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「穏やかさ」の手に入れ方

この一年で、父とサシで話ししてもビビらなくなったなと思う。

過剰に父を崇めたり、自分を謙らせたりしてた。とは言え今も「父上」という癖は抜けないけど。

健常者だった人が障害者になった時に経るステップは4段階だと何かで読んだ。今調べてみると5段階とでてた。

第1段階がショック期、
第2段階が否認期(「怒り・うらみ」と「悲嘆・抑うつ」)
第3段階が混乱期、
第4段階が解決への努力期、

そして、第5段階が受容。

私が読んだ時の最終段階は「諦め」と書かれてた。

最近、父は元気がない。張り合いがないとも言えるし、ちゃんと疲れてるとも言えるし、家族とも離れてベッドに横になる時間が増えて、今の自分を受け入れ「諦め」を感じているようにも見えた。

自分をそのままに受け入れるって、難しい。
父のように急に四肢が動かなくなった人は相当だろうと思う。
時間が解決するかと言えば、そういうことでもない気がする。
反発したままで歳を重ねる人もいるでしょう。

なんとなく、父を見ながら感じたのは
こんなこと思いたくないな、という自分を受け入れる、というエネルギー。

こんなふうに思ってはいけない
こんな感情感じたくない

そんなふうに感じることなんて、誰にだってある。
思考で誤魔化して感情にフタをして
思わないでいることも感じないでいることも
現代なら比較的簡単に思う。
気を紛らわせる娯楽やツールならたくさんあるから。

しのいでいるだけでいい人と、
それだけではな、、となる人がいるのだと思う。
魂が決めているのだと思う。

スピリチュアル的なことをあれこれ言うつもりはないけれど
もう、どうしたって、こうしたくてたまらない、
こうせざるを得ない!と思うくらい夢中になれたり、
それを仕事に出来ている今、
やっぱり自分がこの世に生を受けたからには
お役目があったり、これをやりに生まれてきた、
というものがあるように感じるようになった。

それは、必ずしも何かを成し遂げる、ではなく、
誰にどんな影響をもたらすか、の貢献、に置き換わる感じ。

物理的に何かをしてあげる、だけじゃない。

在り方で、問うて、気づかせる。

そんなことが出来たらいいなと思っていた矢先、
そんな存在が既にいた。
父だった。

華やかな場にいて、地獄を見て、
葛藤し、穏やかでいる。
ずっと側にいた母からもそれが伝わる。

自分を受け入れるのは難しい。
でも、それが出来たときには穏やかさで包まれる。

人生の光をみる過程ってこういうことじゃないかと思った。

最近食欲がないと聞いていたので
美味しそうな鯖寿司を持っていった。
主人が頂いてきた賞味期限3日のどらやきも。

うまいと言って、3切れと半分を食べた。

目眩がするからとベッドも起こせないかと思ったけど
みるみる目が輝いていった。

「やっぱ美味しいのを食べないとな」
といった。

多分それは、心が喜ぶものに触れる、ということだと思う。

ただ、世間一般的に栄養バランスのいい食事をとっていたら
いいんだろうか。
肉体は維持できると思う。けど、
肉体だけで人は生きてるわけじゃない。
心も栄養がないとね。


部屋の入り口に置いてるのに気づいた看護師さんにたずねられて「あ、それ美人が通ったらシュシュって出るらしいよ」といって、ちょうど電池切れだったタイミングで怒られたと話ししてくれた。具合が悪くてもユーモアを忘れないのが父らしさの一つ。

心の栄養。

父もまだまだ循環を起こしている。
見習おう。

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