Done is better than perfect.
こんばんは「零細町工場の社長」です。いよいよ盆休み最終日。
盆休み中、家族が頑張って手を入れてくれていた自社製品のオンラインストアのリニューアルがひとまず完成しました。
さすがのセンスで結構お気に入りです。ですが、まだまだ手を入れていかなければいけません。何故か。まだまだ完璧ではないし、そもそも何が完璧かもわからないからです。
本日の表題「Done is better than perfect.」は前サラリーマン時代も含めた10年以上前から結構好きな言葉です。
意訳すれば「『完璧』より『とりあえず終わらせる方』が尊い」。持たざる者が何かを成し遂げるには、強者と同じことをしていても仕方がありません。どこかで「違いを生み出す」ことが必要です。
『完璧』ではない状態で、“モノ”を世に出すのはリスクでしかありません。何故なら『完璧』ではないからです。まだ洗い出し切れていない欠陥や失敗が残っているかもしれません。
ではいつになれば/どこまでやれば、ネガティブな要素をすべて洗い出し切れたと言えるのでしょうか。
私は広く世に問わなければわからない部分もあるのではないかと思っています。ただ「ミスだらけで適当にやりゃええねん」というわけではないです。もちろん、こちらで煮詰める作業/やるべきチェックは全てすべきです。
しかし持たざる者が、大企業ゴッコのオママゴトに酔ってリスクを恐れすぎて動けない/動きが遅くなるとしたら。あまりいい結果が待ってるようには思えません。
大切なのは自信を持って世に問うて、その返答に真摯に応えることかなと。それも迅速に。ネガティブな反応を恐れすぎず、それを改善/改良に活かすというスピード感ある経営をしていきたいです。過剰なリスク回避でがんじがらめで腰重になるのではなく。
ミスや失敗に非常に厳しい社会だなと日々生きていて痛感します。厳しい社会だからこそ多くの人がミスや失敗をしないようにピンピンに神経を張り詰めているようにも見えます。自分が日々ピンピンに神経を張り詰めているんだから、なおさら他者のミスや失敗は許せなくなるのでしょう。
私はその循環に生きづらさを感じます。感じますが、だからと言ってなんてことはないです。それ息苦しないすか?とか、その息苦しさのチキンレースで誰が得するんすか?とかは言わないです。多くの人がそれを望んでいるからそういう社会になったというだけです。非難や否定をできるような立場に私は当然いません。
ただ、自分はどう生きるかというのは選べるなって。自分がどう生きるかは自分で選びたいです。
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