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中学三年生

自閉症スペクトラムの長男は、中学三年生に進級した。
そのまま情緒学級に所属し、部活も続け、腹痛があって遅刻することもあるけれど、ほぼ毎日学校へ自力で行って自力で帰ってくる。
友人関係も楽しそうにしており、毎晩友達とライン電話をしながらゲームをしたり、ただ電話をしたりしている。
勉強は、どう贔屓目に見てもできていない。テストの点も、よろしくない。
何しろ、テスト勉強をしないのだ。できる筈もない。
一応、某ゼミは取っているけれど、本人の「ちゃんとやっている」は怪しいと思っている。実際、去年までは「やっている」と口だけだったので。
それでもいいと思っていた。全てが自己責任だから。

去年までは。

中学三年生は、進路を決める年だ。
希望を聞いたところ「大学に行きたい」とのことだった。
詳しい学部などはまだ分からないけれど、なるべく「学校」というものに触れていたい様子だった。
それならば、大学受験をするための資格が必要であり、手っ取り早いのは高校進学だ。
ならば、やはり中学生程度の学力が必要となるわけだが、いまいち本人にやる気が出ていない。
いや、あるのかもしれないけれど、それよりも目の前の楽しさの方にすぐ流れてしまう。危機感は楽しさの前では無力だ。
本当にやる気はあるのか。聞けば「ある」というけれど、彼の様子を見ると疑わざるを得ない。
進学するのならば、最低限の学力を身に着けてほしい。そして、どこに進学するのかを真剣に考えてほしい。

と、ここまで思考を凝らし、気付く。
私は、長男に対して学力の心配ができるようになったのだ。

生きてほしい、と願っていた。
安易に「死にたい」などと言わないでほしいと思っていた。
突如学校を飛び出したり、道路に飛び出したり、階段で飛んでみたり、壁に頭を打ち付けたりしないでほしい、と頼んでいた。
命を大事にしてほしい。
そんなことは、本人が一番よくわかっている。それも分かっている。
分かっているけれど、パニックに陥った状態の長男は、それが分からなくなり、己の命を簡単に投げ捨てようとする。
どうして分かってくれないのか、どうして踏みとどまれないのか、どうして口に出してしまうのか。

どうして、どうして、どうして……!!!!

そんな事ばかり言っていた。
学校からの電話が怖かった。
常に電話機にびくびくし、着信音におびえ、学校と表示があると泣きたくなった。
学校じゃなくても、知らない番号からかかると「長男関係では」と震えた。
学校に行ってほしいのに、家の中に閉じ込めたくなった。
そんなことはできないし、したくない。そんな矛盾に自分が苦しかった。

もう、私はそのようなことは思っていない。
長男関係の電話はぐんと減り、近所の人に通報されるかもしれないと怯えることもなくなった。
生きてほしい、という目標は完璧に乗り越えることができたのだ。
次は自分で生きるようになってほしい。そう、思えるようになった。


先日、義父の一回忌があった。
去年の事が嘘のように、長男はきちんと参列できた。
そわそわすることもなく、自分を呪うこともなく、命を投げようとすることもなく。ただただ、他の参列客と同じく、その場に座っていた。

「もう、大丈夫」と、長男は言った。
「もう、大丈夫なんだな」と、私も思った。

きっと、義父もほっと胸をなでおろしているに違いない。
一回忌の法要では私も落ち着いて義父を悼み、心の中で改めてお礼を告げることができた。

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