俊@YouTube見てね

THE CLUB勤務/年間1億7495万/月間売上6000万/No.1ホスト→AV女優…

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THE CLUB勤務/年間1億7495万/月間売上6000万/No.1ホスト→AV女優のヒモ→スカウトマン→アフィリエイター→lT起業→AV監督→ひきニート→歩きお遍路→歩いて日本一周→ホスト復帰→ローランドさんの記録を破りグループNO.1獲得→ナンバー卒業/ご指名はDMまで、

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MOROHAに救われた

MOROHAというアーティストがいる。 俺は彼らの言葉。彼らの存在に救われた。 HIPHOPという控えめに見てもお金が稼げないジャンルでひたむきに彼らはもがく。ライブハウスの動員人数が少ない時でも、そこにいるただ1人。お前に届けばという思いを込めて。ただ、ひたむきに、命をむき出しにする。そんなやつらをインディーズの頃から追っかけてきた。都内のライブは全部通った。そいつらがファーストテイクに出た。ただそれが嬉しくて今この文章を書いている。というか書かずにはいられなかった。アフロ

    • 【20歳で月収200万を手にした男】~旅人編~

      歩き遍路の旅お遍路へ行く。それも歩きで、野宿で廻る。 引きこもりがちだった僕をそこまで誘ったものがなんなのかは、今でもよくわからない。分からないけれど、人間というものは、本当は自分に必要なものは自分がいちばん良く知っていて、必要な時が来れば自然と動き出すものなのかもしれない。それが遍路におけるお大師さんのお導きというものなら、そうなのかもしれない。 とにかく、僕は四国一周約1200キロの道のりへと旅立った。この旅の詳細は、本ブログの【四国遍路】カテゴリーから一日毎の記事が

      • 【20歳で月収200万を手にした男】~ネットビジネス・AV男優・ひきこもりニート編~

        ネットビジネス時代当時デリヘル開業に向けてコツコツと貯金をしていた僕の価値観を変えることになった動画とは、今でこそ日本の嫌われ者みたいなイメージが定着している「与沢翼」その人の動画だった。 彼がカッコつけて言うとプロダクトローンチと呼ばれるマーケティング手法でYouTubeにアップしていた動画をたまたま見た僕は、それに感銘を受け、一気にアフィリエイトをメインとするネットビジネスに没入していった。 一度ハマるととことんやるタイプだった当時の僕は、デリヘル開業資金だったお金を

        • 【20歳で月収200万を手にした男】~スカウトマン時代編~

          再び夜の世界へ新宿で友達と待ち合わせをしていると、サラリーマン風の男の人が声をかけて来る。 よく聞くと、スカウトマンの勧誘らしい。 知らない人のために簡単に説明するとスカウトマンというのは要は人材斡旋業だ。 夜の仕事を探している人に対してホスト、キャバクラ、風俗、AVからライブチャットまでその子に適したお店を幅広く紹介する。 そして紹介したお店から仲介手数料(マージン)を貰い、更に紹介した子が稼いだ金額の何パーセントかが毎月不労所得として入って来る。例えるなら夜の不動

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        • 詳しすぎるプロフィール
          8本

        記事

          【20歳で月収200万を手にした男】~AV女優のヒモ編~

          ヒモビジネスよし!学校へ行こう!     ――そう意を決してホストを辞めた僕は、気付いたらAV女優のヒモになっていた。   きっかけは些細なことで、ホスト時代の僕のエースだったAV女優の子とホストを辞めてから半同棲生活をしていたところ、その子がふと 「あたしが学費出したげるから学校なんて行かないであたしんとこいなよ!」と言うのだ。 「学費を払っているのに行かないなんて勿体無い!」そう僕が言ったら彼女がそんな風に言い返してきた。結果的に僕はその言葉に甘えることにな

          【20歳で月収200万を手にした男】~AV女優のヒモ編~

          【20歳で月収200万を手にした男】~ホスト時代編~後編

          腹黒システムホストにとって最も稼ぎ時でもある誕生月。 そう、今月は僕のバースデーイベントの月だった。 バースデーということもあり、キャストとの協力プレイで順調に売上を上げることができていた。ちなみにホスト同士は仲が悪いと思われがちだが、基本的に彼らは協力し合う。ライバル関係とかは勿論あるにせよ、店ぐるみで売ったほうが、単純に売上が上がるからだ。 よくある例を挙げる。ホストはお店に来店してくれた女の子一人ひとりに挨拶回りに行くのがルールだ。そこでA卓だけ1人のホストに挨拶

          【20歳で月収200万を手にした男】~ホスト時代編~後編

          【20歳で月収200万を手にした男】~ホスト時代編~前編

          華のキャンパスライフ華のキャンパスライフに憧れ入学した中央大学。 留学もしよう、公認会計士の資格も取ろう、宅建も取って、中国語もマスターするために語学は必修が多いコースを選択しよう……などといわゆる意識高い系だった僕の夢は、結論から述べると全て叶わない。 多くの大学生がそうであるように実際は新入生歓迎会という名の飲み会に明け暮れ、どんどんと自堕落な方向へと流されてしまっていた。 挙句の果てには飲みのコールが無い軽音サークルばっかだつまらん!ということで自分の境遇を皮肉っ

          【20歳で月収200万を手にした男】~ホスト時代編~前編

          【20歳で月収200万を手にした男】~高校編~

          高校という名の隔離病棟僕が入学した高校にはいくつかのクラスがあり、その中で僕が入ったクラスは、その年に新設されたいわば特進選抜科のようなところで、学校側の力の入れようが半端じゃなかった。 まずそもそも論としてクラスが17人しかいない。女子は5名。1クラスしかないので勿論3年間クラス替えはない。 そして他の科が長くて6時間授業なのに対して、こちらは7時間目まである。これが理由で入部を断られる部活も多かった。 極めつけは他のクラスと全く交流がない。校舎も違う。例えば他のクラ

          【20歳で月収200万を手にした男】~高校編~

          【20歳で月収200万を手にした男】~中学卒業まで~

          適度な学級崩壊1991年6月24日。僕は埼玉県で生まれた。 親が教育熱心だったため私立の幼稚園に入り、園児の時から勉強させられていた。 その当時はあまり理解していなかったが、毎朝ミサがあったので、おそらくキリスト系の幼稚園だったのだと思う。 毎日裸で過ごすとシールが貰えるという謎の制度がある幼稚園だったので、一年中上半身裸だった。年齢が違えばただの変質者である。 幼稚園から小学校へと上がるときは、当時住んでいた与野の仮家から父方のじいちゃんの家があった浦和の方へと

          【20歳で月収200万を手にした男】~中学卒業まで~