手続き、それは苦しい

仕事がひとつ終わった&次の仕事にとりかかるのがおっくうだ。外に昼食を食べにいき、本を読みながらゴロゴロし、それにも飽きてから、たまっていた事務手続きを片付けはじめた。

・コロナ関連で国民健康保険の減免手続き(国からいただけるものはすべていただく)
・コロナ関連で家賃支援給付金の手続き(国からいただけるものは同)
・家族旅行の乗車券・特急券手配

おや、数え上げてみるといろいろというほどでもない。しかし用意する書類の多さから、半日がかりの作業となった。

こういう名もなき事務手続きさえコツコツ積み重ねることができればそこそこ生きていける社会を作り上げた誰かに感謝する気持ちがある。いっぽう、そうした手続きが泣きたくなるぐらい下手な層に私が属していることを認めないわけにはいかない。嫌いではないと思う。特にお金をもらえたりするときには。だが下手だ。

例えば役所の窓口で、運良くとても親切な方が担当についてくれて、何もわからないという顔でニコニコしている私を気遣い、噛んで含めるような説明をしてくれているのに、私は内心うっとりとしている。話のわからなさが度を越していて、うっとりして心の感度を鈍くすることでしか身を守れないのだと思う。ニコニコしているのは、「ニコニコしていると親切な人を怒らせないで済む」という経験則にすがっているだけだ。

こんなこともあった。

木曜、コンビニから「金曜午前着」で宅配便を出したのだが、金曜午後になって宅配先の担当さんから「まだ届いていないのですが…」と連絡がきた。追跡番号で調べてみると「金曜午前着」の指定が見当たらない。集荷にあたった郵便局に問い合わせると「そもそも金曜着が無理、早くて土曜着」だとわかった。

木曜に出した便が金曜につかないのは別に構わない。私はそこまで便利に慣れきっていない。なんなら私が先方まで荷物を持参してもよいと思っていた。でもコンビニのレジで「金曜午前着は可能ですか」「大丈夫ですよ」「ではお願いします」というやりとりをし、満を持して発送したのだ。コンビニはありがたいな、宅配便はすごいな、と感心しきりだったし、その場で「金曜午前着です」と先方にも報告を入れた。

あの手続きはどこへ消えたのか。だがレジの人を責める気にならない。いかにも私に起こりそうなことだからだ。やったはずなのにやっていない。やっていないはずがやっている。私は「自分を信じる」ということをしない。

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