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【陣中見舞】国葬警備お疲れ様です。

 外事警察。それは、四半期(しはんき)で「売上」を競う、47都道府県警察の営業現場だ。

 

「私の語学は、ハングルなのですけれどね。うちの会社(県警本部)には専従職員がいないのですよ。四半期も40くらい。ありえないでしょ?!」

 

 と、ロシア業界のビジネスパーソンの忘年会のテーブルの「しま」で埼玉県警警部補が悔しがり、神奈川県警巡査部長は、

 

「うちの会社は400でしたけれどね、大阪(府警)が強烈な追い上げでピリピリしてキツかったですよ」

 

 と応じる。社内用語だ。初対面だが、名刺交換は済ませている。筆者には、すぐにその意味するところが推測できた。


「『大阪』ですか?私は、幼稚園から大学院まで大阪出身なのですが、『大阪府警』といえば本部のある『馬場町(ばんばちょう)』は知らぬ者はいないくらいの存在で、私のあこがれでした。私にとって、『大阪府警』といえば『阪神タイガース』みたいなものですよ。小学1年生の時に、鉄棒・のぼり棒・ジャングルジム・飛び箱・マットが全部ダメで、プール開きの時にプールに潜るのがこわくて『大阪府警警察官になる』という幼稚園の頃の『夢』を、公立小学校であきらめた私ですが」

 

 そう答えるのは、大阪府警外事警察(ロシア担当)の協力者だという姿を隠した、筆者。「会社」の話を誰が聞いているかわからない。民間の異業種交流会の忘年会で大きな声で話すのは、危険。少なくとも、筆者には、その概要がわかる。東京都内のビジネスパーソンの参加する忘年会。会費はたしか、5,000円くらいだ(学生割引あり)。そんな席に、町田市在住の大阪弁を話さない筆者が、「大阪府警」という「同業他社」の名を出したのだから、警戒されるだろう。

 

「『阪神タイガース』ですか。中西におさえられた時の悔しさ、私は昨日のことのように覚えていますよ。私は『西武ライオンズ』のファンですから」

 

「そうですか。でも、いいじゃないですか。あの後、『西武ライオンズ』は森監督のもとで黄金時代を迎えましたからね。私が『阪神タイガース』のファンになったのは、小学2年生だった1987年のことですから、『1985年』のことは映像でしか知らないのですよ」

 

「お若いのですね」

 

 「阪神タイガースが守護神・中西投手の活躍により、西武球場で西武ライオンズをくだし、日本シリーズを制した1985年。その時に、私は物心がついていなかった」ということを伝えることで、上下関係・年齢・階級に厳しい「会社」に所属している埼玉県警警部補に、初対面の筆者への立ち位置が伝わったようだ。

 

「どなたの紹介で、『今日』は来られたのですか」

 

 異業種交流会。会員の紹介がなければ忘年会に来られない。

 埼玉県警警部補は、日銀OBでロシア大使館勤務経験のある会員の名前を出した。なるほど。隣のテーブルの「しま」に着席している。

 

 モスクワでの勤務経験があれば、彼の人脈にたどりつくことは、首都圏ならば可能だろう(大阪在住であればきわめて困難だろう)。インテリジェンスにはご理解のある方だと推測する。

 

 筆者が、「阪神タイガース」を強調した口吻で、神奈川県・埼玉県の「会社」の方も、会話に聞き耳をたてている者がいるということが伝わったのだろうか。埼玉県警の二人と、神奈川県警の合計三名は、乾杯発声の後に立食形式の展開になると、それとなく一緒に店外に出て、真顔で情報交換をしていた。ファイアーウォールの厳しい「会社」。キャリア官僚の知るところとなったら・・・・・・、キャリア官僚が都道府県警察勤務となったら、

 

「『これだけは警察庁に言えない・・・・・・』『これを知ったら警察庁は激怒するな・・・・・・』といった、どんな現場でも抱えている苦悩を実体験し、時に、地元警察官とある種の共犯関係に入ります(といって、警察キャリアは誰もがそれを経験しますので、警察庁の側も当然、ある程度はそうした秘密・苦悩をお見通しで黙っていることも多いのですが)」。

 

