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メディテーションについて:3Transcendental Medetationを習得してみた

ここ数年で生活にメディテーションを取り入れた結果、メディテーションへの興味がさらに膨らみ、Transcendental Medetationという瞑想法を習得することになり、指定インストラクターから直接指導を受けた体験記です。
この瞑想法は、ディヴィッド・リンチやマーティン・スコセッシを始めジェリー・サインフィルド、ビートルズなど、多くのアーティストやクリエイターも実践している瞑想法で、前回はトレーニングの体験を主に書きましたが、今回は主に私のTMへの個人的な理解について綴ってみたいと思います。

ここまでの流れ

決め手は脳内物質?

ドラッグは、外側の現実をシャットアウトして、幸福感を脳から強制的に多量に分泌させるものが多いので、自分の意思のコントロールが効かない意識部分に到達できますが、ここに普段、ストップをかけているのが、「思考」です。
「思考」は、経験や知識から作られており、非常に大事なものですが、この強靭な「枠」を強制的に飛び越え、まるで別の世界から自分を体験できるのが、ドラッグの良いところでもあり、同時に恐ろしいところでもあります。
というわけで、単純に、ドラッグの危険な領域を超えずに、これがリスクや副作用もなく自分のトレーニングで徐々にできるようになるならぜひやってみたい!という興味がますますわきました。

ここで強調したいのは、瞑想は決してドラッグの代わりになるということではありません。

しいて言えば、ドラッグで感じる多幸感が白砂糖の甘さだとしたら、メディテーションで感じる幸福感はココナッツウォーターの甘味のような感じ。
子供のころのような意識でものを見ることは、少なくとも、ものづくりの私にとってはとても大事なことです。

私が考えたいのは、多くの人がドラッグを使用する理由です。
多くの人が、アルコールやドラッグを、日常からの逃避、すなわち自分を強制的に思考から解き放ってリラックスを求めるという目的で使用しますが、これをもっとマイルドに何のリスクもなく毎日できるというわけです。
創作活動などクリエイティブな方面でドラッグが独特の効果をもたらすことも多くありますが、その反面、素面の状態では何もアイデアが沸いてこない、日常生活が送れなくなるなど、副作用のリスクが高いのがドラッグ。
「ドラッグもアルコールも否定しないので、そのコントロールはしない」が、「多くの人が、それを必要としなくなる」という部分も、気に入りました。

私がなぜドラッグという視点を持ち出したかというと、アメリカではドラッグの使用は日本より規制が甘いためドラッグ中毒に苦しんでいる人がとにかく多くおり、私が参加したグループセッション内にも、鬱でドラッグがやめられないという男性がいて、このディスカッションになったからです。
非常に興味深いディスカッションで、ここから私は上記の気付きと理解を得ることができました。

毎回「超越状態」に到達することが、この瞑想のゴールではない

ものすごく疲れが溜まっている時に、10分眠っただけで頭がリセットされて仕事に戻れた時はありませんか? 英語でいう ”Super Nap” をとった時の感覚と似ています。
メディテーションは毎回毎回違うもので、例えば20年以上メディテーションを続けていて、超越した深い意識に到達したと感じたのは数回のみ、という人もいれば、毎回メディテーションの際に涙を流す人もいるそうで、その深さはあまり問題ではないそうです。
自分にリラクゼーションを与え意識を白紙に戻す、という、頭の中のお掃除をすることで、日々リフレッシュしたストレスの少ない状態を保つという事が何よりの目的だという事を4日間の間で繰り返し教わりました。
そのサイドエフェクトとして、血圧や心臓病のリスクを減らしたり、集中力が高まるという事例が起こるのだそう。

楽に続けられそう(というフルーツ青汁愛用者の宣伝のような感想)

指導が始まって私がはじめに気付いたことは、食べ物が普段よりも少しだけおいしく感じられたという事でした。冷蔵庫に入っていた昨夜の余り物の食べ物のおいしさに小さく感動したことから始まり、 神経が落ち着く事で五感がマイルドに冴えわたるので、普段は大嫌いな雨を普段より少しだけ心地よく感じることができたり、非常に小さな変化でした。

TMは、完全な変化や効果が現れるまでに、数週間 ~ 人によっては一年、二年とかかる人もいるようなので、私もまだその変化を受け取るまでに至っていません。
その為このメディテーションは、食べる、お風呂に入る、排せつする、という毎日の行為と同じような感覚で、「習慣にする」という事が非常に大事なことだと教わりました。今までの瞑想方法では、習慣づけるのが困難で、調子の乗らないときは数週間メディテーションをしない、という事もあったのですが、変化が大好きで継続が苦手な私が今のところTMに関して期待しているところは、今のところはこの先もしばらく続けられそうな予感がするという事です。

それはシンプルに、お風呂に入ったりマッサージを受けたり、食後のお酒を楽しむ、という一連の行為と同じく、単に気持ちがいいからゆったりとした時間を過ごせるから、という簡単な理由だからです。
朝と夜の20分ずつという時間が長すぎると思う人は、自分が携帯電話を一日に見ている時間を確認してみてください。
私は色々な個人的利点からソーシャルメディアを見る時間を意識してコントロールしていますが、一日に自分の内側を見つめる時間を作った上で、初めて画面の先の友人の行動を見たいな、と思います。
なんと言われようがこの順番は私にとって絶対にひっくり返ってはならない、非常に大事なことです。
また、私は正直、普段自分が感じている、他人とはなかなか共有しない意識の話をかなり深くインストラクターやグループセッションの人とできた事も自分にとって非常に有意義な4日間になりました。

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私はどんなライフスタイルや思想も、「自分の気に入った部分だけを取り入れる」のが好きです。肉食・菜食思想も、「禁止」ではなく「減らす」という、フレキシブルに取り入れるスタイルの「フレキシタリアン」だし、音楽やライフスタイルにもルールやコミットをしていません。
統一された、または極端なものを選択する自由もあれば、色々なものを取り入れてどこにも属さない自由もあると思っています。
ちなみに、これはあくまで私個人の感想で、何度も書いたようにメディテーションにはそれぞれに合った種類ややり方があります(なのでリンクも貼りません)。

どんな方法にせよ、メディテーションがいかに自分の精神状態を安定させるのに効率的かという事をシェアしたく、数か月ぶりにNOTEを書きました。
メディテーションに興味のある方の参考のひとつになれば幸いです。

続きは、最終的な見解です。


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