見出し画像

細野晴臣『泰安洋行』(1976)

アルバム情報

アーティスト: 細野晴臣
リリース日: 1976/7/25
レーベル: PANAM/ クラウン(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は16位でした。

メンバーの感想

The End End


 マスターピース!!!!!!!!!!!細野のアルバムの中でも、ずば抜けてこれが好き。
 細野が“おっちゃんのリズム”或いは“一拍子”と呼ぶ、2:1のシャッフルまでいかないスウィング具合(そしてその具合が一定ではなく常に変化し続ける)のビートが、沖縄とニューオーリンズを完璧に接合している。そこにはカリブやシルクロードやハワイや香港も顔を覗かせ、仕上げに日本の香りをひと振り…これぞごちゃ混ぜのチャンキー・ミュージック。
 この時期の作品について細野は「シャレたものを作ったのではなく、作ったものをシャレたのだ。」と記しているが、この言葉は、“表層は表層でしかなく、本質的には他の細野作品と同じようにリズムとポップネスへの愛情が貫かれている”こと、そして“引用されたサウンドの意匠が表層でしかないからこその魅力というものがある”こと、つまりこのアルバムの魅力をこれ以上なく端的に表していると思う。(一拍子について、私はたくさん聴いたり細野の発言を色々読んだりしてこのように理解をしていますが、違うよ!!という詳しい方がいらっしゃいましたら是非教えてください。)

桜子

 Rochoo Gumbo、使っている音階やハネ感、三味線の音は沖縄っぽさを感じるんだけど、日本じゃない他の国の、異国情緒も感じる事にびっくりした。バックのピアノが大きいのかなぁ。こんな表現、細野さんにしか出来ない。この境地にどうやったらたどり着けるんだろう。

湘南ギャル

 これまで扱ってきた細野晴臣(と、はっぴいえんど内の細野晴臣)の作品を聴いて思っていたのは、日本語で遊ぶのがうますぎるということ。今回の作品では日本語詞は少なめである。それでも変わらず、遊ぶことが上手な人だ、という印象を受けた。三曲目では、意図的にボーカルの音を抑えたように聞こえる。歌詞が聞こえてくるのに、インスト曲を聴いているような気持ちになる。おもしろ感覚。もともとあった歌詞の遊び心に、音の質感や音圧での遊び心までがパワーアップして加わった。一体どこまでワクワクさせてくれるつもりか。

しろみけさん

 港湾を繋ぐ。カリブ〜香港〜沖縄と『泰安洋行』の中で接続されていく音楽は、どこも港湾沿いの景色を等しく有している。上記の都市を含め、港湾に設けられた都市は、そこに行き着く船舶と共に(迎え入れる側から見れば)ユニークで珍妙な文化を持ち込んでくる。その点、四方を海に囲まれた東洋の島国のミュージシャンが、自国のルーツに批評性を持たせて表現しようとした場合、「港湾」という要素を軸におくのは至極当然なのかもしれない。この音楽は世界中のどの港湾でも鳴っていないが、世界中のどの港湾でもエキゾチックに馴染む懐かしさをどこか持っている。

談合坂

 境界がない。それぞれの言語とサウンドについてもそうだけど、音楽とそれを聴く私たちの間という意味でも。これを聴いている今日は夏日を記録したそうで、その夜に窓を開けてすっかり暖まってしまった部屋に冷気を入れながらこのアルバムを聴いているのですが、まさにこんな具合に流動しています。

 ディズニーランドが好きだ。存在しない国、存在した国、存在して欲しい国、想像した国、西洋的な価値観を歪に反映させた国が集まった遊園地を横断出来るあの空間が好きだ。そこに潜む一種の軽薄さというか、「ディズニーランド」の名の下になんでもありになる空間が好きだ。各地の音楽を「つまみ食い」した先で得た豊富な音楽語彙を反映させた本作はディズニーランドのような楽しさで満ちている。

みせざき

 自分にはとても全てが分かりきらないくらい様々な音楽的要素が混ざり合されていると感じました。御祭の音頭や三味線、香港民謡?などほんと多岐に渡っていて、それらがパッケージによって合わさっていて、凄くエクスペリメンタルながらカッコよさも残せているのが素晴らしかったです。「蝶々さん」、「Chow Chow」など短い言葉遊びのような語感が度々使われていて、そこにカッコよさを見出させるのは流石だと思います。アクセント、ニュアンスが日本語でも英語に近くて、英語日本語の発祥のようにも感じました。3曲目などで逆に英語で日本語を歌うなど、英語と混合しても全く違和感を感じさせないのもまた凄いなと思います。木琴(鉄琴?)のような音色のせいもあってか全体的にコミカルな雰囲気で聴き通しやすかったです。

和田はるくに

 映画でも展示会でも慣れ親しんできたというのに、この細野作品は初体験である。
 トロピカル・ダンディーに慣れ親しんだ時期もあるので、比較してみると、幾ばくか雰囲気は北上して、アジアン、オセアニアというよりも格段にチャイニーズ、ニッポンである。(あっちのほうでは北京ダックとか言っているが)
 ただ、何処か怪しげな雰囲気漂う、夜の街の出店の近くを彷徨いている感触は変わらない。
ボーカルの柔らかさのためか、音楽性は自分に近くないのに親しみやすさを感じる。というかホソノハウスの頃よりも自分の声の癖がわかって、堂々と歌うよりかは歌い流すような方向性に切り替えたのは正解だと思う。
 はっぴいエンドカバーに至っては初視聴では気づかないほど音楽は変わっているのにスルッと聞ける細野作品。
 ニルヴァ~ナ~ョ…

渡田

 細野晴臣というより大瀧詠一の個性を強く感じた。それだけ一曲目の印象が強かった。
 昔の洋楽らしさ、日本の音楽らしさ、その双方の個性がどちらも濃かった。曲の素体はアメリカンポップスらしいけれど、要所要所でそれに負けない和風のエッセンスを組み合わせていっている感じがする。

次回予告

次回は、鈴木慶一とムーンライダース『火の玉ボーイ』を扱います。

#或る歴史或る耳
#音楽
#アルバムレビュー
#細野晴臣


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?