古野まほろ(2022)『警察官僚』(祥伝社新書)p.122

 

 そろそろ自己紹介をしておこう。

 筆者は、大阪府警外事警察協力者(2006-2018)。

 ロシア担当。

カウンターパートの大阪府警警部補と会食する時のコードネームは、武藤。

秘密保全(保秘:ほひ)の観点から、本名の神谷(かみたに)で呼ばれることは、ない。一定程度の関係になればコードネームを「設定」する。

 

 実は、冒頭に登場した神奈川県警巡査部長には、(おそらく)協力者としてリクルートを試みられたことがある。

 

「うちの会社(神奈川県警察本部)からJR横浜線に乗っていけば、町田はすぐそこなのですよ。・・・・・・先生!」

 

「先生!」という言葉は、低く、ドスの効いた声量としては小さなものだった。

 

「ご承知のこととお察ししますが、町田は『東京』です。小田急町田駅は東京都内ですが、JR町田駅の構内の一部が神奈川県相模原市だということは知っています。でも、私(筆者)は、あいにく、小田急町田駅が好きなのですよ」

 

 といって断ったことを大阪府警警部補に話したら、

 

「やはり、しかけてきましたね。『神奈川』。」

 

「でも、御社にとって、『東京本社町田支店』(警視庁町田警察署)に同期入社の同僚がキャリアも含めて人脈をたどれば、『町田支店』を通じてリクルートするというスジは考えられないですか」

 

 筆者は、「京町家(新百合ヶ丘)のいつもの個室で、月例の会食で尋ねた。

 

「いや。『神奈川』のプライドにかけて、それはゼッタイにしないでしょう」

 

 義理堅い筆者(武藤)。しかし、「町田」とか言いながら、「大阪」の協力者だということに違和感を抱く読者は、おそらくおられるだろう。敵なのか、味方なのか、そもそも、武藤を信じていいのだろうか。

 

 上記拙著には、「誤植」というか、「著者の誤解に基づいた、『正確な記述』」がある。警察庁(本庁)という会社の中では、室長と課長のどちらが上席なのかということを、筆者は誤解していたようである。古野『警察官僚』p.168,169を見開けば、筆者(武藤)が「誤解」をしていることに気付くのだが、その誤解によって奮起したので、「国益」にとっては有益(?)だったと思う。

 

 野田佳彦首相(当時)から突然解散総選挙をもちかけられ、それに応じて賭けに出て、それに大勝した安倍晋三自民党総裁(当時)。歴史の法廷に立つ、必ず来るその時に、憲政史上最長となった第二次安倍晋三政権の「歴史」は、検証されるだろう。

 

 安倍晋三首相。

 

 在任中は、色々な人から、「安倍さんは、『歴史に名を残したい』と思っている」と言われたり書かれたりしていた。ご心中を歴史家や政治学者が肉声として記録する機会は、(しかるべき方が、しかるべき方法で記録していない限り)永遠に失われたことを、お悔やみ申し上げます。

 

 以上のことは、プロローグである。

 

 伊勢志摩サミットが終わった後の最初の月例会食(検討会)だと思うので、2016年6月27日だろうか。

 

 サミット直前の2016年5月17日に会食してカウンターパートの大阪府警警部補貸与した資料目録は手元のPCに保存しているのだが、その後に5月24・28・30日と立て続けに資料を郵送した記録があるので、伊勢志摩サミット警備シフトで大変だろうなと思いつつ、大阪府警が他46都道府県警察のロシア部門に出し抜かれないよう、適宜に資料を送ったのだと思う。四半期の決算で、警視庁には勝てないけれど、神奈川県警をおさえて2位を奪取したい日々だった。

 

 伊勢志摩サミット。日本をあげてのオオゴトなので、報道をはじめとした公開情報も多くなる。公開情報の背景を理解するために必要だと思われる資料(時期をズラした月刊誌や、公開情報で気になったテーマの文献)を郵送し、文献の場合は該当ページ番号を携帯メールで伝えるなどをして、「大阪」の協力者の役割を果たして。もちろん、筆者が東京都町田市内という首都圏在住だからこそアクセスできる資料や情報や裏話も逐次出していたことがPC内部の記録からうかがわれる。

