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「もぉしかして恋の相談?」「はい!はい!はい!!!」

#anime_eupho 『響け!ユーフォニアム2』で黄前久美子と高坂麗奈が一緒に花火を見ていた時。花火が広がっていく時の映像と黄前久美子のナレーションを耽美しながら思い出した。思い出をギュッと冷凍保存したのが解凍されたように、作品鑑賞中の筆者の脳内に、その思い出は「花火」のように炸裂した。

「浴衣を着て、大阪の花火に行きたいな」。

 電話口の向こうの彼女は、筆者にそういった。西暦2000年のこと。
 彼女は基礎ゼミで知り合った経済学部の同学年。

筆者は法学部。ドイツ語が一緒の、法学部同級生への恋の相談をしていた。彼女の苗字は、2021年12月8日アクセス情報によると、首相秘書官(1989年大蔵省入省)と同じ。もしも親戚だったら見なかったことにしてほしい。

法学部の彼女への恋について、経済学部の彼女に相談を半年間ほどほぼ毎週電話していた西暦2000年。
事件は起きた。
2000年6月7日。

「好きです!」

参謀の経済学部の彼女に相談することなく、法学部の彼女に突撃して、玉砕。そのことを経済学部の彼女に報告すると、絶句。

「早すぎる・・・・・・」

 これで、経済学部の彼女との縁も切れると思っていたが、そうはならなかった。
 筆者に彼女がいないことを知った上で、

「浴衣を着て、大阪の花火に行きたいな」。

と筆者に電話口で告げた彼女は、広島出身で大阪の地理がよくわからないらしい。学外の社会人サークルに参加していたので、筆者は社会人のお姉さん方に大阪の有名な花火大会一覧表をWordにしてアクセス(阪急石橋駅からの電車情報)や、梅田駅の地下街は迷いやすいのでJRへの乗り換えを推奨するなど、文書にまとめて彼女の下宿に郵送した。

 何か、とんでもないことをしてしまった気がする。
花火事件の前には、こんなことがあった。

「フェルメール展。見に行きたいな」

絵画鑑賞をする機会のなかった筆者は、一人で行った。
ターバンの少女が、非常に、かわいかった。

「会場の場所の大阪市立美術館、わからないんだけど」

 阪急石橋駅ならば、阪急梅田駅に出て、JR大阪環状線に乗れば大丈夫。外回りと内回りのどちらに乗っても所要時間はあまり変わらないので大丈夫だよ、むしろ、最短ルートでたどりつこうとして大阪市営地下鉄で東梅田・梅田の地下街や地下鉄乗り換えをするよりも、阪急梅田の動く歩道に沿ってJR大阪駅に出た方が便利だよ・・・・・・それを教えた筆者、間違ってないよね???

「神谷(かみたに)君。ちょっと、どう思う?部屋で一緒に映画を見ただけで『つきあってくれ』なんて言う男子学生がいたよ。軽すぎない?私をなんだと思っているんだろうね?!」

と言っていた彼女。
 筆者は同感だった。
 彼女は、筆者のレベルを知っていたハズ。

「1限目の語学は大変。今日寝坊しちゃって休んじゃった。化粧もできないから」
「え゛?『化粧』をして、大学に行っているの?」
「え?そんなの当たり前じゃない」

 筆者は、中高一貫の男子校に6年間通ったが、浪人生活(1年)は共学である。

「神谷君って、『ショートメール』していないの?」
「してない。メールは自宅にPCがあるからメアドはあるけど」

 2019年12月13日。入社した生命保険会社の同期会。

「あの頃は、『ショートメール』の字数制限がさー」

と座が盛り上がっていたが、俺、「ショートメール」の思い出なんてないぞ。そうか、経済学部の彼女にショートメールを送っていたら、思い出ができたのか。毎週1時間くらい携帯電話で話していた。

 そもそも、経済学部の彼女に恋の相談を持ちかけた発端は、片思いの法学部の彼女に話しかけるべく、一般教養(共通教育)の授業感想ノートをじっくり書いている法学部の彼女が教室を出たのを後から追い、呼び止めようと声をかけようとした時に、法学部の彼女が歩く速度をあげて女子トイレに入ったことだった。

「これじゃダメだ。俺は、女心(おんなごころ)を知る必要がある」

 基礎ゼミで同じだった、経済学部の彼女に「女子トイレに逃げられたこと」をうけて作戦会議を相談したのだが、今から考えても、おそらく当時(1999年秋か冬)の価値観から考えても、法学部の彼女からは明らかに避けられている。下手をすればセクハラとして大学内部では済まずに警察沙汰だ。

 そんな第一報を正直に打ち明ける筆者も筆者だが、

「○○さんとはドイツ語の授業で一緒になるし、よく話すから私に任せて」

と言ったのは、経済学部の彼女だ。「真実」を告げずに、筆者に法学部の彼女へアプローチする方法を断念する方向にもちこまなかった、経済学部の彼女の論理構成を、もう一度聞きたい。たぶん、論理が破綻していると思う。

 経済学部の彼女には、マメに報告をしていた。

「神谷君・・・・・・『声をかけた』?!ダメじゃない、○○さん、驚いちゃうよ」

という折々の助言もむなしく、突撃敢行・見事玉砕(2000年6月7日)。

 その後、経済学部の彼女は、留学をして、米国からクリスマスカードを送ってくれた。
 それは、実家に保存してある。
 経済学部の彼女の手元には今はもうないだろうけれど、筆者は、当時は入手困難のスヴェトラーノフ指揮・ゴスオケ演奏の『交響曲第1番』(カリンニコフ作曲)のソ連製CDを贈った。

 彼女とは、「再会」した。「経済教室」『日本経済新聞』で。

 大学で研究をしている彼女は、ビジネスパーソンを前に『日本経済新聞』に登壇したのであるが、その教室の第一番の生徒は、筆者なのかもしれない。彼女に連絡をとるとフツーに迷惑なので(違法とはいわないまでも、41非婚・従業員なしの個人事業主の筆者としては、社会通念上許されないと思うので)、それはしない。

 経済学部の彼女も、法学部の彼女も元気でいてほしい。
 二度と会えないと思うけれど、思い出をくれたことを、私は大切にしている。
 Festina lente! 拙著↓。



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