コンプレックスのはなし

私の家族にブスがいない。
残念ながら、私が一番ブスだ。
おそらくそのことがあり得ないほどコンプレックスで、ずっと見ない振りをしてきた。
ただ、自己表現をする際に一番面白くない「自虐」という技を身につけたのは、深層心理でブスだと思ってきたことが由来していることはもう丸わかり。

まず、子どもの頃のはなし。
子どもは正直だ、というのは子どものときからわかっていたから、良くも悪くも純粋な気持ちで聞いていたのだけど、まあーー、あなたのお父さん、お母さんは若いよね、と言われたもんだ。
実際、そんなに若くないんだけど。
おそらく、三十年近く前の「若いよね」は褒め言葉だろう。
それって、まあ綺麗には見えてないとしてもくたびれてはないってことでしょ。
いや、しかし両親のことは褒められた。
特に母親は失礼ながら他のお母さんと比べても一番美人だったと思う。
ちょっと、私も鼻が高かった。
あと、弟がとんでもなく可愛かった。
ちょっと体が小さめで女の子みたいに可愛い顔だったので、いわゆるジャニーズ系と言われていた。
私もそう思っていた。

子どもの言うことなんて親の受け売りであることがほとんどだと思う。(特に女子は)
なので、私は大人にうちの家族が褒められている気がしてとても嬉しかった。

だけどな、私はな。
ちっちゃい頃はそれなりにお勉強もできたし、今とは違って真面目だったので、しっかりしてるね、と言われることは多かったと思うけど、美人だのかわいいだのは言われたことないのです。

まあ、そうなったらコンプレックスになるよね。
仕方ないと思うよ。
そして、何が厄介って、私の目が肥えてしまっているということだ。
普段、綺麗なもん見てるんだもん。
嫌な言い方をするとブスやブサイクに対して耐性がないのだ。

自分がブスなのに、人をブスかブサイクかで見る目が肥えちゃってる。

そんな女の思春期はとんでもない。

ある時には外国のひとにはモテるはず、とか意味のわからん理論で日系人のフリをした。

バカな女だ。

今もその呪いと戦っている。

雰囲気イケメンや雰囲気美人を見抜こうとする呪いにかかっている。

雰囲気が美しいなら、それがその人の魅力なはずなのに。
自分のことを棚上げして。

見た目も心もブスになった成れの果て三十代。
そろそろ卒業しないといけないと思いつつ、でか目メイクとかモテるなんちゃらとかしっかり真面目に見ちゃう、これこそ中二病では。

#エッセイ #随筆