 

 逐次の小出しの情報提供。ビジネスパーソンであれば怪訝に思われる「ホウレンソウ」だと思う。筆者がカウンターパートである大阪府警警部補に、伊勢志摩サミットの直前の「臨戦態勢」でいつなんどき伝えても、忙しくて見落とす可能性の方が高いだろうし、それが関心事項であるとは限らないし、カウンターパートの警部補が報告書に出したとしてもフィードバックは四半期で「大阪」の売上としてまとめて霞が関から点数と順位のみ評価されるという一方通行なので、ヨホドのことがないとどの書類が上層部でどのように評価されているのかは知らされない。

 

 こうした事情を前提として(もっとも、この「前提」は筆者が接したカウンターパートが会社内で共有されていた、社外の協力者へのカバーストーリーである可能性も排除できないが)、このような不思議な筆者の行動につながる。そもそも「2016年5月17日に大阪府警警備部門所属の警部補と、東京都町田市近郊の個室居酒屋で会食する」という日程調整は、カウンターパートの脳内(直前だけれども、この日時であれば時間をとれるし、とる必要がある)にあわせて行ったと推察される。

 

 こうして記録を掘り起こしてみると、5月24日から30日までレターパックを三度送っていたことになるので、筆者の財布も当時は潤っていたのだなと、過去の栄光に思いをはせる今日この頃である。筆者に共感してくださった方には、下記リンクより拙著をご購入いただける・・・・・・のだけれども(ちなみに777円の拙著を1冊お買い上げ頂いても筆者の口座に入金されるのは247円くらいなのでレターパックは買えない)、アマゾンの読み放題対象商品なので、無料でお読みいただけると幸いである(既読ページが大きな数字になると非常に嬉しい。1円単位で嬉しい)。本稿に書いている事柄への言及はないので、お時間を頂戴するのに筆者は損をさせない自信がある。

 

 そもそも拙著出版は、2020年11月15日(ひょっとすると、米国時間?)だということはアマゾンでご確認いただけるし、出版後にロシアによるウクライナへの軍事侵攻など「色々と」あった。後年の検証材料に資するように、PDF文書に変換するという手間も忘れてWord文書のアマゾン社の出版サイトにアップロードした本文には手を加えていない原状のままである。その後に、誤植の訂正は表紙に明記したのも2022年9月のことだ。本稿をここまでお読みいただけるほどのご関心のある方であれば、お楽しみいただけると期待する。では、改めて。

 

 

 

 

 さて、上記拙著に登場する人物でいえば、大阪府警警部補の三好とのやり取りである。伊勢志摩サミットが終わった後の最初の月例会食(検討会)だと思うので、2016年6月27日だろうか。文章構成力がない筆者の不明は棚に上げて、一般読者を想定して脳内時系列の混乱を回避するべく重複を承知して書いた。

 

「伊勢志摩サミット警備。本当にお疲れ様でした」

 

 筆者(武藤)は、外事警察(ソトゴト)が表向きには警備部門に所属することを慮って、大変だっただろうなと思いつつ、かといって苦労話を聞く立場にはないという前提のもと、カウンターパートの三好とビールで乾杯した。

 

 どのようなやり取りをしていたのかは「記録に残さない」ことが絶対的な約束なので、筆者の記憶だけが頼りである。筆者が「武藤頼尚(むとう・よりひさ)」のコードネームで大阪府警と協力関係にあったのは、2010年から2018年5月29日の決裂までなので(「武藤誕生」の日付を特定しょうと2010年の手帳とPCの記録を探ったが、特定は(本稿執筆時点までには)不可能だった)、第二次安倍晋三政権の歴史家の検証に役立つ形へ昇華させ、学術的な検証などのしかるべき手順をふめば、第二次安倍晋三政権の「歴史」の傍証となる、かもしれない。

 

 もっとも、筆者の記録や記憶と、第二次安倍晋三政権期に法整備された特定秘密保護法(通称)の所定の期間を経て公開された一次史料の中で「武藤」の名前を後世の歴史家が発見し、照合・確定に成功すれば、それは、「歴史」となるだろう。本稿公開日(2022年9月27日)が安倍晋三元首相国葬の日だからといってなんでも盛り込むのは、安倍晋三元首相に対して礼を失することになるのでくどいように書くと、公文書の保存の法整備を行ったのは、福田康夫政権の実績としてあげられる。

