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 孝明天皇は、不愉快だった。勝手に、自分の名前が使われて、勅許(命令書)が出されていたからだ。

 孝明天皇には、倒幕の意思は無かった。幕府には、国の方針に関わる重要な案件だけ、彼の同意を取るようにしてもらえれば、それで十分だったのだ。そもそも、何百年と、政治に関わっていない朝廷には、国政を担当する能力も無いのだ。

 それを、「尊王、尊王」と言って、一部の公家たちと共に、朝廷を操っている志士達。彼らの行動は、孝明天皇にしてみれば、自分を敬っているとは思えなかった。孝明天皇は、彼らを朝廷から排除することを決意する。

 尊王攘夷の志士達が、転げ落ちる時が来たのだ。

 文久3年8月18日、孝明天皇の意向を受けた薩摩と会津の藩兵が、御所の門を固める。長州藩の志士達と、彼らに同調する公家達を、朝廷から排除するためだ。このクーデーターは成功し、長州藩の藩士と過激派公家は、長州に落ちていった。

 次は、土佐勤王党であった。

 山内容堂が、彼は土佐藩の実質的な支配者なのだが、その彼が、土佐勤王党に、帰藩命令を出した。

 土佐勤王党の志士達は、土佐に戻ると、罪人として牢に入れられ、殺されていく。武市半平太も、切腹を命じられて死ぬ。土佐勤王党は、この弾圧により消滅した。

 

 



歴史は、人間が創るドラマです。特に、幕末はたくさんの英雄が出てきます。そんな時代とその時代の人たちを小説にしたいと思いました。