もったいないくらいの親孝行
皆さま
こんにちは。
前回投稿「「言い分け」はいいわけ?」に続き、言い訳がましいことを綴るつもりだったのですが後回しにします。
日々を見つめ直していると今まで気づかなかった幸せがあることに気が付きました。忘れない様、先に綴っておきたいと思ったのです。
コロナ流行に伴い子供たちは家にいる
最近、子供たちは朝起きてきません。コロナ流行に伴い、学校にいく必要がなくなったためです。
朝、起きているのは出社する必要がある私一人です。
子供たちの分のベーコンエッグも一緒に作りテーブルに置いておきます。冷めておいしくなくなるのでは?とも思うのですが、毎日おいしく食べているみたいです。
出社時に子供がハグしてくれる
私が家を出る直前に、下の子は飛び起きてきて、玄関を出ようとする私に飛び掛かる様にハグしてくれます。毎朝です。
寝ぼけまなこのままに「寒いから気を付けてね」と子供ながら気遣いの言葉を添えて。(投稿日よりも数日前です。寒かったのです。)
私を前向きな気持ちにさせてくれる
「よし!行ってこよう。」という前向きな気持ちになれます。ハグし返し、「ありがとう。いってきます。」という言葉とともに出かけます。外にでたら、窓ガラス越しに手を振っています。
私にはもったいないくらいと思います。
親孝行だなと思います。
眠たいはずなのに飛び起きてくるのがまたうれしいのです。
親孝行していると気付いているのか?
私は子供の頃、親孝行は自らが成人してから行うものだと思っていました。
私も、わが子の様に子供の時分から親孝行をしていたのだろうか?とふと疑問が湧いてきました。
そもそもわが子は親孝行をしていると思っているのでしょうか?このまま大人になって「親孝行していない」と思い悩むことにならないのでしょうか。
充分に返して貰ったと伝える必要がある
親孝行である行為を受けたならば、それが「親孝行」であることを子供へ伝える必要がある。と思いました。
さて、「ありがとう」の言葉だけで伝わるものなのか?
「うむ、親孝行である!大儀であった。」と言って伝わるものなのか?
もう充分に返して貰ったよ。と伝わる方法を考えなければいけませんね。
嬉しくもあり呆れるのはなぜなのだろう?
noteに綴るテーマを探そうと日常を見つめ直してみると、当たり前と思っていた日常に対して当たり前ではない感情が芽生えることに気が付きました。
この気づきを嬉しく思う反面、自分の感受性の低下に呆れます。
なぜこの相対する2つの感情が生まれるのかについても追々分析してみたいと思います。
それでは。また。
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