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細野晴臣『HOSONO HOUSE』(1973)

アルバム情報

アーティスト: 細野晴臣
リリース日: 1973/5/25
レーベル: ベルウッド(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は8位でした。

メンバーの感想

The End End

 キーや発声から、まだ自分の声との決着をつけきれていない感じがして、微笑ましい。(バンドで「CHOO CHOO ガタゴト」と「薔薇と野獣」とコピーをして思ったけど、ライブではここからさらにキーを下げて歌うってどんだけ声低いんですか)
 この後の“トロピカル三部作”にはパラダイスへの逃避願望としてのエキゾティシズムが流れていたわけだけれど、本作にも逃避願望は既に現れているな、と感じた。公害問題やノストラダムスの大予言の影響で抱いていた終末感を歌った「終わりの季節」はもちろん、他の楽曲の歌詞を見ても、以後の作品ではここまでは見られないほどロマンティックな言葉が多く見られ、“他の世界”への志向は既に発露していると言ってもいいのではないか。
 レコーディングが行われた狭山のアメリカ村は、そんな彼の逃避願望を満たす場所だった。その“ヴァーチャルなアメリカ”という場やそこにある人間関係が緩やかに崩れていったことで、細野の逃避願望はパラダイス志向=まだ見ぬユートピアへのエキゾティシズムへと形を変えていくのである。
 若い世代がこの音に憧れるのは、現代の住宅環境ではルームレコーディングなんてなかなかできないし、デッドに録るために作られたスタジオを使って作ろうと思うとリヴァーブでヴァーチャルな紛い物を作るしかない、ほぼ手に入れることのできない音像だからなのかな…などとも考えた。『風街ろまん』と聴き比べると、“部屋が鳴っている”ということがどんなものなのか感じられると思います。

桜子

優しいアルバム。
”おまえの中に雨が降れば 僕は傘を閉じて濡れていけるかな”
”朝焼けが〜暗い顔を赤く染める それで救われる気持”
主人公が暗い気持ちを知っているからこそ持てる優しさと相反する明るさ。
私の心の指標になっています。

俊介

 細野晴臣フォロワーの方が身近に多いので不用意にものを言えないんですが、シンプルに音像が珍しいなと!
 広いのか狭いのかよく分からないので調べてみたら、狭山の一軒家でレコーディングされたらしい。なかなか聴いたことない音の感触なんで新鮮でした。
 あと、どこにも属さないエキゾチックな感じ。洋楽とも邦楽とも言えない。時代もよく分からない。一番ポップスとしての強度がある。
自分のアンテナには上手く引っかからなかったのでなんとも言い難いんですが、この人がはっぴいえんどに参加して、YMOに参加して、松田聖子に曲を提供して、自分が影響を受けてるそれぞれに関与をしてるのを考えると、自分のアンテナが中々信用ならないことを自覚。

湘南ギャル

 このアルバムを聴いたことない人に歌詞カードを渡して、好きなように音読してもらいたい。それだけで、音楽になるだろう。これこそ声に出して読みたい日本語だ。文字数なのか語感なのか、口に出した瞬間に文字はリズムへと変わる。語感の良さにとらわれて、単語選びが疎かになっている訳でもない。言葉たちの纏う雰囲気は近すぎず、遠すぎず、それでいて妙な一体感がある。センスが良いという一言に尽きる。こんな歌詞があったら張り切って歌いたくなるような気もするが、ここでそれをしない。そのバランス感覚よ。五体投地するのみ。

しろみけさん

 遁世の響き。日本におけるホームレコーディングのパイオニアと目される本作は、狭山アメリカ村の中古住宅の一室で制作が進められたという。当時東京の郊外にいくつもあったというアメリカ村は、中華街やコリアンタウンなどとは違い、米軍基地の隊員や家族が引き上げた60年代に「ハウス」を求めた日本人が移ったことによって形成されていった。
「出家も考えた」と後に語られる時期に制作されたトロピカル三部作の前夜に当たる本作では、後作で聞くことのできるアイデアに溢れたSEやカットアップ(のような音ネタ)はほぼ介入してこない。そのコミューン性、喧騒を排して密室の響きの中に逃げ込むことが、当時の細野には不可欠であったことが窺い知れる。

