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「悪気のない発言が"マイクロアグレッション"になりうることに自覚的でありたい」- アクティビスト・Kanインタビュー <前編>

何気ない一言で傷ついたり、傷つけてしまったりした記憶はありますか?
これらの言動が「マイクロアグレッション*」と呼ばれているのはご存知でしょうか?

*マイクロアグレッション:悪意がないにも関わらず、相手を傷つけてしまう可能性を持つ言動または行動。背景に、異なる人種や文化背景、性別などに対する無意識の偏見や無理解、差別心が含まれていることが多い。

今回話を聞いたのはクィア・アイへの出演を経て、優しさと力強さをさらに大きくしたメッセージを発信するカンさん。内側から滲み出るような美しさが印象的な彼も、幼少期は自身のセクシュアリティを受け止められずに漠然とした不安を抱えていたそう。それを乗り越えたときのお話からマイクロアグレッションとの付き合い方、自分らしさを体現する社会のあり方まで、前編後編に分けてお届けします。

イベント登壇者_kan

カン / Kan
大学在学中にカナダへ留学後、イギリスの大学院でジェンダー・セクシュアリティについて学ぶ。現在化粧品会社のマーケティング職として働く傍ら、Netflix「クィア・アイ in Japan!」エピソード2に主人公として出演。
Instagram:@kanyonce

日本を飛び出しカナダへ
「自分はゲイだけど自分らしく生きていいんだ」

- 子供の頃はどんな性格だったんですか?

Kan : 物心ついた時から世の中へのわからなさ、怖さ、不確定さを感じていて、すごく漠然とした不安を持っている子供でした。今振り返ると、自分はゲイであるのに対して、世の中はすごくヘテロノーマティブ* 。男の人は男らしく、女性は女性らしく、世の中で言われていたいろんな言葉がものすごく窮屈だったのかなって思うけど、当時は全然わからなくて言葉にもできなかった。わからないけど、「いやだ!」って感覚だけはすごく強い子供だった。

自分は男だから黒のランドセルを渡されるのがすごくいやだったし、体操服に着替えるときに男女で分けられるのがいやだから体育の授業に出たくなかったり… 。僕、幼稚園と小学校も半分くらいは行けなかったんですよね。高校までは自分のセーフスペースもわからないし、常にパニックゾーンに身を置いているような感覚でした。

*ヘテロノーマティブ: すべての人々が本質的に自然な役割を持つとされる性別(多くの社会では男性や女性)のいずれかに入るとし、異性愛を唯一の性的指向とする考え方。

- その感覚が変わり始めたのはいつ頃だったんですか?

Kan : やっぱり一番大きな変化は、大学4年生のときに1年カナダへ留学した時ですね。中学3年生の頃に自分がゲイであると気づいたのですが、それまでにうつ病になったり心の病気でご飯が食べられなくなっていたりしたんです。だから、自分が同性に惹かれてるってわかったときは「次の病気はこれか」って、「ずっと病気が続くんだな、僕の人生」って思っちゃって。

そんな感じで自分のことを受け入れられずにいたのですが、カナダに行ったとき、日本と比べてずっと自由で幸せそうにしているセクシュアルマイノリティの人たちを見て、「自分はゲイだけど自分らしく生きていいんだ」と初めて教えてもらいました。それまではロールモデルやセクシュアルマイノリティの人と生活の中で出会ったことがなかったんです。言葉で教えられたのではなく、彼らの姿が見えたことがすごく大きかったように思います。

「自分もこういう風に生きられるんだ」って思ったときに、自分の中での抑圧や苦しみに対する言語化が始まりました。そこから子供の頃を振り返ったりして、自分の苦しみの背景にはジェンダーやセクシュアリティのことで常に抑圧されていたことがあるのだとわかりました。

