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喜納昌吉&チャンプルーズ『喜納昌吉&チャンプルーズ』(1977)

アルバム情報

アーティスト: 喜納昌吉&チャンプルーズ
リリース日: 1977/11/15
レーベル: フィリップス(オランダ・アメリカ)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は25位でした。

メンバーの感想

The End End


  “ロックと沖縄民謡が混ざっている”というよりは、“100%ロックで、100%沖縄民謡”という感じがする。これ以上なく両者が結びついているし、敢えて陳腐な言い方をするならば、濃い。
 当時、シンセサイザーは、何の音楽ジャンルも歴史も文脈も背負っていない新しい楽器だった(長いスパンで見るなら今でもそうですか?)。だからこそこういう音楽に溶け込むことができるのかもしれないな、などと考えた。ストリングスっぽいシンセが鳴る瞬間があるのだけど、もしこれが本物のヴァイオリンやチェロであったら、何か異なる固有の匂いがしているのではないか。
 「うわき節」のシンセベースのピッチエンベロープのうねりが絶品で何度も聴いてしまいました。

桜子

 そりゃそうなんですけど、ベースが踊れる音楽にさせているなぁって感じます。普段聴く音楽とは一味違うベースのリズムが面白い。
 ベースは旋律楽器でありながらリズムを作る音楽なんだって、このアルバムを聴けばわかります。

湘南ギャル

 グルーヴがモリモリすぎる。踊りてー。この企画で今まで扱ったアルバムの中にも、腰を揺らしたくなるような音楽はあったけれど、チャンプルーズには別種の輝きを感じる。しっかりしたリズムの中でループを繰り返す時にだけ、現れる種類のグルーヴ。美しい、、。
 また別の話をする。現在取り扱っている年代の都合上、慣れない都会の人混みにいるかのような疲れを私の耳は感じていた。素敵でまぶしくて楽しいけど、なんか疲れたなという気持ち。東京生まれじゃない人ならわかってくれるはず。そんな中で聞く、東京讃美歌の安心感と言ったら!これから東京にお出かけする時は、東京讃美歌を聴きながら颯爽と歩いてやろう。

しろみけさん

 整頓。コーラス隊の合いの手だったり、朴訥にウォーキングするベースだったり、ルーズさとは無縁のガッチリとした録音になっている。別に何も変なことではないはずなのに、民謡だったり伝統音楽なりにルーズな印象を雑に抱いていた自分を顧みなければ…と勝手に反省している。「番長小」の冒頭のフレーズなど、ルンバロックのレジェンドであるパパ・ウェンバを思い出したりもした。

談合坂

 三味線もその昔は真新しい舶来の楽器であり、ピアノも既に多くの土地で数百年の歴史を持っている…我々が今日「伝統楽器」と考えるものはいったい何なのだろうか?という話を大学の講義でやっていたのを思い出した。
 この作品で三線の音は確かに沖縄のアイコンとして機能しているけど、それはいい意味で最低限でしかなく、何のジャンルも任されていないシンセの音にも表れているようにどの要素も肩肘張らないで調和しているのが魅力なのかもと感じた。

 沖縄には2回行ったことがある。どちらも家族に連られて行った。父親が観光施設はほどほどに、なるべく街歩きや地元の店を楽しむことをモットーに旅行計画を立てる人だった。気候と建物の造りと知ってる言葉が知らないニュアンスで飛び交う風景が忘れられない。また、「リリィ・シュシュのすべて」という映画でも沖縄のシーンが主人公の少年たちの人生を変えてしまう出来事として描写されている。日本の中にありながら異国感を伴う場所としての沖縄は常に新鮮なフィーリングを与えてくれる。本作で鳴る沖縄民謡を聞いてそんなことを思い出したり考えたりした。ボーナストラックの「東京賛歌」のリリックの本土への距離感は歴史を残すという意味の「レコード」として貴重だ。

みせざき

 沖縄民謡の音に馴染みが無いわけではないので、全然自分の想像しているそれと遜色無いように聴けますが、ボーカルが、歌詞はちょっとあまり聞き取れないが、旋律としてより聴きやすく、そういう意味でロック、ポップスのアルバムとしてまとめ上げられている感じがしました。沖縄民謡の要素を取り入れた、傾倒した作品、という想像つきやすいパターンとは180度違い、勿論バンドサウンド、ストリングス、シンセなどは入るが、沖縄民謡そのものの土着性自体は守られていて、その領域を決してはみ出すこと無くパッケージされている感じがしました。三味線の音もバンドサウンドの中でも意外に音抜けよく存在感が出るものなのだという発見も改めてありました。

和田はるくに

 youtubeにあるパンクバンドみたいなハイスピードで演奏する『ハイサイおじさん』は聞いたことあったが、原曲を聞くのは初めてだ。
 全体的に結構ゆったりしていて、合間に拍手が聞こえる(?これはライブ盤なのか?)。人前で演奏し、客の顔色なんかもみながらインタラクティブに演奏している感触の曲多くて、しっとり聞くよりかは前のめりになってしまう感じ。
ドラムのフレーズなど結構いなたいものも多くて、ニコニコしながら聞けちゃう。
 『東崎』で入る波の音や電子音っぽい音は後から入れたんだろうか。
 あと合間のMC(?)で喋っている言葉も一部を除いてよくわからない。この企画では今のところ邦楽を聞いているのだから歌われたりした言葉がわからないという経験は起き得ないのだが、そういう観点で言えばこのアルバムだけ別なところに放り出された感もある。リズムや音色や声色は知っているものなのに、その核心にたどり着けないのというか...結構自分が言葉重視でリスニングしていることもわかった。
 そういう意味でも異色だが、日本のベスト100に数えられる必要性はわかった。沖縄の音楽をポップス/ロックに昇華している。かなり聞きやすい。

渡田

 半寝で聴いていると頭の中で極彩色の踊り子がくねくね踊る。普段自分が好む曲とは似ても似つかないのだけれど、聴いていて心地よい。
 複数のジャンルを色々取り入れながら、その中でそのアーティスト特有個性を浮き彫りにする感じだけど、今回のアルバムはひたすらに自分の個性だけをガラパゴス的進歩させた感じ。
  他ジャンルの音楽との共通点はないけれど、聴いていると夢見心地になるオリエンタルな音楽という点では、変わった喩えだけどディズニーランドで流れる音楽のようだとも思う。

次回予告

次回は、山下達郎『SPACY』を扱います。

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#アルバムレビュー
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