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Mr.Children『BOLERO』(1997)

アルバム情報

アーティスト: Mr.Children
リリース日: 1997/3/5
レーベル: トイズファクトリー(日本)
今回の選者はみせざきです。

メンバーの感想

みせざき(選考理由)

 選んだ理由としては、邦楽編で一枚くらいミスチル取り上げても良いのでは?というのと、意外にも物凄いギターロックであるということです(ギターキッズなので)。「いやでもミスチルでしょ」と思うかも知れませんがこれが本当にそうなんです。有名曲で溢れかえってますが、自身のフェイバリットは二曲目の『タイムマシーンに乗って』です。てかこのアルバム聴くってことはつまりこの曲聴きにきてるまであります。中学になり洋ギターロックを聴き始めるとミスチル離れするというあるある現象の中でもこの曲はずっと好きでした。思い出の曲です。

The End End

 ちょっと理屈っぽい歌詞にこのナルシスティックな歌い方、どっちかだけならともかくどっちもあると肌に合わないな、、ここまで"言ってやった"みたいな顔されるとちょっと冷めちゃうというか。わたしはこの人と友達になるのが難しそうで、でも多分わたしの方が友達は少ないんでしょうね。
 アンサンブルは堅実で、ポップ・ロックとして過不足ないと思う。ともすれば陳腐にも聴こえかねないことが、ディティールへの配慮によって素晴らしく気の利いたことになっている。
 小学生の頃『HOME』を好きでよく聴いていたので、諦めたくないな…近いうちに『深海』も聴いてみます。

桜子

 ミスチルってヒット曲とは裏腹に音楽的にも詩面でも暗い曲があるんだなとは思っていたけれど、ALIVEなんかは、その性格を味方につけ、明るさと暗さの両面を行き来していて、ミスチルらしさってこれなのかなと感じました。誰も置いて行かない。
 自分の意思を信じて生きていけるほど、私は強くないから、桜井のようなシンガーがいる事は、時に心の支えになる。人生のアドバイスをくれたような気持ちになって、それが説教クサさに感じてしまう事もあるけれど、迷いが減ったような気持ちになる。

俊介

 空元気な時代の音楽だ。愛憎交えつつ全曲エールエールの連続。
 あんな仄暗い時代の中にこんな一縷の光みたいなこんな作品共感生まない訳が無い。
 社会に見切りつけた割と私的な詩世界に寄ってる感じも、なんとなく四畳半フォークの延長ぽくて好き。

湘南ギャル

 良くも悪くも、自分が抱いていたミスチルの印象からはみ出さない作品だった。もしくは、桜井和寿の声で歌われるとすべてミスチルらしい曲に聴こえるのか、、?多作なイメージがあったのでミスチルの全曲数を調べてみたら、合計376曲あるそうだ(ビートルズで214らしい)。それでいて、手抜いただろ!みたいな曲が(少なくともこのアルバムには)見当たらない。コンスタントに新しい作品を生み出しながら、楽曲のクオリティも保ち続けられるバイタリティ、かっけーです。

しろみけさん

 「everybody goes -秩序のない現代にドロップキック」のサビ終わり、《ミッドナイト ランデブー》だと思っていた歌詞は、どうやら《皆 病んでる》だったらしい。ビックリした。アルバム全編にわたって、疲労が肩に鈍く被さっている。主人公は若い勤め人、そいつはくたびれている。というか、クネクネしている。生活観が性急で、どうやら時代に恋に地位に名誉に忙しいらしい。その中でも好戦的で、ファイティングポーズをとって、適度に遊びつつ、現代にドロップキック……PHP新書を読んでるみたい。疲れてるけど、こいつはバイタリティがある。24時間くらいは戦ってくれるだろう。多分、私はこの人と、朝の満員電車の中で肩が触れ合ったことがある。

談合坂

 程よくライトで、でも楽器やってる人間なら笑みが浮かぶような美味しい演奏が聞こえてくる。そして、自分の声を正しく武器にする使い方をしているこの歌唱が私は好きです。あそこまで散々記号化されてモノマネの対象になるって、元の構造が本当にしっかりできていないと不可能だと思うので凄いなあと。
 ミスチルにはどのアルバムにしてもなんだかんだ好きだと思える、やりすぎない程よさがあるように感じます。

 超巨大産業のなかでどれだけ自分達の音楽をやり切るか。そういうレースの中でも最ももがき苦しんだのがミスチルなんだろう。自分の中の暗い部分でさえ「ありがたいもの」として受け入れられて消費されてしまうのだ。そういう葛藤がハイになってちょっと心配になりそうな桜井氏の声によってアルバムに表面化している。私はミスチルに触れてこなかったので過剰なアレンジによりバンドサウンドが背景化したポップス、みたいなのを想像していたのだけど実際に聴いてみるともっとハチャメチャで、異形のJ-POPみたいな曲が多い。

和田醉象

 職場にMr.Childrenが好きな人がいて、その人とよくカラオケに行ったりしている。商談で大失敗したとき、予算が達成できたとき、飲み会盛り上がったとき。彼と行くといつもミスチルを歌っている。シーソーゲームを聴くと、いつもその時の、私も彼も歌うのが好きで、一生懸命にマイクを握る、その光景が思い出される。
 一方で、彼は割と後期目の曲やシングル曲を歌いがちだから、こういったアルバム通しで聞いたときの新鮮さもあった。触れてこなかった曲曲に、このバンドが愛される、飽きられない理由を感じる。ミスチルでもやらなくていいような、打ち込みベースのダウナーなポップスやhideみたいなリフから叩き込んでいく激しいナンバーまで、色とりどり。
 あとアルバムを占めるために二年も前のシングルをトリに持ってくる勇気はすごい。(正直良い方向に作用したとは思えないが、入れたい気持はよく分かる。)

渡田

 ポップスとしての完成度がしっかり保証されていながら、シニカルな部分も感じられる音楽。
 単純なロックとしての格好良さを感じさせてくれる激しいフレーズの中、哀愁を思わせる緩やかな部分が同居している。それらの二面が交互に表れるというより、同時に重ねられている感じがある。激しく回転する車輪の隙間の向こうに、こっちに心に訴えかける穏やかな景色が見えると言うか…
 ポップの中にほんの少しだけ感じられる厭世観がこのアルバムを個性づけているようにも思える。

次回予告

次回は、和田醉象の選出アルバムを扱います。

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