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底辺フォトジャーナリスト ミャンマー白骨街道に1週間だけ行ってみた②


クーデターから3年が経過したミャンマー。終わらない内戦のなか、無謀な作戦の代名詞にもなっている「インパール作戦」の舞台のひとつ、白骨街道を目指します。幾多の(小さい)苦難を乗り越え、ついにカレーミョ空港に降り立ちましたーー。

 



ホテルの予約トラブル

 4年ぶりのザカイン州・カレーミョ。この街の広さは2,330平方キロメートル、岐阜県高山市程度。人口は37万人、越谷市ほどです。住民は大きく分けてビルマ人とチン族というふたつの民族が共生しています。割合としては2:8くらいでしょうか。気候は山岳地帯のためヤンゴンほどの暑さはないものの、到着時の気温は20度ほど、じんわり汗がふきだすくらい、日本の初夏といったところです。


カレーミョ空港前 リクシャー&タクシーでごった返しています
カレーミョの街の全体図 西はチン州の山岳地帯が広がっている

 ここはインパール作戦で第33師団、通称「弓兵団」がインパールに向けて出発した、言ってみれば旧日本軍のスタート地点。白骨街道が延びるチン州まではおよそ12キロ。空港から西へ20分ほど車を走らせればすぐの、まさに州境の街です。現在サガイン州を支配する国軍と、民主化勢力NDFが制したチン州との戦闘の真っ只中にあります。
 空港を出ると出待ちのタクシー&リクシャー運転手が一斉に声をかけてきました。見たところクーデター前と変わらないように見えます。私は現地ガイドと連絡を取り、しばらくベンチに腰かけて待つことにしました。

 フレンドリーに話しかけてくるタクシーのおっちゃんをかわしながらしばらく待っていると、ガイドのM氏が到着しました。彼の住むテディムはカレーミョから北西に85キロ、およそ2時間ほど車を走らせたところにあります。


クーデター前のテディム(2019年)


テディムの位置(赤ピン)かつての旧日本軍33師団は北へ歩いてインパールを目指しました

 彼によるとカレーミョから北側は空爆や戦闘もなく通常に近い状態だとのこと。それならば、あわよくば取材もできるかもしれない、そう思って現地に来てみた、というわけです。次の日の朝には、彼のアテンドで私の移動計画が決行するはず。期待半分不安半分で、エクスペディアで予約したホテルに到着しました。

 ホテルカウンターでネット予約した旨を伝えると、スタッフ同志何やら訝しげに話し合っています。
「お客さま、予約の件でお知らせしたいことがあります」

 年若い女性スタッフがおもむろに話す内容によると、私が支払いをした予約は、クレジットカード情報を政府がチェックしているため、ホテルに収入として入ってくるのが4年後(4カ月の間違いではなく)になるということ、そうした理由から私に現金での支払いをしてほしい、とのことらしいのです。

 そんなシステム考えられますか?? それがこの国の理なのでしょうか? いずれにしてもそれ、私にまったく関係ありませんよね? それこそ何度もそのことを主張しましたが、話を理解していないのかはぐらかしているのか、まるでブッダのような微笑みを絶やさず、「ONLY CASH」の一点張りです。何とも納得できませんし、他のホテルを探してもよかったのですが、それで支払い済のお金が返ってくることもなさそうだったので、渋々払うことに同意してしまいました。トホホ……

行けるか行けないか 白骨街道へ

 次の日の朝9時ガイドのM氏とホテルのロビーで落ち合いました。出発前から彼は深刻な表情でしきりにどこかに電話しています。話によると私がカレーミョに到着する3日前から紛争が動き始め、州境の戦闘が激しくなっているとのこと。アテンドしたドライバーも未だ動くことができていないようです。何だか嫌な予感がしてきましたーー。

戦闘に向かうミャンマー軍のヘリ

 そのまま3時間ほど待ちましたが状況が良くなる気配はありません。ときどき響く砲撃音もそれを表しています。ジリジリと時間だけが過ぎます。M氏はおもむろに口を開きました。

「この先外国人のあなたを連れて先へ進むことができません。行けたとしても帰りの飛行機までに戻れる保証はない。残念ですが、残りの日程はこのホテルで過ごしましょう」

 こうして白骨街道への道は閉ざされます。予想していたことではありますが、現実を受け入れるのに少し時間がかかりました。

1944年、33師団が越えたアラカン山系


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