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子どもが教えてくれたこと3*幸せの形はそれぞれ違う

翌日から、表面上は変わらない毎日の中でも、私は模索するようになりました。

世間的な常識や枠組みをいったんぜんぶ捨てて、考えてみよう。
この子と私がすこしでも毎日幸せを感じるためにはどうしたら良いだろう?

我慢したりやり過ごしたりするのではなく、今の娘の心情にきちんと寄り添い、必要なことをしてあげよう。

そんな視点から、日々の中で小さくても出来そうなことから変えていきました。

たとえば、保育園から帰った娘がひとしきり遊んだ後で
「今日はお家の中でピクニックをしながらお弁当を食べる!」
急に言いだした時。

以前の私なら、「お家でピクニック?何言ってるの?お母さん今日は〇〇作るって決めてるんだから、わがまま言わないで!」と一蹴していたと思います。どうしたら出来るか?など考えようともせずに・・・。このあと癇癪を起こし暴れだすこと間違いなし!の最悪なリアクションですよね。

しかしその日の私は、普通にこう言っていました。

「お家の中でピクニックかぁ、楽しそうだね!どうやったら出来るかな?」

もちろん、買い物に行く時間は無いし冷蔵庫にお弁当用の食材もありません。結果、娘と相談して、リビングにビニールシートを敷いて、おにぎりとありあわせの食材で即席サンドイッチをつくり、フルーツ好きな娘にはお弁当箱にバナナとみかんのデザートを詰めて。あとはお気に入りの水筒に麦茶を入れて、ふたりでシートの上で夕ご飯。栄養バランスも何もあったものではありませんが、娘はニコニコ笑顔で楽しそう。

その笑顔を見て思いました。
「あぁ、こんな簡単なことで良かったんだな。」

常識や、大人の考える意味のある無しで判断せず、お互いが気持ちが良く楽しくいられる方を選んでみる。そこから、どうやったら出来るかをゆっくり考えればいい。少しずつそんな選択ができるようになっていきました。

勤務先の上司にも事情を説明し、勤務時間をずらしてもらうことができ、とても配慮を頂きました。そのお陰でどうにかこうにか初めの一年を越すことができました。新しい年を迎え、今年は少しは良くなるかなぁ・・・と淡い期待を抱いていたのですが、娘がインフルエンザと中耳炎を併発して長期にお休みをもらうことになったり、それが治ったかと思えば今度は私が原因不明のひどい胃痛で食事が取れなくなり、私の身体にも異変が出てきました。

一年を通してのストレス。気持ちはやっと良い方向へ向かいそうな気配がしていましたが、身体は限界に達してきていました。土曜日は病院を渡り歩き、平日でも急遽病院に駆け込むことも。私はこの状態でさらに頑張ることは難しいと判断し、職場にこれ以上迷惑をかけられない心苦しさもあり、時期を待って仕事を辞めました。

<心の声>に寄り添う

仕事を辞めてもしばらくは娘の登園拒否は変わらず続きましたが、私に心の余裕が出たせいか、夏過ぎには順調に通える日が多くなりました。 

ひどい登園拒否で近所でも保育園でも有名だったので(笑)
「あんなに泣いてたのに、こんなにご機嫌で通えるようになるんだねえ」
「最近、〇〇ちゃん泣いてないね!お母さんお疲れさま、良かったね」
と声を掛けていただくこともありました。

こうした周りの方の反応でも分かる通り、あくまで私の場合ですが、私と娘にとっては仕事を辞めたことは結果として良かったなと心から思います。

特に救われたなぁと思うことは、

・思う存分、毎朝娘のグズりに付き合ってあげられる心の余裕ができたこと
・娘が病気の時など、私の有給が何日残っているかを気にせずに娘を十分休ませてあげられるようになったこと

といったところでしょうか。
今でも、娘が体調不良の時には「あぁ、治るまでゆっくり休ませてあげられるんだ。」と思うと心からほっとします。

つまり、これが私の本当の心の声だったのですね。

心の声、時にはその悲鳴をしっかりとすくい上げてあげること。そしてその声に寄り添ってあげること。それぞれの幸せのかたちは、そこからしか生まれない。

娘と私のもっとも大切な心の声をないがしろにしてきた日々が、私にそのことを教えてくれました。

私も娘も「うまく社会でやっていくこと」はできなかったけれど、かけがえのないお互いの毎日を、丁寧に大切に生きられるようになりました。そういう人生に舵をきることが出来たのは、
本当に大切なものは何か?を、上靴をそろえてくれた、あの男の子の無垢な優しさが私に気づかせてくれたからでした。

<続く>
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本日も、お読みいただきありがとうございました。
皆さまの今日が素晴らしい日でありますように!
心を込めて。

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