見出し画像

これが唐組、唐十郎戯曲か〜!の湯|diary:2024-06-08

飛び込め!ナンセンス!沼

↑で言っていた通り唐組の演劇「泥人魚」をみてきました。とんでもなくぶっ飛んでて受け入れるチューニングが必要だったね。一回じゃ無理だ。

ものすごい密度の台詞の量、一見ではとっ散らかってカオティックで、ギャグシーケンスがこれでもかと挟み込まれてバタバタで脳が焼き切れていたから、少し整理するために自分なりに整理したあらすじを書かねばならぬ。くそー、本当にナンセンス!じゃないか。いくらか前衛的な物は覚悟していたが、「流れる虚構空間に対してナンセンスとは〜」じゃあないよ。絶対自覚あるでしょう!

ということで、間違っているところ、欠落も大いにあると思うがやんぬるかな。

あらすじ

有明の諫早湾の干拓事業。世紀をまたぎ目的を失いながら完成した長大なギロチン堤防は、門を閉じてすぐ干潟の環境を一変させた。致命的な打撃を受けてなお漁業を続けるか、その元凶たる国、土建のやり方に屈し、日銭のため干拓に従うか、町が割れ働き手たちが割れ、引き裂かれていった。

主人公、浦上螢一はその名よろしくヘドロとなった海に耐えられずか、町を去り仲間を捨て、流れた地で湯たんぽのブリキ加工の働き手をしていた。ある日、親友の次郎が月影小夜子の走狗として現われる。月影小夜子はとある会社の秘書室長らしく、店にブリキ板を工面するなど懐柔の手を伸ばす。

また時を同じくして自らを人魚と信じ、螢一を慕う女”やすみ”も町から追いかけて現れる。小夜子の目的はやすみが人魚の証と信じて持つ貝殻の入った巾着袋、その二重底の下にある、小夜子の会社所有の七艘の船の鍵である。それを奪うため、やすみが螢一に接触すると次郎が嗅ぎつけたこの日訪れたのだ。

次郎は「星の落ちる様(人の絶望の瞬間)を見たい。そのために生きている」という。螢一と出会う前からか、あるいは後か。いずれにしろ諫早湾のギロチン堤防はとても大きな星の落下だっただろう。

そしてその歪んだ想いに小夜子も共感しているようで、船の鍵は単に、死蔵になっている所有船の活用のためではない。二人が次に狙う落ちる星の象徴、人魚と思い込むやすみのより深い記憶の源泉である。やすみの記憶を呼び覚ました上で本人の手、自らの意思で鍵を渡させるとともに、彼女の自我の拠り所である人魚の妄想をはがし、やすみと螢一の星を落とすことに、二人は執着する。

星を落とすシチュエーションは周到に準備されていく。舎弟によって運び込まれるブリキの板はギロチン堤防に見立て何枚も立てかけられ、あの日の記憶を、分断を思い起こさせる。
やすみの育ての親、生き別れた魚主船長と引き合わせられ、克明に蘇るやすみの記憶。
そしてギロチン堤防の最大の被害者、螢一の最大の悔恨、次郎との因縁。やすみの今の保護者である隻眼の漁師“眼(ガン)さん“が現れ…その舞台は整った。

伊東静雄

で、この上にすごい勢いでナンセンスギャグがかぶさってくる。基本的に登場人物の一人、伊東静雄という老人を介して巻き起こるのだけど、舞台が伊東静雄の家を兼ねた工房で起きているだけで、本筋は割と彼がいなくても成り立つ。なので上記のあらすじに伊東静雄の存在を書いていない。書いていないと言えば、静雄を巡って介護の女性二人やうどん屋の亭主と店員とかが出てきて例によってすごい台詞回しでバタバタするのだけど、その人たちも本筋には関係がない。

この伊東静雄は2003年の初演時は唐十郎が演じていたようだ。劇中天草士郎の衣装で登場するシーンがあるのだが、先の「唐十郎がいる 唐組がある 二十一世紀」の表紙にそれが写されている。

唐十郎は演じ手ありきで戯曲を書くそうで、もとより自分が演じる体で書いているのは間違いない。
戯曲の書き手が、ほぼ本筋に絡まずに、なんだか自分の部屋で起こる事件に巻き込まれるだけの役を演じる。ただ巻き込まれるだけではなく、ことあるごとに出てきては話を遮ってひたすら暴れ回ってボケをかまし、観客を笑わせるのはいいけど、本筋の集中からは散らしてしまうのだ。全然話が入ってこないよ!意地悪だな!

唐組の観劇体験を終えて

一度観ただけで想像でしかないが、おそらくそれが唐組のフォーマットなのではないか。アイコンである唐十郎とその周辺は、主題と並行に存在するもう一つの世界。陰鬱な物語に狂騒を同居させ、どれだけ歪であろうと喜怒哀楽全てに力一杯に振り切る。
それを実現させる役者たち。とにかく台詞の量に圧倒される。澱みもなく、滑らかに力強く吐き出される。汗がとめどなく滴り、つばきがとぶ。螢一が次郎に「俺につばきをかけてくれ、あの時の果たせなかった誓いの半分を」というようなセリフでせがむシーンがあったが、前列の観客にとっては一つ、演者から飛んでくるつばきとシンクロして、舞台と観客渾然一体となった空間を味わえるのだろう。

200名収容のテントの、整理番号は220番程度であった。本当に鮨詰めで、テントの端なもんだから、右の舞台袖で隠れて見えない部分も多くあった。特に右袖から新しい演者が出てきてそのままそこで喋るシーンとか、クライマックスも残念ながら死角で、想像で補うしかなかった。それも含めて体験だろうし、悔しさ故に、また秋も観るだろう。願わくば雑司ヶ谷で見たいね。

いいなと思ったら応援しよう!