同性愛者は渋谷に行けば、幸せ?
クィア・LGBTに関する変化とギャップ

- カナダでの衝撃が大きいほど、東京に帰ってきてから感じるギャップも大きくなりそうですね。

Kan : 戸惑いました。カナダってレインボーフラッグを家のベランダに飾ったりするのですが、僕も友達と一緒に東京のレインボープライドに参加した後、フラッグを家の扉の外側に飾ったんです。そうしたらその日の夜に不動産屋さんから「やめてください」って電話がきちゃって。超ショックで泣けてきたけど、同時にカナダに行く前の自分との変化も感じていました。カナダに行く前の自分だったら「自分が悪い」と思っていたんです。だから自分を攻撃して、心を病んじゃったりしていた。カナダでは同じ自分なのに受け入れ方や生きやすさが全然違った。だからこそ、社会が変わる必要性を感じたし、「日本を変えなきゃ」ってアクションを始めようと思いました。

- カンさんが留学してから6年間、クィア・LGBTに関する変化が日本の中でも少しずつ見られるようになっている気もします。自分ではどんな変化を感じていますか?

Kan : 難しいですね。変わってきてるのかな…。たしかにいろんなことが良い方向に変わってるとは思います。でもその感じ方は見る人によってかなりズレがある。例えば渋谷区がパートナーシップ条例*を可決したとき。僕はゲイだし、クィアコミュニティにも関わってきているので、「本当は3歩進もうと思ってたけど、やっと0.3歩進めた」と感じた。でも、当事者じゃない人やあまり興味のない人からすると「え、もう自由じゃん!」「渋谷に行けばもう結婚できるじゃん!」って認識で、そのギャップは結構怖いなと感じます。

*パートナーシップ条例と結婚の違いについて
結婚では法的な義務が発生すると同時に、保障を受ける権利を得ることができる。一方パートナーシップ条例とは地方自治体が結婚に相当する関係として認める証明書や宣誓書を発行する制度であり、その地域から引っ越しをした場合などは申請書を返還する必要がある。現在の日本では、日本国憲法24条第一項、第二項の記述に基づき、同性カップルの結婚は認められていない。

美容系の広告に男性が起用されていたり、確かに変化は生まれてる。だけどいろんな人を巻き込んでいかないといけない気がしています。「自分には関係ないけど、あの人たちは渋谷に行けば幸せなんだよね?」みたいな感覚に危うさを感じる。一人一人が自分のジェンダーやセクシュアリティについて考えてみることをしていかないとラベリングで終わっちゃうから。

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何気ない日常の中の、偏見や差別
自覚的でいるための心得

- コミュニティの人と話すときと、そうでない人と話すときで、話し方や自分の心構えだったり、どんなギャップを感じますか?

Kan : やっぱりコミュニティ外の人とお話する時はマイクロアグレッションが来る覚悟で話すというか、構えちゃいますね。なんでそこに「男性は」とか「女性は」とか主語をいれるのかなと思ってしまったり。一方コミュニティ内だとそういうことを気にせずに自由に話せますね。だけど難しいと感じるのは、自分では居心地の良いコミュニケーションだと思っても、それは自分が特権を持ってると示しているだけなのかもしれないという点。僕はセクシュアルマイノリティで、シスジェンダー。トランスジェンダーではないけど、男らしい/女らしいという枠には当てはめられたくない。人それぞれ人種とか国籍とかいろんなものがあって、同じLGBTQ+コミュニティにいてもそれぞれのバックグラウンドが違うわけじゃないですか。僕が悪気なく自由に発言して心地が良くても、聞いてる人にとってはマイクロアグレッションとなるかもしれない。そういうことに自覚的でありたいです。

