見出し画像

樹木希林さんからの電話

ライター:福田房枝(サエさん)

『福田さーん、〝ききさん〟という方からお電話がはいってまーす』

雑誌の締め切り前、眉にシワ寄せて?
原稿をチェックしている私に
3階で電話を取ったスタッフが、
2階に籠っている私に、大きな声で!

ハア?
〝ききさん??、って、誰?〟
頭を切り替えられないママ
電話を繋いでもらうと、

『私、樹木希林といいます。
先日、依頼があった取材の件ですが、、、』

樹木希林さん、ご本人からの電話だった。


私達からの取材の依頼を「お断りしたい」という旨
の内容だったのだが、
私は、その口調はもちろん
樹木希林さんが断りたい理由を伺って、
甚く(イタク)感動したのを覚えている。

    〇〇     👀

雑誌の中に、
編集長の『この人に会いたい』
みたいな欄があり、
その4頁に登場いただけないかを、
打診していた。

NPO発行の、『子どもと文化』を主とした
マイナー?な雑誌。

内容は、イジメや少年の殺人、
家族の崩壊、学校のあり方を問うなどの
特集記事から、

子どもの舞台芸術に対しての
痛烈批評も含めて、
タブーのない、本📕づくりを目指した。

斬新な編集だった!!(自画自賛👏)

だからなのか?
この人ダメでしょう!と思うような著名人の方々も、たくさん取材を受けてくれていた。
(コレまで、この欄の取材で、
断られた事がないのが自慢の一つ!😅)

だから?
樹木希林さんも大丈夫🙆‍♀️でしょう!と、どこか安心して、取材申し込みをしたところがあったので、
少し意外な気持ち、ではあった。

彼女は、電話口で、仕事や当時いたマネジャーさん?などとの確執を、細かいところまで正直に語りながら、

『取材って、私の中にあるものを出すのよねえ、いま、来てもらっても、
私、なーんにも出すものが無いのよ、
今、私、心が空っぽなの!!』

そんな内容のことを、真摯に正直に?
お話くださった。

思わず、編集者にこんな事まで話していいのぉ?
とツッコミ入れたくなるくらいだったので
その時のことは、
印象深く覚えている。

いつもの私だったら、
〝もうひと押し〟する場面なのだが、
樹木希林さんには、
それをしなかった。

で、『ご事情は、よく分かりましたので、
取材は大丈夫です!
応援📣しています、頑張ってください』と、電話を切った。

   〇〇      👀

この、樹木希林さんの対応、
コミニケーション能力には、
学ぶところがたくさん!

当時の私は、とにかく〝粘り〟を信条に仕事をしていたが、その私がアッサリ納得した!    

何故?

①正直に
②ありのままを晒す
③キッチリ、相手と対峙し、
 真摯に気持ちを伝える。

この態度に、こちらが〝心〟を打たれたから🙋‍♀️‼️

コレは、仕事に限らず、全ての人とのコミュニケーションに通じるのでは?

彼女がNHKのドキュメンタリー番組に
出ていたのを観たことがある。

出演ギャラ?の交渉の場面、
プロデューサーの、
『〇〇円では?』との提示に、
彼女は、なんの衒いもなく、
『〇〇円で』と。

(もちろん金額は?だが、やりとりは開示)

感動したのは、
ギャラ提示に対しての樹木さんの返し方。

上からでも、下からでも、
もちろん、高飛車でも、ゴマスリっぽくもなく、ただ、自分の気持ちに正直に、
淡々と、当たり前に、
ご自分を〝主張〟されていた。

それは、ドキュメンタリーの記者さんにも同じだった。
思ったことをはっきりと言い、
そのやりとりを、テレビカメラの前でも、そのまま映し出していた。

    〇〇     👀

『あっ、あの時の彼女と一緒!』

樹木希林さんの真骨頂は、コレだと!

どんな人にも
〝自分のありのままの姿〟で対する。

ソレは、
私に対しても、
プロデューサーに対しても、
ドキュメンタリーの記者に対しても、
カメラの前でも、 

どんな人にも、どんな場面でも、
『おんなじ態度』

まさに、『自分軸の人!』
           

           オワリ

(追伸)
〝樹木希林〟さんは、
 以前は〝悠木千帆〟さんという芸名。

1977年に、この名前を、オークションで売りに出したことで、話題を呼んだ。

新しい名前、
〝樹木希林〟の名前の由来は、、、、

「木や木が集まって希(まれ)な林を作る。みんなが集まって何かを育み、育てる」といったものだった。
と紹介されている。

【ご案内】
令和の隣組は、想いを同じくする仲間達と
NPO法人「自分軸ネットワーク」を創設します!!
👇👇公式LINEリンクはこちら👇👇
NPO法人「自分軸ネットワーク」
https://lin.ee/Az40QHd

#自分軸
#樹木希林
#コミュニケーション能力

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?