見出し画像

【主婦勉!】神社のあれこれについて知りたい~八幡神編~

前回お稲荷さんの回で、
思ったより調べることの多さにビビッてしまい
なかなか次に気持ちが向かなかったダメな私です。

でもやり始めたからには調べ尽くす!
次はお稲荷さんの次に多いと言われている、
( いや実は八幡の方が多いという説もある)
八幡神社について調べようと思う。

【八幡神社】
祭神:誉田別命(ほんだわけのみこと)
  ※応神天皇と同一視されている。
総本山:宇佐神宮(大分県)

八幡神は誉田別命
(ほんだわけのみこと、以下ホンダさん)の
こととされており、
そのホンダさんとは
応神天皇(第15代)のことである、
とされているので、
(時代としては古墳時代?)

つまり八幡神=ホンダさん=応神天皇
ということになる。

ちなみに応神天皇は
『日本書紀』では”誉田天皇”と
記されているようだ。

じゃあ
八幡神は応神天皇てことで良いですね、
と言いたいとこなんだが、
これまたどっこい
そう簡単な話でもない。

もともとは
八幡系神社の総本宮である
宇佐神宮(大分県)があるあたりで
地元の超有力者だった宇佐氏が、
海神様として崇敬していた土着の神様が
八幡神と呼ばれていたんだそうだ。
(古い話なんで諸説あります)

しかしその後その八幡神が
「我は応神天皇の化身である」みたいな
お告げ?告白?みたいなことをされたそうで
それをきっかけに
オリジナルの八幡様と応神天皇が習合されて、
八幡神ニュータイプとなっていったようだ。

ちなみに応神天皇、
お生まれは今の福岡あたりだそうで、
(母君である神功皇后が
三韓征伐に出陣中にご出産されたらしい)
多くの学者の間では
「実在が確認できる最初の天皇」と
されているようだ。
(古い話なんで諸説あります)

そんな応神天皇、
弓矢の達人と言われるくらい、
武芸に秀でた人だったようで、
後に源氏や平氏などの有力な武家たちから
「武運の神」として篤く信仰され、
全国に広まったようだ。

特に清和源氏が京都の石清水八幡宮を崇敬し、
清和源氏のかなり初期の人(言い方!)である、
源義家という人はそこで元服したらしい。

この義家という人は、
戦に強く、源氏を武家の最強一族に押し上げた
源氏の英雄みたいな人なんだそうだ。

そんな彼が元服した場所であり、
しかもその後めちゃくちゃ出世した、
ということもあって、
八幡神、すごい!ご利益あり!的な
うなぎのぼりの評価&人気で
ますます武家たちのハートを鷲掴み。
そしてさらに広く篤く崇敬されるようになった。

八幡神は、所によっては
・比売神(ひめがみ、一般的に奥さんか娘さん)と
・神功皇后(応神天皇の母)と
・応神天皇の3人合わせて
「八幡三神」として
祀られていることも多くあるようで、
難敵から逃れながら応神天皇を出産した
神功皇后の逸話から、
安産祈願なんかにも御利益があるらしい。


また、八幡さんと言えば
「八幡大菩薩」という言葉が
すぐ頭に浮かんでしまうんだけれど、
"菩薩"というとこれはもう
仏教のテリトリーなわけです。

「南無八幡大菩薩」って
どこかで聞いた言い回しだけど、
何だったっけ?と思ったらアレですね、
源平合戦の、屋島の戦いの時に、
那須与一が扇に矢を射る前に念じた時の
言葉として伝わってるやつですね。

とまぁそれはいいとして、

稲荷神社の時に出てきた
ダー姐さんのように、
これまた何か
仏様的な何かが習合しちゃっているので、
これも調べない訳にはいかない。

とかやってるとほんと
毎回すごい時間かかるなこれ!
なんで毎回習合しちゃうんだ!
と思うけど、日本の長い歴史を考えると、
習合してた期間の方が断然長いわけで、
というかこの頃から明治が始まるまで、
日本の歴史的にはほぼほぼずっと
習合してたわけです。
つくづく不思議な国だぜ。

というわけで八幡大菩薩ですが、
これはダー姐さんのように、
もともとどこかの国のどなたかで、
みたいなパターンではないようで。

これ本当長くなりそうだから
別で紹介した方が良い気もするけど、
まぁ頑張ろう。

もともと日本は神道の国だったのが、
仏教が入ってきて、
神道(物部氏)vs仏教(蘇我氏)みたいな
構図が出来上がり(雑)、
結局どっちが主導権を握るかという
本格的な戦いの末、仏教推し側の蘇我氏が勝利。

蘇我氏の血をひいていて、
この戦いにも関わっていたあの聖徳太子が
その後、
仏教の国内浸透を推進していった、という
”神道vs仏教”の歴史が
かつてあったということを
まず頭に入れた上で話を進めよう。