 
 ただし。私的な席で「歴史家」を名乗った、安倍晋三元首相の有識者懇談会のメンバーによると、「『秘密』が、『秘密』として守られるということは、後世に『秘密』が記録として残ることを意味する」とのことなので、福田康夫政権と第二次安倍晋三政権とは車の両輪だという視点も可能であろう。両政権の間では、「自民党下野」が起きたことは今日(2022年9月27日)の読者にとっては記憶や政治学のテキストで疑問をさしはさまれるだろうが、本稿の趣旨に鑑みれば(野田佳彦首相の国葬出席を除いて)些細な指摘にすぎないが、(筆者の実績が信頼を勝ち得ていない現状にてらしあわせて)念の為に記述しておく次第である。

 

 さて。「武藤」というのは、筆者(神谷:かみたに)のことであるが、2010年に外事警察のカウンターパートと会食する際に設定したコードネームである。三好の前任者の長門と示し合わせて設定した。会食場所は、必ず、個室。壁に耳あり、障子に目あり。「会話の中で『神谷(かみたに)』という名前が出ているのを、誰かが耳にした」という事態を回避するために、コードネームで呼び合っていた。入店も退店も、別々。筆者のリアルの親戚の中で、「武藤さん」は、少なくとも筆者個人の知る範囲ではいない。たとえば母方の祖母(故人)の従兄弟の配偶者の旧姓が「武藤」だというケースがあるかもしれない、という程度である。なお、「武藤」は実際に使っていたコードネームであるが、「三好」も「長門」も、モデルとなった人物のコードネームでも本名でもない。

 

 筆者(武藤)が後年に「小説出版」という事態になることは、おそらく夢にも思わない状況の中で、三好がしみじみともらした。

 

「近鉄は、親切な会社ですね。訓練のために、ちょうどいい場所にある、施設を貸してくれました。ありがたいことです」

 

 三好は、感慨が漏らすように、相好を崩した。「このくらいの表現なら、『社外秘』でも問題ないだろうし、武藤が口外することはありえないだろう」というお約束のもとで、つぶやいた。ソレっぽいカバーストーリーをつかませることは、社外の協力者の知的好奇心と、それと裏腹にある「俺だけが極秘情報を知っている」という知的優越感をそそる。

 

 ひょっとすると、明星駅かな。

 

 筆者(武藤)は、反射的にそう思った。

 

 物心ついた頃から伯母(母の姉)に近鉄特急に乗せてもらって、今から思えば結構な頻度で祖母の家(これも今から思えば、祖父が物故してまもなくの頃からだ)に土曜日に連れて行ってもらい、日曜日に大阪から自動車で合流する父母への「孝」も尽くすことも知らず、近鉄特急に乗せてもらえる伯母と一緒に帰った1980年代後半の鉄道少年だった筆者のことである。

 

 近鉄電車に興味を持たないハズがない小学生時代を送ったので、筆者には「勘」がある。三好のいう「ちょうどいい場所」とは、明星駅のことではないかと思った。

 

 筆者は、近鉄・明星駅に降り立ったことはない。しかし、鳥羽・賢島(伊勢・志摩)といえば、大阪府民にとっては、宿泊を伴う格好の行き先である。JR町田駅を利用する筆者の目線でいえば伊豆、都心部の感覚でいえば日光あたりだろうか。新幹線を使わずに在来線で宿泊旅行の定番の行き先。それが、大阪市民にとっては近鉄(きんてつ。近畿日本鉄道)は御用達である。異論は認める。JR派なら白浜をあげるだろうし、南海派の高野山という向きもあるだろう。

 