談合坂

 この企画に参加するにあたって過去の作品との向き合い方に毎度悩んでいるのですが、この作品を聴いたらそろそろサウンドへのアプローチについてはその外側を気にせずに触れてもよくなってきたかなというのを勝手に感じました。個人的な話をすると私はベーシストの作る音楽が好きなのですが、普段(ベーシストの曲だ!)とテンションが上がるタイプの音楽とは違えどもこの作品には似たような高まりを覚えます。

 一度テープレコーダーに入った音が、一度サンプラーに入った音が、一度MTRに入った音が、少し独特な音へと性質を変え、その変化はジャンルの歴史を作り上げた。狭山の細野宅で製作・録音された本作にもそんな音のマジックが宿っている。「アメリカ村」という場所で作られたが故のヒッピーカルチャーと接続した開放的な雰囲気と、日本特有の少しジメジメとした閉鎖的な空気感が混じったサウンドは「宅録」という一種のローファイ、DIY、非商業的なロマンを作り上げたと言っても過言ではない。もちろん音のみに限らず、「恋は桃色」「終わりの季節」といった名曲から後の細野作品の要素の萌芽が見られる「福は内 鬼は外」、やるせなさと諦念で彩られた「住所不定無職低収入」まで、今後日本の音楽史を支える細野晴臣のオリジンとしてこれ以上ない作品だ。

毎句八屯

 宙に浮くような。体が軽やか。身構える必要がない。
 細野晴臣の曲はいつもそんな気分で聴いていられる時が多い。
 「冬越え」という一見すると暗そう、荘厳そうな曲も彼の手にかかれば、朗らかな仕上がり。終わりを変わり目とポジティブに捉え、くしゃみだけがネックみたいなウィークポイントを笑えることで済ますスマートさ。音楽は楽しいものだと再認識できる。と思ったら次の曲「パーティー」ではスローなブギ。マイペースでささやかな楽しみ方。「福は内鬼は外 」は一転して中南米的なアプローチで福を誘う。
 引き出しは多いが、聴き手に無理はさせない。そんな名盤。

みせざき

 『大瀧詠一』と同じようにこちらもローファイ感が強めで、アコースティックな雰囲気からファンキーな雰囲気のものまで多様性がもたらされていると感じました。「薔薇と野獣」のようなファンキーかつグルーヴィーな曲は特に好きでした。恥ずかしながらあまりこの作品を知らなかったのですが、はっぴいえんどからすぐさま宅録で実験精神を取り入れながらこうした作品に取り組めるスピード感は素直にすごいなと思いました。

和田はるくに

 あぁ〜!やっぱすげえよこのアルバムは。いつ聞いても、カードゲームのパックにキラカードが入ってた時並にテンションが上がる。わかりますか?
 あと改めて聞いたら薔薇と野獣のイントロの上がっていくベースのフレーズ、フリクションに出てきそうな不安な感じがある。

渡田

 統一感が無いのか…あるのか…
 どの曲も細野晴臣の曲として聴きやすいのだけれどけれど、アルバムとしての「統一感」を意識して聴くと不思議な印象を持たせる。
いずれの曲も別々の個性を持っているのだけれど、それでもどこかに説明し難い統一感があるような気がした。
 それぞれの曲、使う楽器や歌い方、歌詞の雰囲気が大きく違って、どれも分かりやすい独自性があったが、それでいて全ての曲が細野晴臣らしかった。どの曲も細野晴臣が関わったいずれかのアルバムに共通する印象を持っていた気がする。(例えば「恋は桃色」からはアルバム「風街ろまん」を思い出せた)
 この、どの曲も「細野晴臣の曲」として非常に納得できる点が、一種の統一感を感じさせたのかも知れない。
 ここにある一曲一曲の作風が、後のそれぞれのアルバムに継承されていったり、それまでのアルバムから引き継いだものだったりするのではなかろうか。そう思うと、細野がこれからやっていきたい色々なことをダイジェストで表しているようだった。

次回予告

次回は、荒井由実『ひこうき雲』を扱います。

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