そこからまた時が経ち、
聖武天皇が奈良の大仏を作っている時、
宇佐八幡宮の神官(巫女?)がやってきて、
「八幡神からのお告げがあって、
神様も大仏作りで何か力を貸したいと
おっしゃってます」と、言うわけだ。

「ほんまかいな、ほなぜひ」ということで、
神様だけれど仏様を守る存在、
つまり仏様の"守護神"として、
「八幡大菩薩」という名を朝廷から
賜ったのだ。

なんつー話やという感じもするけれど、
要はざっくりいうと、
海の向こうから来た神様を、
日本の神様としてこれから大々的に
迎え入れるとなると、
いくら戦に勝った側(仏教系)とは言えやっぱり
それなりの反発はあるもんだ。

それで、
「神様が仏様を守りたいって言って
わざわざ九州から奈良までやってきた」
みたいなテイにしたら、
「そっか、わざわざ神様が守りたいって
言うんならしょうがないか」つって
皆も納得するんじゃないかと、
聖武天皇をはじめとする
国の尊かったり偉かったりする人が
考えたっぽい。

なので、この八幡神は
ある意味朝廷側(仏教推し)からすると
「サンキュー八幡神!グッジョブ!」的な
存在で、
その後天皇から庇護され、
"東大寺の守護神"として、
手向山八幡宮を建立されたり、
京都では平安京の裏鬼門を守る神社として
石清水八幡宮が建立されたりと、
仏教と国(朝廷)の二段構えで保護された
結構政治色強めな神様というかなんというか。

あと全国に国分寺が建てられた時に、
その守護神として
一緒に祀られたから広まったとか
とにかくもういろいろあります。
(↑ぶん投げ!)

でもやっぱりよくわからない。
大菩薩の名を賜りながら、
結局八幡神としても祀られてる。
なんでこんなややこしいことしてんの...

また八幡神といえば
「宇佐八幡宮神託事件」。
ざっくり説明すると、
聖武天皇の娘である称徳天皇の時代、
彼女が道鏡という僧侶を寵愛した結果、
道鏡はどんどん政治に介入してくるように
なってきて、挙げ句の果てに
「道鏡を天皇にしろって八幡神が言ってる」
なんてことを言い出した。

本当かな、
ホントならそうしちゃおっかなつって
称徳天皇が
和気清麻呂って人を宇佐神宮に派遣して
真相を確かめたところ、
「いや、普通にダメでしょ。
つか道鏡とかいう怪しいやつ、
早く辞めさせたほうがいいよ」という
ニベもない御神託が出されて、
それを持って帰ってきた清麻呂に
天皇と道鏡は激おこで即清麻呂追放。

しかし間もなく天皇が崩御されてしまい、
(バチが当たった?)
道鏡も追放されましたとさ、という
わかりやすい皇位奪取計画?があって、
天皇の血筋的なものを守るのに、
活躍したのが八幡神ということで、
ますます崇敬されるようになった。

というかもうここまでくると、
八幡神を信仰してもらうために、
いろいろお膳立て…してない…?
なんか話が全部うますぎない…?などと
私みたいに心歪みめな人間は
勘ぐってしまってすみません。

そんなこんなで
宇佐八幡宮から勧請(分霊)されて建立された
京都の石清水八幡宮は
伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟として
もう何百回と天皇や上皇が
行幸(御幸)されたらしく、
その数は伊勢よりはるかに多いらしい。
まぁ石清水の方が行きやすいしね。

石清水八幡宮は清和天皇の時代に
建立されたんだが、
実は先にも出てきた”清和源氏”というのは、
清和天皇の子や孫が臣籍降下して
名乗った名前なので、
そういう所から"清和源氏"の氏神になった
というのもあるんだろうな。

ちなみに一番初めの源氏は
嵯峨天皇から臣籍降下した
"嵯峨源氏"だそうだ。
そして21あると言われる源氏派の中で
たぶん一番有名なのが清和源氏で、
ここに連なる著名人が源頼朝であり、
足利尊氏であり、徳川家康(自称!)である。

八幡神はとにかく
朝廷との結びつきが強く、
国家事業レベルのものに結びついているので、
だから広まったんだなというのと、
調べると稲荷神以上に沼だなということで、
他にも調べるべきことは
たくさんあるんだけれど、
あくまで趣味レベルの探索なので、
もうこれくらいでいいでしょう。

八幡神と聞いて
いろいろと頭に浮かべられるくらいには
もう十分調べたよ!

ということで次は天神系を
調べようと思います。

※あくまで何者でもない素人主婦の
ちょい調べですので、
間違っているところもあると思います。
ざっとこんな感じかな程度でお楽しみください。

※神様のお名前を略したりしてけしからん、
とかあるかと思いますが、
長い名前による知識吸収の挫折を避けたく
このような形にしています。
悪しからず…