攻撃(口撃)しない人間関係

思いやりを持ちましょう。
隣の人に優しくしましょう。
自分のして欲しい事を相手にもしてあげましょう。

私が小学生の頃、親や先生にそんな風に教えてもらって、これらは当たり前だと思っていた。もちろん、子供の頃は、いつも出来る訳は無く、自我が出しゃばり上手くいかない事もあった。兄弟喧嘩や、学校でのトラブル、親との関係などで問題が起きれば、誰かがキチンと対応して下さり、ある程度、納得感を持って人間関係を学ぶ事が出来た。

さて、今、何故こんな事を思い出しているかと言うと、私を取り巻く社会の中での人間関係が殺伐としているからかも知れない。

例えば私の仕事上での人間関係。例えば、チームミーティングでは、誰かが誰かをマウントするのは日常的に目にするし、クライアントの中にはプライベートなら絶対に付き合いたくないような、他人を攻撃ばかりする人が居たりする。自分が関わるケースだと、一瞬悲しい気持ちになり、自分の不甲斐なさにショックを受けるのだけれど、一周回って、相手にも相手の事情があるのだろうと何とか折り合いをつける。相手の問題だと分かれば、気持ちは相当楽になる。

息子(10歳)の学校でも、話を聞く限り、到底小学校とは思えないほどの殺伐とした人間関係が繰り広げられている。最近の言葉では(あまり好きな言葉では無いが)、ディスる、シカトする、攻めてくる、暴言キッズなどと良く言っている。何か、違和感のある事をすると、途端に周りから攻撃を受けたり、気に入らない事があると相手を攻め上げて、ビックリするような暴言で口撃する社会のようだ。

うちの子は、アメリカで2年過ごし、三年生の二学期から日本の公立小学校に転校したが、ちょうど男の子が、自我が芽生え始めてやんちゃになり、クラスは落ち着かず、と言う時期だったから、毎日右往左往しながら過ごしていたようだった。先生はクラスを必死に抑えようとして、大声で怒鳴るし、残念な事に生徒への暴言、暴力まで起きた。いわゆる学級崩壊状態だ。そうして暫くすると、今度は我が息子がビックリするような、言葉遣いをし始めて、耳コピ(聞いて覚えること)した悪い言葉を使うようになってくる。話を聞く限り、きっとやるか、やられるか、の日常を過ごしてしまっているのだろう。

そんな、息子が通う学校のスローガンにの一つに、人の気持ちを考える、がある。達成には程遠いし、どうやったら、本当に実践にまで辿り着けるのだろう?

確かに、自分自身を振り返ると、大人になるにつれ、色々な人間関係を経験し、攻撃し合う人間関係に免疫力を高めて来てしまい、やり返す事も、正面からぶつかる事もしなくなっている。それと引き換えに、正しいと思う事も必要が無い限りわざわざ口にしなくなってきた。

きっと、同じように自分を守るため、相手を口撃しながら、社会での人間関係を泳いで来た人達がいて、人前で高らかにマウントを取る話し方をするようになって来たのだろう。いつの間にか、安心して他人と穏やかに話を出来ない場が多くなっているような気がする。大人も子供も。

人間は機械では無いし、完璧に強くて負けない自分は一生手に入らない。けれども、資本主義の勝ち負けがある社会、勝者と敗者に分類する事が多い社会では、他人に優しくする事よりも、自分や自分の仲間を優先し、いかに有利に立つか、が一見重要に見えるのではないだろうか。

それを目の当たりにした時、または過去に負けてしまった感覚を強く持ちすぎた時、自分側を守るために相手を口撃するようになり、それが習慣となってしまうのではないか。

しかし、相手を口撃せずとも、優しい人のまま勝つ事だって出来るはずだ。
されたからやり返す。
負けないために口撃する。のではなく、
自分の為に、自分から優しい人間関係を築いて行きましょう!!



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