 近鉄・明星駅。近畿日本鉄道の社内ではどのような扱いなのかはわからないが、近鉄特急に乗って鳥羽・賢島方面から大阪への帰路で、「【普通】明星」という行先表示をした普通列車とすれ違った記憶が、筆者(武藤)の脳裏にはある。車窓を眺めるのも好きだった鉄道ファン、それもダイヤ編成や停車駅に興味のある鉄道ファンだったのと、筆者の母校が明星中学・明星高校(大阪)だということも影響しているのだろう。近鉄・明星(みょうじょう)駅には、何らかの鉄道施設があるのではないだろうかと思っていた、明星(めいせい)OB。それが、三好のおそらく知らないだろう筆者(武藤)の脳内である。もっとも、武藤が鉄道ファンだということは、三好も、その前任の長門も、知識としては知っている。「鉄道ファン」といっても、色々いるのです(たとえば、小田急町田駅をこよなく愛する筆者は、藤沢駅に苦手意識を持っているのだが、「藤沢駅に停車する小田急ロマンスカーは、すべて、町田駅を通過する」ということが唯一の理由である)。

 

 鉄道にまつわる何らかの施設があるとすれば、始発駅(終着駅)をイメージされるだろう。しかし、利用客の多い駅(たとえば、近鉄特急停車駅)を大々的に利用できるだろうか。「見せる警備」という言葉がメディアで取り上げられたのは、伊勢志摩サミットの警視庁(正確に言えば、「東京都警察」と表現すればよいだろうか、ローカル性を強調する意味で)の広報戦略がそのさきがけだったような気がする。本稿の会食は、まさにその同時期の2016年5月・6月である。

 

 同時期にその現場にいた当事者には、その置かれた環境の全体像を同時期に知ることは、一般論として、最高責任者でもない限り不可能である(部門の責任者であっても、報告は総責任者(本部長)にとどめ、他の部門責任者レベルには共有しない事項もあるだろう)。

 

「うちの会社(大阪府警)は嫌われていますからね」

 

 三好も、その前任の長門も口にしていた。

 

「厳重な警備体制がしかれている」という状況は、市井の空間では歓迎されない。「『サミット警備の一環で、首都圏内でのテロを警戒して、皆さんの中にも身に覚えがないにもかかわらず職務質問を受けるかもしれません』と警視庁公式アカウントがTweetしていますよ」という筆者(武藤)の発言に、三好は目を丸くしたものである。

 

 「みかんの汁がズボンに落ちました…」で、警視庁のTwitter担当者の「甲さん」を覚えている方もおられるのではないだろうか。奇しくも、「甲さん」が警視庁Twitter担当からの異動があったのは、伊勢志摩サミットの約2ヵ月後のことである。日本における「警察による警備の常識」を年表にするならば、「甲さん」による警視庁公式アカウントによる運用(甲さんがいなくなる「休止期間」(筆者仮称)も含めて)が、「伊勢志摩サミット警備を目標とした施策」として書き込まれる・・・・・・という研究は、おそらくなされないだろうな、と思いながら書いている。

 

【参考:ここから】

『ねとらぼ』(2016年9月9日20時24分公開)

「警視庁Twitterのユルい中の人『甲』さんが異動に 『とうとうこの日が』と別れを惜しむ声も」

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1609/09/news158.html

(筆者アクセス:2022年9月26日)

 

 

合同会社フォルクローレ(2022年1月5日11時30分公開)

「“中の人は駐在さん”出版記念! ツイッター警部、初のオンライントークイベント 『みかんの汁の飛ばし方』を1月27日に開催!」

https://www.atpress.ne.jp/news/292043

 

NHK NEWS WEB (註:筆者は「NHK防災アプリ」から検索)

 

【全文】奈良県警 鬼塚本部長会見 “職を辞して責任取るべき” | NHK | 安倍晋三元首相 銃撃(2022年8月25日 21時54分)

 

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220825/k10013788051000.html

 

安倍元首相銃撃 検証結果まとまる 現場指揮や情報共有不十分|NHK 奈良県のニュース((筆者補注:2022年)08月25日 17時40分)

https://www3.nhk.or.jp/lnews/nara/20220825/2050011474.html

 

(上記電子情報への筆者アクセスは、すべて2022年9月26日である)

 

【参考:ここまで】

 