自分のセクシュアリティに気づいて自分を受け入れられなかったときって、それを自分のアイデンティティと思いたくなかったし、ネガティブなことでしかなかった。だからある意味マウントをとるようにしてネガティブをプラスに考えないといけないと思っていたんです。いい大学に行かなきゃいけないと思ってたし、見た目も良くないといけないと思ってたし、もっと良くなきゃ良くなきゃと思っていたから自分も傷ついてたし多分相手にもマウントをとってた。そういうことってどのコミュニティでもあると思うんですけど、マイノリティのコミュニティはみんな自分のアイデンティティを巡って傷ついてる分、それを受け入れられない人たちがマウントを取る環境になりやすいのかも。

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- 互いの背景が違うからこそ、マイクロアグレッションと呼ばれうる無意識のラベリングやカテゴライジングはなくならないように思います。それが生まれうることを前提にして、どのように自分と違う人とコミュニケーションをとりたいと思いますか?

Kan : 人それぞれ捉え方や理解の仕方が違うし、僕もマイクロアグレッションはなくならないと思います。僕が受ける側なら、これからもその人と関わりたいか否か、関わる必要があるか否かでコミュニケーションの仕方が変わると思います。日常的にマイクロアグレッションが多いから、関わる必要がないのだったら話を流したり、逆にブチギレたりするかもしれない。モヤっとすることをされて自分がそれを言えずに後でぐるぐるしちゃって沈んじゃうよりは、ガーって言って何かアクションした方がすっきりするかもしれないし、そこから自分のコミュニケーションの取り方について学びながら調整していけるかもしれない。

相手がこれからも関わっていく人であれば、僕は「その発言の意図は何?」って聞くようにしてます。無意識に言ってるから多分意図はないんだけど、考えていないことが問題だから「あれ、なんか変なこと言っちゃったかな」とか「この質問の意図はなんだろう?」とかを考えてもらいたい。「今どういう意味で言いましたか?」っていうとみんな「はっ」って表情になります。

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さっき話した「コミュニティ内での自分の特権に自覚的でありたい」ってところにも繋がるんですけど、僕もマイクロアグレッションを受けるけど、マイクロアグレッションをする側にもなりうることは常に頭の中に置きたいです。僕がもしマイクロアグレッションをしていたらできるだけ教えてもらえたらいいなって思ってるし、教えてもらえるような人間になりたいと思います。


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「自分の気持ちを大切にしなきゃだめ。」自分のことを大切に思ってくれる人はきっとそう言う。それでも、どうしても自分の一言を相手に伝えられない時がある。そんな時、心は少しだけ萎む。自分の何気ない一言が常識やルールによって意図しない形で解釈されたときのことを考えると、心に浮かんだ小さな違和感を誰かに伝えることは、多くの人にとって勇気のいることだと思うから。

カンさんは「人それぞれ捉え方や理解の仕方が違う」と繰り返し述べながら、その違いの受け止め方について教えてくれた。自分を押し込めた時間も、自分を解放した時間もその両方が流れているカンさんの言葉は、ネットで流れる無差別な批判や空虚な言葉とは全く違う。誰よりも他者との違いに向き合ってきた彼の言葉は、誰もがそれぞれの方法で自分の気持ちを大切にできる世界の実現を優しく願っているようだった。私たちが持つ背景や環境の違いがなくなることはないし、それぞれの考え方が完全に一致することもない。その違いによって傷つくことがあるかもしれないけれど、それは常識に縛られた考え方を解放するきっかけとなるかもしれないし、誰かにとって受け止めやすい伝え方を学ぶ機会となるかもしれないのだ、と。

後半ではクィア・アイの出演を経てより深められた、カンさんが考える「自分らしさ」についてお話を伺っていきます。


Writer : Maki Kinoshita
Editer:Yuri Abo
Interviewer : Maki Kinoshita / Yuri Abo / Edo Oliver

REINGでは、自分自身と向き合いながら「自分らしい選択」を紡ぎ続けている人たちのインタビューを実施。今はまだ「普通」とされていない選択をしている人たちや、フォーカスされていない関係性を紡ぐ人たちのお話を通して、形やあるものにとらわれずに、自分らしさを見つけるヒントをお届けしています。

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