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 「桜田門外の変」の後、老中・安藤信正(のぶまさ)は、孝明天皇の妹である和宮親子(かずのみやちかこ)内親王と14代将軍・徳川家茂(いえもち)との婚約に尽力する。

 幕府と朝廷が協力して国政にあたる体制づくりのためである。これを公武合体という。幕府は、もはや単独で国政を担うのは無理だということを悟ったのだった。

 この時、皇女和宮には、すでに婚約者がおり、彼女自身も慣れない江戸に行くことに不安を感じ、断固拒否の態度をとった。

 しかし、幕府の要請は執拗だった。孝明天皇は、幕府に攘夷(外国を打ち払うこと)を約束させた上で、この婚約を認めた。皇女和宮に対しては、「もし断るなら、お前は尼になれ!、私も天皇を退く!」と脅した。

 皇女和宮は、泣く泣く承諾し、こんな歌を詠んでいる。「惜しまじな君と民とのためならば身は武蔵野の露と消ゆとも(陛下と民のためならば、この命が消えようとなにを惜しむことがあろうか)」

 皇女和宮は、江戸に出発する。警護や人足を含めると、その行列は、総勢3万人、50kmに及んだという。

 残念ながら、この婚約は、世情を安定させるどころか、かえって世間の誤解を生んだ。「幕府が天皇の妹を人質にとった」というものだ。

 この婚約に尽力した老中安藤信正も、また、浪士達の襲撃を受け、老中から失脚したのだった。

 



歴史は、人間が創るドラマです。特に、幕末はたくさんの英雄が出てきます。そんな時代とその時代の人たちを小説にしたいと思いました。