本当の物語 一番愛おしい夏の思い出 

J-WAVEのオダギリジョーさんの番組「LIFE TIME BLUES]が大好きで
エッセーを描いてみた。
応募してみた。読まれなかった。
ちょっとリライトして応募してみた。読まれなかった。

なのでここに残そう。w

15年以上前の私の大切な夏の思い出です。

そのリゾートは海岸沿いにたっていた。
実家そばの海だったら、ここは海の家がたくさん立ってる場所なのに
海岸から道路も挟まず、砂浜の上にそのままにリゾートがたっている!
すごいなあ。。そこがタイの小さな島タオ島にあるブッダビューリゾートで
そこで、家族4人で夏休みを満喫したのは今から15年近く前。

当時我が家の娘たちは、3年生と幼稚園。
タイの小さなその島は、日本人にはあまり知られていなくて、バックパッカーはいたけれど、子連れの日本人はとても珍しがられたものだった。

飛行機、フェリーを乗り継いでやっと島に到着したら、乗合トラックが待っていて、それに乗ってそれぞれのホテルまで行くのだけれど、トラックの荷台に、荷物も人も一緒に乗る。かなりスリリングな旅の始まりで娘たちが落ちたらどうしよう、、と気が気じゃなかったけれど、彼女たちは大興奮。
目はキラキラに輝いてたのを覚えてる。

約1週間の滞在中、私と夫はダイビングで、娘たちは日本人のスタッフとお留守番。
ダイビング後、プールに向かうと、2人はスタッフのお姉さんやお兄さんとおしゃべりしてたり、ライセンス講習用の深〜いプールに飛び込んでみたり、時にはライセンス講習を受けてる人たちを観察したり真似したりして遊んでいた。

ダイビングで印象的だったのはボートのこと。いわゆる船着場がなくて、ダイビングボートは何艘も海岸線と並行に停まっていて、ダイバーは、ボートからボートへ乗り移って目的のボートまで辿り着かないとならなかった。
機材が重かったけど、揺れるボートを次から次へ乗り移っていくのは、とてもたのしかった。

夕食はスタッフみんなが行きつけのタイ食堂に誘ってもらい、毎晩そこへ通った。

スタッフ、お客さんみんなで舗装されてない砂の道を10分くらい歩いて行く。バイクを持っている男の子は彼女を後ろに乗せて、バイクで先に行っちゃうのだけれど、娘たちは、すぐにちゃっかりそれぞれお気に入りのカップルのバイクに、間に挟むように乗せてもらうようになった。つまり3人乗り。今思えばこれもなかなかワイルドだったなあ。

食堂は、島で一番冷えたビールが飲める場所で、象のマークのタイビールを飲んでみんなでおしゃべりをした。

私と夫は子連れファミリーのお父さんとお母さんだけれど、若いみんなはとても優しくて、なんとも心地よくて、当時流行っていた「あいのり」みたいだって思ってた。 しょっちゅう停電するから、ランプの下で、冷えたビールを飲みながら、なんだか私は家族でこの島にいることが不思議で、現実じゃないみたいで、楽しくて誇らしくて仕方なかったこと、その気分をよく覚えている。

今までの過ごしたどの夏より、ゆったりとしたいい時間で、娘たちものびのびと、そして逞しく過ごしていた。場所に溶け込み、しばらく暮らすように過ごせていた。優しいいい時間だった。

今年の春、上の娘が就職で家を離れた。
いつだってなんだってずっと変わらないってわけには行かない。
だからこうして今、思い出せる愛おしい時間があることがとても嬉しい。
そしてあの夏の旅行が娘たちにもきっと何かを残していてくれているんだろうなあと思うのだ。


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