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西郷どんは『隆盛』じゃなかった!?親友の勘違いで変わった名前の秘密。

★3年くらい前に書いた没原稿です。

 来年の話をすると鬼が笑うといいますが、2018年の大河ドラマは『西郷どん』ですね。脚本の園ミホ氏は「西郷隆盛という人物は謎に満ちています。決して聖人君子ではない。太った愚鈍な男でもない。」とおっしゃっておりますが、この西郷隆盛、最初は「隆盛」ではなかった話を皆さまはご存じでしょうか?

 西郷隆盛は薩摩の下級武士の家に生まれましたが藩主に見いだされ幕末に活躍、薩長同盟の成立や大政奉還に後見した明治維新の立役者です。(以下、話の流れ上、西郷隆盛を『西郷どん』と表記いたします。)
西郷どんが生まれた時代、武士には幼名があり、本名にあたる諱(いみな)は軽々しく使うものではなく、官職名や通称で呼ばれるのが普通でした。西郷どんも幼名は小吉といい、元服時に諱を『隆永(たかなが)』としました。通称は色々変わりましたが善兵衛や吉之助などです。
さて時は明治2年、王政復古に功績のあった西郷どんは明治政府から位階をもらえることになったのですが、遠征で連絡がつきません。位階を与えるのに名が分からないでは困ります。そこで役人は西郷どんの親友である、後の日本鉄道会社社長となる吉井友実に西郷どんの名(諱)を聞きました。さて吉井友実、普段は通称である「吉之助」と呼んでいましたので諱が分かりません。一生懸命考えて思い出した名前が『隆盛』。実はこれ明治維新で活躍した西郷どんのお父さんの名前(諱)だったのです。こうして西郷どんの名前は『隆盛』で登録されてしまいました。西郷どん、このことを気にするかと思いきや、以降西郷どんは西郷隆永改め西郷隆盛となったのです。元々諱というものは主君など目上の方の前で使うものですから、明治天皇から隆盛の名前で位を貰ったならそれが本名でしょうという思いがあったのかもしれませんね。

 実はこの時に西郷どんの弟も名前が変わっております。西郷どんの弟、『隆興(りゅうこう)』も明治維新に功績のあった人物でした。維新後、太政官に名前を登録する際に西郷(弟)どんは口頭で名前を伝えました。「おいは西郷リュウコウですたい。」しかし薩摩訛りが強かったため役人が「ジュウドウ」と聞き間違え西郷『従道』で登録してしまったのです。当の本人はあまり気にせず、そこから名を従道にしたそうです。なんとも大らかな方ですね。従道は明治政府でも内務大臣等の要職についております。
幕末、明治と活躍した西郷兄弟の名前にこんな秘密があったとは面白いですね。

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