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砂原良徳『LOVEBEAT』(2001)

アルバム情報

アーティスト: 砂原良徳
リリース日: 2001/5/23
レーベル: Ki/oon(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は56位でした。

メンバーの感想

The End End

 リマスターに際してのインタビューで、“当時は技術的にできるからといって、低音を歪ませずに限界まで突っ込むことをし過ぎた”、“今ならここまでやらずに丁度いい塩梅を探す”というようなことを言っていたのだけど、確かにそんな感じのするキックとベースだ。そう思って聴くと『東京』に似た微笑ましさを感じる。
 とにもかくにもテクスチャとバランス!な作品で、心地の良いデジタルなローファイサウンドが本当に魅力的だった。最近そういう音像を作ろうと腐心している私としてはとても参考になる。また、パターンの美学、というようなことも感じた。ランダムさ/偶発性に安易に逃げ込まず、きちんと構築することの美しさというものがある。
 叙情的なムードがずっと漂っているあたりに、YMOや吉村弘や今作やレイ・ハラカミやサカナクションやD.A.Nやらまで連なる“日本人のエレクトロニックミュージック”の一つの特徴があるのかも…?いや、自分がそういうの好きで無意識に選んで聴いてるだけだろうな。

桜子

 パキッとカチッとしていて軽いプラスチックみたいなテクスチャが好きです。多面体の図形が頭に浮かびます。有明の建物みたいな感じ。
 気持ちが凪いだ状態で聴けて、いつまでも聴けるアルバムだと思います。そりゃそうなんだけど、ビートって、踊れたら気持ち良いわけでは無いんだな〜〜〜

俊介

 テクノハウスなりエレクトロなり聴き始めると絶対にその名前を知らずには通れないし、ときたまそこで出会う”砂原良徳”という名前には、遠い観光地でたまたま出会った地元の友達みたいな奇妙な親近感を覚える。
 プロゴルファーのコーチが、そのプロゴルファーよりも良いスコアを出せるかと言ったらまた別だけども、だからといってそのコーチを低く見積もることなんて絶対ない。その逆もまた然り。
 すごく足らない語彙を頑張って駆使しても”適材適所”というなんとなくリスペクトに欠けたような言葉しか思い浮かばないんだけど、彼の功績には本当に脱帽。
 でも別にlove beatじゃなくても例えばaoki takamasaのRV8とかryojikikedaのtest patternとか、TEI TOWAのLast Century〜なりFLASHなり、ランキングの中でlove beatが占める位置に、よりフィットする作品があったような気がしないでもないのは、彼のプロデューサーというか裏方としての功績が偉大すぎるゆえ?(RV8のマスタリングをしたのは砂原良徳だし)
 こう言いつつも、いわゆるクラブライクなテクノのBPM120〜みたいなスピード感に慣れてる身に新鮮に響く、love beatのBPM100いかないような比較的ローテンポで展開されていくエレクトロのおもしろさと、あくまでポップスというかイージーリスニングの枠組みからはみ出ないサウンドの面白さはたしかに、ある。
結果最高。

湘南ギャル

 58分間ずっと気持ちが良い。耳で聴いた音を脳で感じているのではなく、音が頭まで直接届いている感覚になる。というか、耳で聴いているというのは本当に錯覚で、脳に波形を流されてるだけなのかもしれない。だから生じる気持ち良さも、ここがこうだから気持ちが良い、などと説明できるものではない。脳みその快楽物質が出る場所を直接押されているような、そういう類いのものだ。
 音楽の魅力のひとつに、聴き方によっては片手間でも楽しめるというものがあると思う。片手間というと聞こえが悪いけれど、音楽が日常に溶け込み人の心に根ざすことができるのは、この側面のおかげであろう。そして良い意味でも悪い意味でも、この作品はそれを許さない。というか、私にはできない。「LOVEBEATを聴いた」よりも「LOVEBEATを体験した」と表現した方が、自分の感覚を言い表せている気がする。

しろみけさん

 今、SONYのワイヤレスイヤホンを装着して、Spotifyから『LOVEBEAT』を聞いている。絶対に捕捉できていない音がある。なんなら、その半分くらいしか聞けていない可能性すらある(2021年に出た「Optimized Re-Master」なら幾分かは聞こえるかもしれない)。それでも、ジュクジュクのビートをずっと聞いてるとたまらなく気持ちよくなってきて、どの曲も「あと90分くらいやってくれ〜」ってなる。それが聞きたかったらクラブ来てね…ということなのだろうか。残響が暖かい。

談合坂

 聴いているなかで放出されずに余った熱が蓄積されていく感覚があって、自分はまだ結構若くて(ガキみたいな心で)元気なんだと思わされた。熱と疲労を放出させているタイミングで浴びるとこれはかなり良いだろうな、という想像が膨らむ。
 ゆったりと、ただ確かに自然と頭が揺れていく絶妙な体験でした。

 このひたすら平熱で展開されていく質感のアルバムに「LOVE」と名付けているのが好きで、確かに物凄くきめ細やかに真面目に真摯にプログラミングされ尽くした1秒1秒は音に対する(偏)愛以外の何物でも無い。私はまりんはもちろんのこと、竹村延和、青木孝允、横田進、そしてレイハラカミらミレニアム前後のエレクトロニカ作家の作品が大好きなのだけど、その理由は枯山水のようにあらゆる雑念や欲が削ぎ落とされているように聴こえるからだ。アルバムという箱庭に音だけが漂っている数十分はこの煩わし過ぎる世の中を少しだけ冷ましてくれる。
 2年前に「LOVE BEAT」が再発された今、改めて当時のバージョンを聴くと作家の意図の外で時代性というのが刻印されてしまうことが分かる。当時の音はレトロフューチャーの具現化みたいでかっこいい。今のバージョンはクラブで流れていたら気持ちが良さそう。

みせざき

 題名の通り、ビートの愛というのが伝わって来る気がします。それも決して高速では無くじわじわとノリを共有していくような、その緩やかさにまた魅力を感じました。高速ビート・早ノリなものを聴くことが多かったので、このくらいのbpmで浸れるテクノ・ビートというのは最近味わって無かったので新鮮でした。

和田醉象

 電気グルーヴもアンビエントもある程度通ってきたつもりだったけど、こいつはかなりいいぞ。何年か前にアナログ化したときに速攻で売り切れたのも納得できる内容だ。
 題の通り、リズムが強いから聞き流すにはあまり向いてないけど、でも、聞いていて没頭できるニュアンスがある。どんどん、深い森の中へ行ってしまうというか…多分打ち込みがほとんどなんだろうけど、ザラザラしながらも人肌な温かみを感じる。優しさだけじゃなくて強さもある。
 今度はMETAFIVEとかもっと色んな作品を聞いてみよう。

渡田

 聴き始めてすぐ、穏やかなメロディとそれを構成する都会的な雰囲気の電子音に惹かれたが、次第に一切展開しないメロディが続く様に困惑した。今まで聴いてきた音楽のように、曲の展開やサビの盛り上がり、重要な歌詞なんかを待つのとは違う楽しみ方が必要な音楽だと思った。
 それを意識して、変わらないメロディラインを受け入れてみると、曲の節々に挟まる独特のSEやだんだん変化していくイコライザなんかに気がつくようになる。自分が今までしてこなかった新しい音楽の楽しみ方を知ることができた。

次回予告

次回は、レイ・ハラカミ『red curb』を扱います。

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