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<小説>白い猿② ~前田慶次米沢日記~

    二

 ずどーん!
 すさまじい破裂音に驚いた鳥たちが、木々の枝からあわてて飛び立った。
 五十間(約九十メートル)先の杭にくくり付けてあった鉄の鎧が、こなごなに砕け散っている。
 後ろの土壁にもぽっかりと大穴が開いている。すさまじいまでの破壊力である。
 射撃場は白布高湯から少し離れた渓谷の中に設けられていた。
 すぐ近くに轟々と流れ落ちる滝があり、鉄砲の音を消している。それでも火縄銃のすさまじい発射音は、鳥や獣たちにとっては迷惑な話であろう。
 慶次は「関白どの」が近くにいないことを心の中で祈りながら、構えていた鉄砲を静かに下ろした。あたりに火薬の臭いが立ち込める。

 少し離れて見ていた鉄砲職人が小走りに近づき、興奮の色を隠さずに言った。
「お見事。この銃で五十間の的を撃ち抜いたのは、前田殿が初めてでござる!」
 職人が感嘆したのも無理はない。
 慶次が撃ったのは「大筒」と呼ばれる大口径の火縄銃である。
 一般的な火縄銃の場合、弾丸の重さが三匁(約十一グラム)ほどなのに対し、この大筒の弾丸は三十匁(もんめ)(約一一二グラム)もある。実に十倍である。銃自体も最も大型の部類に属し、ずっしりと重い。
 それだけに発射の際の反動も大きく、初めて扱って命中させるのは至難の業である。
 その点慶次が大筒で五十間先の的をみごと撃ち抜いたのは、驚き以外の何物でもなかった。
 
 慶次が銃の扱いに慣れているのには理由がある。
 慶次は元々は滝川一族の出で、前田利久の養子となって前田姓を名乗った。織田信長の重臣、滝川一益は親戚筋にあたる。
 滝川一益は甲賀の里出身で、忍びの心得とともに鉄砲術にも優れていたといわれる。長篠の合戦では織田軍鉄砲隊の総指揮を執り、戦国最強と謳われた武田騎馬隊を打ち破った。
 そのため慶次も一益の薫陶を受けて鉄砲術に秀でていた。
「これならば物陰に隠れた敵でも倒すことができるでしょう」
 一緒にいた米沢藩鉄砲頭が満足気にうなずいた。
 実際の合戦でも、主に城攻めにおいて用いられ、石垣や壁、櫓を打ち砕く威力を発揮した。
「だが、そのぶん反動も強い。撃ち手の教練もいっそう必要になる」
「承知つかまつった」
 慶次の言葉に、精悍な顔立ちの鉄砲頭が気を引き締めた。

 翌朝慶次が露天風呂に行くと、「関白どの」が河原の湯に浸かっていた。だが、この前入っていた湯だまりより、かなり遠いところにいた。
 慶次の姿を見ても、心なしか警戒するような仕草を見せる。
――やはり鉄砲が嫌いなのだな。
 そう感じた慶次は、風呂には入らず静かに引き揚げた。
 人と獣が容易に交わることができないのは、やはり天の摂理であろう。
 いま慶次にできることは、「関白どの」が吾妻の山で穏やかに暮らすのを願うことだけだった。 
                            (つづく)


★見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、 masuno_shotaさんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。


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