 本来であれば、前掲「【全文】・・・記事」の奈良県警・鬼塚本部長(当時)と記者との質疑応答の中にある、記者の発言、「(以前の警護)計画を踏襲させてしまったことについては、どう考えていますか」について、もしも筆者が警備の専門家を名乗るのであれば、追求するのが、誠意ある姿勢であろうと思うが、残念ながら記者会見の現場にいあわせていないので、それをすることができない。

 

「(以前の警護)」というNHK記者(編集者?)の補った言葉についても、当該表現の補い方・言葉の選択等が適切であるかということについて、説明責任をおうべきだと思う(しかし、筆者にはそれができない)。

 

 研究者としての良識を問われるならば(学術論文に投稿するのであれば)、「NHK NEWS WEB」という同じメディアが発信している電子版記事でありながら、なぜ、「2022年8月25日」「08月25日」と公表時刻についての表記の揺れが生じているのかということについて、説明責任をおうと認識しているが、残念ながら依拠するべき「投稿規定」は存在しない。たとえばA学会に論文投稿するのであればA学会の投稿規定を遵守し、不明な点があればA学会の編集部等に問い合わせをするなどの手順を踏むべきであるが、noteへの投稿となると「A学会」にあたる組織等が存在しない(筆者の「良識」を読者に信じていただけるかどうか、の一点にしか、真実性を創造するよりほかない)。

 

 真実性の創造について。長門が、かつて口にしたことがある。

 

「武藤さん。僕は、『大阪』ですが、武藤さんの情報や分析が良いと、『ウエ』へ『ウエ』へとあがります」

 

「『ウエ』とは、誰ですか」

 

警察庁長官。・・・・・・名前、調べたことがないな。

警視総監。違うだろう。

北村滋(内調。当時(?))氏かな。

筆者(武藤)の脳裏に浮かんだ人名は、「北村滋」。

野田佳彦首相の「安全運転」。その、野田佳彦首相と面会回数が最も多かったのが、「北村滋」だったという事柄が記事化されたことを、筆者(武藤)の脳裏に浮かんだ。

 

長門は、一呼吸置いて、答えた。

 

「内閣総理大臣です」

 

・・・・・・筆者(武藤)が記憶しているのは、長門が満を持して答えただろう言葉に、軽く失望したからである。職人気質の筆者(武藤)としては、「北村滋」の方が嬉しかったな。拙著の最後のページには、安倍晋三首相退陣と菅義偉政権発足で終わっているが、筆者(武藤)の情報のゴールとして目指していたのは、「北村滋」だ。


 ところで、冒頭の埼玉県・神奈川県の遭遇での生々しいやり取りは、三好の耳にいれた。

 

「『ウエ』は、『神奈川』にハッパをかけようとしていたのでしょうね。ウチ・・・・・・『大阪』には四半期の数字と順位を一方的に伝えられるだけで、途中経過なんて教えてもらえませんよ」

 

 小谷賢(2022)『日本インテリジェンス史』(中公新書)p.248に、「A4用紙1枚の分析ペーパー」の小見出しのついたパラグラフがある。同書が企画にのって執筆されていた同時期に、筆者はインテリジェンス・コミュニティーに、関係者に含まれない末端で関わっていた。

 

 そして、これが最も肝心なことだと思うのだが、学徒の筆者にとっては、(「学徒」にあるまじきことながら)酒の席での記録に残さないという約束のもとで行われていた議論で「消費」されていた。

 

 研究者になりたい。

 

 筆者のささやかな「学徒」としてのささやかな矜持は――筆者の手帳を見れば、「新百」「相・大」(新百合ヶ丘、相模大野)という地名とともに会食したという記録が残っている――、その際に贈与・貸与した資料目録や下書きの文書とともにPCに保存されている。

 

 そして、幸か不幸か、筆者には、文芸として創作する才能がない。

 逆に言えば、筆者の五(六?)感を通して認識したことしか、書くことができない。たとえば、「第二次安倍晋三政権における日露外交」というテーマで、最初は小説であっても、それは創作性に乏しい、「歴史」にある意味で忠実(?)な「小説」に仕上がることを意味している、のかもしれない。

 

 最後に。

 安倍晋三元首相の警備に際して、陣頭・現場の警察官の皆様に、陣中お見舞い申し上げます。

 

2022年9月27日14時30分

#私の仕事

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