「死霊館 悪魔のせいなら、無罪。」怖くはないけど面白い、でいいのか問題

○死霊館シリーズとJホラー

死霊館シリーズの本篇久々の続編です。
とはいえ、すでに「アナベル」シリーズだけで3本(「アナベル 死霊館の人形」「アナベル 死霊人形の誕生」「アナベル 死霊博物館」)に、プラスして「死霊館のシスター」、さらに「ラ・ヨローナ」までが含まれており、この後にもスピンオフ含め続編が大量に待機しています。

1作めの「死霊館」において、その優れた点は、古典的な「幽霊屋敷もの」的な構造と、1970年代を舞台にした比較的クラシカルな舞台立てを用意しておきながら、同時にいわゆる「Jホラー」以降の幽霊演出を、ジェームズ・ワンの天才的演出力によって見事に甦らせていた点にあると思います。

効果的な小道具を駆使し、広い家の中を縦横無尽に動き回り、その中で次から次へと恐怖体験をしていく。
そこに、アメリカ的な悪魔祓いを組み合わせ、さらには家族愛についてのエモーショナルな要素まで加えるエンタメ映画、ジャンル映画の極地ともいえる作り。「インシディアス」と「死霊館」を立て続けに成功させたことにより、2010年代における心霊ホラー映画の覇権は、もはや日本にはなく、海外の優れた作り手のものになった、とすら思ったものでした。

実際、ジェームズ・ワンの登場以降、盟友のリー・ワネル、ジェームズ・ワンにフックアップされる形でデビューしたデヴィッド・F・サンドバーグ、マイク・フラナガン、アンドレ・ウーヴレダルと次々に心霊演出をモノにした新たな才能が登場していますし、厳密にはこの流れにはないですが、A24による作品群から、デヴィッド・ロバート・ミッチェル、ロバート・エガースなんかも出てきています。

もちろん、日本でも2016年の「残穢」とそのスピンオフである「鬼談百景」以降、「貞子VS伽椰子」「霊的ボリシェヴィキ」「犬鳴村」「呪怨 呪いの家」と、欧米の優れた心霊映画に対抗するように様々な面白いホラー映画が作られているものの、「日本ホラー映画大賞」における清水崇監督の言葉通り、新しい才能がいま一歩出てきづらい環境にあるのは事実です。

○そして「死霊館3」


さて、そんな勢いに乗る「死霊館」シリーズですが、直近で公開されている作品を観る限り、必ずしも傑作揃いというわけでもないのが正直なところです。

特に「死霊館のシスター」「ラ・ヨローナ」、そして今作「死霊館3」を観る限り、新しい才能のフックアップには失敗気味と言わざるを得ません。
失敗だと考える最大の理由は、「心霊恐怖演出の致命的な無理解」によるものだと思っています。

たとえばジェームズ・ワンだと「死霊館」におけるオルゴールを使った演出や、「エンフィールド事件」における玩具の消防車を使った演出などに顕著な通り、具体として幽霊が映っていないシーンであっても、その動き方や雰囲気、音によって「気配」が醸成され、ちゃんと怖いシーンになっています。そのうえで、最後に幽霊が思わぬ形で登場するから絶叫につながるわけで、いわゆる「ジャンプスケア」といわれるような手法とは若干異なると考えています。
そして、こういう運びの巧さゆえに、「死霊館」シリーズは何も起きていないシーンでも不穏で怖い、その上で様々な恐怖現象が立て続けに起こるからよけいに怖い、ということになります。

対して、「3」の演出はどうか。
比較的最初のシーンで、悪魔に憑かれたアルネが比較的冒頭のシーンで、シリアルが動く、ところがこれはネズミが中に入っていたからだった。三宅隆太監督の言うところの「なんだ猫か」的なシーンですが、一回安心させて緊張感を解除する手間を微妙に欠いており、そのせいでなんだかよくわからない感じの流れになっています。
そこから「壁の穴」を覗く、というくだりも、穴の中を見せることなく、なんだか音楽で煽るだけ煽るだけで、結局穴は一切関係なく後ろに幽霊が立っていてでかい音が鳴るだけ。
つまり、でかい音が鳴ってびっくりするまで「溜めてる」だけなのであって、その手前で恐怖は作られていないんじゃないでしょうか。
これはシナリオというよりは明確に演出上の手腕の問題です。

