちゃいい。「Girl from the North Country」とか、すごいキャッチーだなあと思う。フォークが各国の民謡からきたというのは確からしいというのは感じる。

和田醉象

 プレスリーを聞いたときに、黒人のブルースにある棘や濁り、淀みみたいなものが取り除かれたきれいさがあると思っていた(し、公開されたレビューを見ると他のメンバーも思っていたみたいだ)けど、この作品の野心は何なんだろうと思う。
 技術的なところを言えば、歌もギターも、もっと上手い人もいるだろうというのが感想だけど、『Nashville Skyline』というアルバムを聴けば、彼が実は歌もギターもうまいことも分かる。歌の上手さはノイズになるからとその手さえ封じて伝えたいことに一直線に作品を作ったことに惚れ惚れする。
 結果、世界中でこの作品は流行ることになったし、彼のようなスタイルで曲を作る人もたくさん現れた。アルバム通してすごい目新しいところはないんだけど、それだけ彼の影響力がでかいということを逆に気付かされた。

渡田

 初めて聴いた洋楽。
 小学生にとって英語の歌なんて、耳に入っては聞き流されるものだけど、ボブ•ディランの名前だけは覚えていた。それだけ印象的だったのは、曲のギターとハーモニカ音、ディランの声が、まるで自分のすぐ耳元で鳴っているように思えたからだと思う。
 楽器の少ない構成だからか、輪郭がはっきりしたその声が、録音された音と思うには生々しく、話しかけられているような声、自分の頭の中で鳴っている音のように思える。
 歌詞の意味は調べてみると意外とシンプルで、限られた言葉で、こちらの感情と理性の両方を動かしてくる。小学生とか中学生の時の、自分と同い年なのに、自分より賢くて、少し大人な友達と二人で帰っている時、彼のふとした言葉を聞いた時の感じと似ている。
 どの曲を聴いても、歌いながら時々こちらを見遣るディランの顔が思い浮かぶ。左側から聞こえてきて、次第に大きくなってくるハーモニカの音が、他の誰でもない自分の頭の内部だけに響く音に思える。

次回予告

次回は、James Brown『Live at the Apollo, 1962』を扱います。

#或る歴史或る耳
#音楽
#アルバムレビュー


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