誰のための人生か?
コーチングセッションでよく扱うテーマに「忙しさ」がある。
仕事が忙しすぎる、もっと自分のための時間が欲しい、というような話だ。そこでコーチである私は、様々な質問を通して、あなた自身の人生をどう生きたいのか?自分の軸で優先事項を決めて時間を使うとどうなるのか?とクライアントに問いかけていく。
なぜこのような問いかけをするかというと、クライアントの人生はクライアント自身の人生だから、本人の時間をどう使うかは本人次第だ、という考えがコーチである私の思想の根底にあり、クライアントもそう願っているからこそ悩みや願いを出してきていると捉えているからだ。
コーチングの前提として、個人の願いや理想の実現に向けて、その人が主体的に考え、自分の軸を持って物事に対処することが理想、という考えがある。
クライアント本人もそうありたいと願いつつも、他者や所属する場所の要請に流されて自分の時間が奪われてしまう。忙しいと感じる。コンフリクトが生じる。だから悩みになる。
一体、誰のための人生なのだ?あなたの人生じゃないか?
と、ここまで考えてふと問いが浮かんだ。
古来から人は自分のための人生を生きてきたのか?
いや、歴史的に見ると「自分のための人生」という考え方は、近代になってからのものだ。近代以前は、社会、家族、宗教的な価値観のもとで親やコミュニティや職場の構成員として、人は生きてきた。
その時代は、個人の自由や自己実現などという考え方は、今のように尊重されていなかったはずだ。「自分の人生だから自分の時間をどう使うかは自分次第」などという考えには遠く及ばず、人は置かれた場所で生きてきたし生かされてきたのだ。それはつい最近まで続いてきたし、今もそれが主流だともいえる。
自分のための人生、という考え方は近代になってから。そうだとしたら人類自体が自己の主体性を持ち始めたのも、最近のことといえる。そうだとしたら、人類が本当に理想のために主体的に考えて行動できるのもこれからなのではないか。
仮説として人類を一人の成人として見ると、私たちはまだ成長の途中であり(青年期なのかもしれないし中年に差し掛かっているのかも?)、今は、まだ確立できていない自分のアイデンティティと環境の要請という二重のテーマのはざまで揺れている、悩んでいる時期なのではないか。
自分のアイデンティティを手に入れて、主体的になり、他者や環境と調和する大切さを実感したときこそ、いよいよ人類は統合され、万物との共生が実現してSDGsも実現するのかもしれない。
なんだか壮大な話になったけど、つまり、自分を主語にして考え、自分軸で人生のハンドルを握り、自分の人生をクリエイトするには、人類レベルにおいてもまだまだ取り組み始めたばかりで試行錯誤が必要なのではないか、という乱暴な仮説が浮かんだわけだ。
コーチングは、人類がアイデンティティを確立するための有効な手法として、現代社会に登場した。そして、個々の悩みと願いは個人のものとして片付けられるものではなく、人類全体の悩みと願いにつながっている。のかもしれない。知らんけど。
いつまでたっても正解に行き着くことはなく、いつまでたっても白黒をつけられるものではない。そう思えば、コーチングの根底にある思想も正解ではなく、クライアントの悩みも正しく解消されるものではないのかもしれない。
そうだとしたら、何を目指したいのか?どうありたいのか?やはり問い続けることが大切なのだろう。だからコーチング。
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