見出し画像

【Bistroメニュー開発】番外編 一番近くにあったけど、実は一番遠かった餃子

料理人にとって修業は必要か?

YouTubeやSNSで様々な有益情報が簡単に手に入る現代に、下積みは必要でしょうか?

結論から言えば、それは人それぞれだし、ケースバイケースだと思います。

しかし、厳しさや悔しさを経験したからこそ、できる料理というのは確実にあると思っていて、今回正式に新メニューになった、「1048和牛チャオズ」が僕の中ではまさにそれです。

前職の厳しい下積み体験が強烈なバックボーンになっていて、技術やテクニックなんて、もはや関係ありません。
一言で言えば、「血と汗と涙の結晶」です。

今回は「1048和牛チャオズ」が生まれる前、下積み時代の体験談を交えながら、料理人にとって修業は必要か?という事について書いてみたいと思います。

前職での絶望体験


僕は19年間、都内高級中国料理店で働いていました。

ここでの調理場は労働時間は長く、かつ厳しい先輩達に囲まれる毎日。
正直厳しいものでした。

それでもなんとか必死に食らいつき、
料理を作る鍋場、包丁技術の必要な板場、前菜場など、一通りこなせる様にはなりました。

そんな中1つだけ、孤立した独自のポジションがあります。
それが点心場です。

点心は完全に技術職。
点心師の作る餃子を初めて食べた時、衝撃を受けました。

餃子はラーメン屋や町中華でもあり、馴染みのある大衆的な料理で、家でもよく作ります。
が、それとはあきらかに違う!もう全く違う!

それをものすごい速さで、正確に仕込んでいきます。

これがプロの仕事か・・・

僕はこの点心の仕事に憧れを持つようになりました。
レストランの歯車として店を支えることもやりがいはありましたが、常に孤高のポジションで、淡々と仕事をする職人の仕事が、僕には魅力的だったのです。

いつかは僕も点心をやりたいな・・・
そんな気持ちをずっと抱いていました。

でも僕は、人一倍不器用。
その上、頭が悪く、要領も悪い。
僕は自分の仕事だけで手一杯でした。

点心だけは、長く働いていれば自然と習得できるものではなく、自分で時間を作り練習しないとうまくなりません。
ふんわりとやっていたらダメなんです。

それでも点心の中で、簡単な部類に入る餃子は、なんとかできる様になりました。

しかし、「できるようになる事」と、「店として運営できるレベルでできる」ことは全く違います。
僕のレベルでは、寝ないでやっても間に合うスピードではありませんでした。

これ以上、上達する事は今の環境では限界でした。
それに僕が力を入れるべきところではなかったのです。

仮に頑張って上達したところで、点心師には到底及ばない。
ましてや点心師がいるので、僕が点心を上達することなど求められていない。

「お前、そんな事やったって無駄だよ!もっとやるべき事があるだろ!」

残って餃子を練習している僕に先輩は言いました。

先輩の言う通りで、本当に無駄でした。
深夜まで、練習しても全くうまくならない。

何やってんだろう・・・

そんな何も生み出される事もなければ、何も得られない「無駄な時間」を多く過ごしました。

肉まんを1500ケ作り、確信した事


そんな何も成果を得られない日々を過ごしている中、コロナウイルスの襲来。
レストラン営業は壊滅的になりました。

そこで出張販売をする事になり、その商品として肉まんを作ることになったのです。
ここは自らの意志で、誰よりも積極的に肉まんを作りました。

肉まんも餃子と同様に点心としての難易度は低い部類。
ですが餃子と違って、発酵があります。
上手に発酵のタイミングを合わせて、蒸しあげないとふっくらと仕上がりません。

1日にできる肉まんは最大で80ヶ。
みんなが出勤する時間は朝の8時。それに合わせて良い状態に皮と餡子を用意し、8時から包み始める。
約1ヶ月間、僕は朝6時30分には調理場に入っていました。

包むのは楽しく好きな仕事。みんなやりたがります。
大変なのは、包むまでにもっていく事と、完成した肉まんを梱包して片付ける事。
そこは誰もやろうとしません。

この仕事に関しては、やり切ることができました。
みんなが嫌がることも積極的に取り組むことができました。

そこで僕は確信したのです。
「人一倍不器用で下手くそだけど、やっぱり点心が好きで、やりたい事なんだ。そしてそれをやる為には、この職場では無いんだな・・・」

それから僕は、もう残って練習することはキッパリと辞めました。

ーーー

2023年より、中華料理からBistroへ転職
1年経過しジャンルは違いますが、なんとか調理場をうまく回せるようになり、新メニューを提案できる機会が来ました。
僕は餃子を迷わず提案しました。

今のBistroでも色々な仕込みがあります。それを抱えながら餃子を店として運営できるのか?
そんな思いもありましたが、躊躇することはありませんでした。

それは前職で、成果に繋がらなかった多くの時間や、やり切れない思いが僕をそうさせた事だと思います。

改めて、料理人にとって修業は必要か?


間違いなく言えることは、目的をもって取り組む事だと思います。
その場所にいるからって何もならない。
一流店に長くいたって、目的や目標がなければ、流されるだけで何も残りません。

僕の場合、一番やりたかった餃子は、目の前にあったけど、実は一番遠いところにあって、
自分でも思いもよらなかった遠い場所、Bistroで仕事にすることが出来ました。

(とりあえず!まだまだ改善していきたい)

かといって、一流の料理人に囲まれて、自分の技術のなさに絶望したけど、なんとか頑張ったあの時間は、今の僕の背骨となっています。
信じられることは、自分がやったことでしかない。

僕は修業は無駄じゃ無いと思う。
というか、無駄じゃなかったと思いたい!


僕は今、新たな職場において餃子をメニューにすることが出来た事で、過去が報われたような気がしています。
つまり、これからの行動次第ということ!


そんなこれからの行動に、力強い勇気をくれるのが、修業だと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?