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一人旅は、日常のレールを外れて。

いつからだろう、もう久しく旅に出ていない。

というより、旅に行けない。
いや正確には、「旅に行けない」というフレーズに自らを当てはめて、旅に行こうとしていない。

飛行機も運航して、電車も走っているから、旅に行くことはできるのだ。
県境を跨ぐ、旅行先で不要不急の買い物をする、宿泊する...
制限されているような感覚を未だに持っているが、実はそれを定めた条文を見た訳でもないし、僕は実際禁止されているかもわからない。ただ、制限されているような感覚を持って、自分の意識を内へ内へと閉じ込めていた。

・テレ東が放つ鉄オタ女子ドラマ×2

1番最後の旅は神奈川の最南端だった。昨年の5月に行った一人旅。休みとあらば、旅行に行って、年に一回は海外旅行にいくのを楽しみにしていた、そんな数年前の自分に思わず驚きたくなるくらい、旅もせず、生活圏から抜け出せない日常の連続だった、2021年。

そんな内向き思考を解き放ってくれたのが、テレビ東京で今年1月から放送されているドラマ、
『鉄オタのぞみ、50キロ』
『鉄オタ道子、2万キロ』
だった。

僕は鉄オタでは無いのだが、"旅"に出る2人を見て、一人旅したい!と衝動がわきあがってくる。

馴れ馴れしいが、以下ではそれぞれ「のぞみ」、「道子」と略して、説明していく。

・仕事を抜け出して、のぞみは線路へと走り出す

『のぞみ』はYouTubeで放送された全編が配信されている。
平日の仕事中に鉄道のことが気になって、駅、踏切、停車場に足を運んでしまう鉄オタ・のぞみ。当然、会社に戻るのが遅れたりしていて、上司を怒らせたりしている。だが、そのやりとりも圧迫感を与えるような描写になっていない。

旅に出ず、仕事と休日は引きこもってばかりの自分にとっては「こういう日もあっていいよね」と、なぜだか心地よかった。
それは、のぞみが鉄道を見ることで"鉄分"補給をするさま、何かにのめり込むさまがどこか羨ましく映るからなのだと思う。

のぞみは平日の仕事中に鉄道へ出発進行しているけど、自分はやりたい旅はできていない。衝動のように脇目も振らず、線路へと向かうのぞみを見て、思わず考えさせられる。

自分には時間がない。
この時期に出かけて、何かあった時に言い返せない。
冬だし、寒いから行かなくていいか。
極言すれば、行かなければならない理由がない。

だから、旅行には行かない。

でも本当は行きたいんじゃないか?

世間的な制限の雰囲気を自分にあてはめ、いわば自己検閲をしている状態だった。
行けないと思い、行きたい気持ちにフタをしているうちに、行きたい気持ちがどこかに旅をしてしまっていた。行方不明のまま、旅の予定はずっと運転見合わせ。カムバック、旅行好きの魂...。

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のぞみは、木原さんという名札を見て、キハ車両を思い出し、「ダメダメ、のぞみ。ガマンよ、ガマン」と鉄道への思いを抑えようとする。写真は第4話より

劇中、のぞみは衝動に突き動かされて、いきなり走り出す。望みのまま動き始める。のぞみが突き動かれて向かう先は50キロに満たない距離だが、それは旅への衝動なのではないかと気付かされる。

その姿を見て、僕はこの約2年間、ずっと動いていなかったわけだし、そろそろ旅に出てみようか、と頭に思いが浮かぶ。いや、「かな」なんて不確定の心情ではなく「出るんだ」と奮い立たされる。

旅に理由は必要なかったはずだ。過去の旅を思い返しても、何か大層な考えがあって家を出たわけではない。

ああ、行ってみたいなあという衝動にも似た思いくらい。大きな移動の出発点は、そんなものだった。それをのぞみは思い出させてくれた。

旅をする明確な理由はないけど、それと同様に旅に行かない明確な理由も実はない。そして、旅に行きたいという衝動だけは明確だった。

・道子の「ここ、どこだよ」は、深い

のぞみと打って変わって、休日の長距離鉄道旅をしているのが道子。普段は家具会社の営業の仕事をしているようだが、仕事ぶりに関する描写は一切出てこず、人物についての詳しい説明もない(第4話まで時点)。

その分、個性的なフィルターでなく、淡々とナレーションのように鉄道一人旅の行程が語られていく。

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『のぞみ』は10分ドラマだが、『道子』は25分ドラマ。駅弁や昼飯を食べるのもお決まりとなっている。 写真は第1話より

言うなれば、孤独のグルメ鉄道ver。ただ、モノローグをしているのは松重豊ではなく、玉城ティナ。孤独のグルメほど入り込むように語っている訳では無いのだが、座席から考えていることや駅に降りたって目に入る情報への心の中でのツッコミには、一緒に旅している気分ではなく、思わず自分も一人旅をしている気分にさせられる。

YouTubeでは1話のみの配信。ただ続きが気になって、Paraviに加入してしまった。

劇中で道子は、目的地となる辺境の駅に着くと「ここ、どこだよ」と毎回、微かにつぶやく。

それは、
改めて自分が降り立った位置を思い、
「遠くまで来たものだ」という感慨であり、
「こんな場所になんで来たんだ」というささやかなツッコミでもあり、
ぽつんとその身を置かれ、ちっぽけに思える自分への「もうどうしようもない」という無力感にも似た現状認識でもあるように感じ取れる。

思えば、旅のない日常は、淡々としていたが、不条理なことは少なかったように思う。
旅先で、電車が全然来なかったり、もともと予定していた出来事が起きなかったり、はたまたトラブルに遭ったり、旅には不条理なことがつきものだ。

過去、旅先で経験した不条理な出来事が、日常に彩りを与えていた。卑近な例だが(今や卑近ではないのだが)、外国に行って、警戒感を持って街を歩き、食べ物が口に合わない経験をすれば、日本は治安が良い&食べ物が美味しいと再認識して、過ごしていた日常の日々もありがたく思えてきたものだ。

「ここ、どこだよ」

そんな言葉が浮かぶような非日常な経験、この約2年間、久しくしていない。
道子と同じように非日常を、そして日々の生活では経験しえぬ不条理を味わうため、日常の軌道から外れていきたいなあ、と旅への意欲をかき立てられる。

このまま、日常と非日常の分岐をいつまでも「家にこもりがちな日々の暮らし」ルートへと走っていては、山手線を走り回るように代わり映えのないマンネリ化した風景が続くだけだ。
日常のレールも2年間続けて走って、ボロボロになりつつあったし、軌道修正して保守作業をしよう。そう意気込ませてくれる、鉄オタ一人旅のドラマでした。

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