マイケル・チャベス監督は「ラ・ヨローナ」でも同様のことをやっていて、幽霊が単に出たり消えたりを繰り返し、出てくるたびにでかい音を立てながら追いかけてくる、みたいなことを繰り返すために、何が起ころうが怖くもなんともない、といった状態になってしまいます。
登場人物のリアクションも今回はやけにオーバーで、綿棒一つ転がっただけで悲鳴を上げる勢いです。(何よりウォーレン夫妻ですら悲鳴上げるのはどうかと思いました)

他にも、予告でも使われていたウォーターベッドのシーンなんかも、こちらが不気味に感じるより前に、あっさりと水がすごい勢いで吹き出してくる、という形になっているので、せっかくのアイデアがあんまり活かされていない印象です。(脚本は「エンフィールド事件」で共同脚本を書いていたデヴィッド・レスリー・ジョンソン=マクゴールドリックなので、必ずしもやっぱりシナリオというよりは演出の問題)

○それはそれとして面白い、んだけど


さて、そんなわけでホラーファンやシリーズファンからは結構酷評されている「3」ですが、じゃあ駄作なのか?といわれると、僕は駄作ではないと思っています。

上記の通り、これっぽっちも怖くない映画です。
しかし、さすが「エスター」「エンフィールド事件」の脚本家というべきか、実際のところ、お話自体は結構面白いんじゃないかと思っています。
冒頭で、今までであればクライマックスに来るような派手な悪魔祓いシーンを据え、しかもかなり幼い少年が、とても身体的に耐えられなさそうなダメージを受けている危機的状況。
その中で、家族愛ゆえに弟の悪魔を自分に乗り移らせたことで、次の事件に移行する流れ。

そして、裁判で悪魔の存在を証明するために、改めて事件を調べ直すことで、被害者に起きた怪現象を追体験していき、謎解きを進めていく構成と、これまでのシリーズとは明確に異なる毛色ながら、ウォーレン夫妻をメインキャラクターにしたストーリー自体は新味があり、興味深いです。

また、物語の核にあるのが、今までの「悪魔憑き」に対して、明確に「呪い」になっているのも、物語的にはいいアクセントになっています。
家族が引っ越した家の地下を探ったところで呪術の道具が発見されるあたりは、かなり厭な感じの雰囲気が流れます。(正直、即物的な演出をしたがるマイケル・チャベス監督じゃなければ、もっとずっと不気味で怖い設定になりえたはずですが)

ここから以降、明確に「人の悪意」との戦いになるため、純然たる超常現象によるホラーというよりは、ミステリやサスペンスに主眼を置くことになり、その結果、お話としてはなかなか見ごたえがありました。
ちょっと甘めに言えば、お話としては「面白い」と思います。

○それでいいのか問題

ただ、それでいいんだろうか、という思いもあり、恐らく怒っている人はそこに怒っているんだろうと思います。
「死霊館」シリーズがこれまで、クラシカルでいて最新のホラー映画たりえていたところに、ホラー映画としては微妙だけどそこそこ面白い、みたいなものを続編として出す、というのは、「なら作らなきゃいいじゃん」というしろものに他ならない。

「インシディアス 序章」なんかは、監督が変わってもなお、部分的にはジェームズ・ワンに勝るとも劣らない程の恐怖シーンをもたらしていたことを考えれば、続編だから、とか、監督が変わったから、は必ずしも理由になりません。

無論、怖くはないけど面白い、というホラー映画は山程ありますが、しかし、こと「死霊館」において、その言葉は敗北なんじゃないか。
少なくともこの映画からは、「1」「2」を超える怖いものを作ってやろう、という気概は感じず、「2本もやったからそろそろ違うことやろう」というそれだけしか感じられません。

そして、それは「事故物件 恐い間取り」など、近年の駄作ホラー映画を生み出す日本国内のホラー映画を取り巻く空気とも通じる気がしています。
作り手が勝手に飽きて、勝手に違うことやりだす現象、いいかげんどうにかならないでしょうか。

そんなわけで、新たな才能の発掘の場でもある「死霊館」シリーズ、徐々に何か終わりが見えつつあるような気持ちでいます。

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