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RCサクセション『シングル・マン』(1976)

アルバム情報

アーティスト: RCサクセション
リリース日: 1976/4/21
レーベル: ポリドール(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は66位でした。

メンバーの感想

The End End

 気品がある。激しく、かつ安っぽくない。演奏も歌唱も歌詞もとっても熱くてとっても聡明で、こんなの好きにならない手が無いじゃないか…“シングル・マン”が考えることの全部がここにある気がする。あまり詳しくないので聞き流してもらえたら良いのだけど、随所にフィッシュマンズを感じた。順番が逆だが。
 「うわの空」の、リムショットがフラムをしている?ところが本当に気持ちいい。他の部分も含めて名演!

桜子

 歌詞の表現が素直すぎて自分はあまり好きになれませんでした。あとやっぱり歌声が特徴的だなぁって。ガラガラしてて一癖も二癖もある。
 歌声は私にとって、楽曲の顔です。だから変な歌声の方が好き。みんなと同じじゃない方が良い!

湘南ギャル

 全曲に管楽器がいる訳じゃないのに、管楽器の圧をものすごく感じる。頻発フレーズを渡されて、譜面通りに仕事して、定刻で帰る。みたいな管楽器の音しかないアルバムは、残念ながら多い。シングルマンの中の管楽器の音は、俺がこのアルバムを面白くしてやるぜ!という主体性とか気概がある。最高。
 そして、やさしさという曲。メロディに関していえば、明るさと暗さを一曲の中に収めているのが器用だ。でも、それ以上に歌詞。めちゃくちゃ個人的な話だけれど、人が他人に見せなきゃいけないのは、優しさではなく誠実さであると思っている。その誠実さがなんなのかっていうのを上手く言葉にできないままいたけれど、RCサクセション風に言えば、責任から逃れないことと、汚いまねをやめることだ。そしてそれは正解なんじゃないかと思う。

しろみけさん

 耳が近い。熱心なリスナーとは言えないものの、清志郎はコミックらしさに溢れるファニーな人間だとかねてから思っていた。前半の「ファンからの贈りもの」や「大きな春子ちゃん」、「レコーディング・マン(のんびりしたり結論急いだり)」からは、そうしたコミックらしさに溢れたギャグセンスを感じたが、聞き進めるにつれてミニマムな演奏の素晴らしさにばかり耳が向かってしまった。ストリングスの置き方や、こもりながらもシャープなエレキギターの音色など、エンジニアも含めた製作陣のニュートラルな耳の良さが印象的だ。というより、耳の好みが自分と似ている気がする。

談合坂

 全体的に金属的な音だと思った。無機質だというのではなくむしろその逆で、楽器の響きが生じる源である金属のパーツたちが躍動する様子が生々しく聞こえているような。この作品が描く情景にも多く存在している(であろう)空き缶や自動車の外板のような金属的な骨格を持った柔らかさ。
歌声にも芯がある。芯がありながらも、さまざまに響きを変えて共鳴する。それはこのアルバムにおける歌声と楽器の関係、そして歌声と感情の関係でもあるのだと思う。


 忌野清志郎ってもっといわゆるロックスターっぽい人なのかと思っていたが、存外弱々しくて、生々しい弱音も吐く。なんだか忌野清志郎のことを好きになった。そんな「生活」の中でもロマンチックな夢想家として「君」との世界を浮遊感たっぷりの録音と共に歌う姿はちょっと他の人よりも天国に近いところで歌ってたんだとも思った。

みせざき

 自分の抱いていたRCサクセションの泥臭いブルースというイメージに反して、軽快なノリの少しファンキーな一曲目は少し意外でした。若々しい失恋など、ありのままの感情を放出させるボーカルの凄さを感じます。やはり忌野清志郎のカリスマ的ボーカルは唯一無二であり、このボーカルだけで素晴らしく説得力があります。ここまで無邪気で尚且つ力強く太いボーカルは絶対にこの人にしか出せないものだと思います。「スローバラード」は昔から好きな曲ですが、「夜の散歩をしないかね」のしっとりしたバラードも同様の趣を感じさせ好きでした。バラードからアップテンポの曲まで、ボーカルの対応範囲が広く、どの曲でも凄く魅力的に感じました。

和田はるくに

 名誉不遇名盤の一つ。フォーク自体の匂いも残しつつ、確実にエレキバンドとしての萌芽も感じさせる。音楽にしても何にしても、こういうものは発展途上の変化を見てる瞬間が面白い。
 もとから彼らの気迫は凄まじいものがあったが、ここでの彼らは不遇時代というのもあり、虚しさや無常観を感じさせる場面もある。それがこのアルバムの音像や雰囲気を立体的にして、リスナーを取り込んでしまう。名盤たらしめているのはここらへんの背景事情もあろう。
 だが、改めて聞いて思うのはホーンセクションや楽しいシンセパートもあり、けして近寄りがたいものではないということだ。当時のプロデューサーによる手腕らしいが、清志郎のソウルでタイトなスタイルがようやく最適化され、「あるべきところに収まった」、これもアルバムの評価を底上げしている要因だろう。

渡田

 「スローバラード」がこのアルバムの個性を象徴していると思った。
 それまでの曲で聴いていた清志郎の声とか、彼の曲らしからず丁寧に弾かれる楽器とか、女の子についての歌詞とか、…曖昧に感じていたものが、最後「スローバラード」を聴いた途端まとめられるのを感じた。
 恋愛をしている喜びを書いた歌詞の曲と、失恋の曲が交互に来るのとてもつらい。このせいで、明るいように聞こえる恋の曲も、消えていった思い出を訴えているようであったり、叶わなかった憧れの恋を語ったりしているように聞こえてしまう。清志郎の歌い方だとどうしても悲しい曲になってしまう。
 1人の好きな女の子に対する、愛憎渦巻く複雑な想いの一つ一つの側面がそれぞれの曲で歌われていて、それらが収束する先が「スローバラード」の曲調と声と歌詞であるように感じられた。

次回予告

次回は、山下達郎『SPACY』を扱います。

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