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れーれー日記 21.12.24(金)

朝から、坂口恭平さんの文章でドキッとする。

なにかをつくるのではなく、なにが素晴らしいのかを評価するということこそが「創作」なのであると石山修武は直観していた。そこで、僕もそれを見習って実践に移すことにしたのだ。
『生きのびるための建築』書評より


そこからレヴィ・ストロースへ

「ブリコレ bricoler」は、ボールが跳ね返る/犬が迷う/馬が障害物を避けて直線から逸れる、といった「非本来的な偶発運動」をあらわす語である。ここから示唆されるように、ブリコラージュとは、計画的に準備されていない、その場その場の限られた「ありあわせの」道具と材料を用いてものをつくる手続きを指す。この仕事に従事する者はブリコルール(器用人)と呼ばれる。
美術手帖


その辺にあるものでモノを作る。何もアートのくくりでなく、「日常」がそうれあれば良いのだ。坂口さんは、隅田川のホームレスの人に教わった。ソーラーパネルまで装備された河川敷の家。もとはすべてゴミだ。

そうか。何かがコトン、と嵌った。

その後、今日がクリスマスイブだと気がついたので急遽買い物に。予想通り結構な賑わい。チャチャっと必要なものだけ買って帰るが、疲れた。

夜は宴。と言っても、ローストチキンと野菜とスパークリングワイン。それに、ケーキ。簡単だけど、何か特別感があってこれはこれで楽しい。外国の祝祭に乗るのはどうかとは思うけど、ま、いっか。

友人のFB投稿から黒の舟歌の話になり 、長谷川きよしの動画を見る。

震える。確実に、こちらの何かが動く。なぜ?

FBで簡単に吐かれる言葉とまったく違う。そもそも、消費前提の陳腐な言葉はどこに消えていくのだろう。宇宙のゴミとなって漂うのか。

もしそうだとしたら言葉に失礼なんじゃなかろうか。少なくとも自分が世界に発するものは、宇宙のゴミではなく地球の中で生をまっとうさせたい。と思った聖しこの夜。

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