見出し画像

愛にコミット

Podcast奇奇怪怪明解事典で、玉置周啓くんが新曲 LOVE LOVE について

『(キツイので思い出すのも)避けたくなるような、未熟で青い愛に浸っていた頃っていうのが実はとても大事で、愛というものに最大限コミットしていた時期かもしれない』

『いちばん、自分の心に真摯だった可能性があるのではないか』

ってことを話していて、とても面白かった。


<※ヘッダー画像は、MONO NO AWARE 公式HPより頂きました。

Podcast奇奇怪怪明解事典も超面白いので、ぜひ。>

彼が言っているのは10代の頃の恋愛の話だが、恋愛じゃなくても、周りが見えなくなるほど没頭したり、命を削って入れ込んでいる状態を経験したことのある人には、心当たりのある内容だと思う。

私も夫のタツノリ君に一生懸命恋をしたり、目標のために一生懸命部活や仕事をして、確かに10代20代はフルコミットしていたような記憶はある。

じゃあ30代の現在は?今って一体何なのよ?この疑問は、大人になることへの寂しさとイコールで繋がっている?

タツノリや仕事とかに対して、大切に思う事実は変わっていないけれど、明らかにその形状が変わった感覚はある。どんどん薄味になる、ちょっとずつ崩れていくような感覚だ。

私の祖父が76歳のころに自主出版した、戦争時代の27日間に及ぶ、右腕を失った壮絶体験を綴った本がある。あとがきに書いてあったことがまさに、コミットの話そのものだった。

『自分の七十余年の生涯を通じて、明日の事は考えないで、「今日一日」というより、「瞬間」を命懸けで生きた日が、果たして何日間あったのか反省してみると、厳密に言えば、あの二十七日間だけではなかったか。

してみると、これは一生で最も大切な「生きがいの記録」として、絶対に残すべきであり、文章の巧拙など論外だと気付いたのである。』

画像2

祖父は戦争で右肩からすぐ下を切断して、利き腕を失ったにもかかわらず帰還して8年後に、住んだこともない富山で会社を興した。(立派なことに、今もその会社は続いている)

私からすると戦争以外の瞬間も祖父は真摯であり続けていたと思うが、この27日間以上の経験は無かったと言うんだから、祖父にとってのコミットはやはり、壮絶な戦争での日々だということになる。

人は結局、どんなに色々と取り組んでも、その中で最上級の高揚だけを大事にするということなのだろうか。

もしそうなのであれば、若い頃以上のコミット経験は無いということになる。脳みそも心臓も柔らかくて、そのうえで初めての経験をするんだから。

ということは。例えば、私とタツノリの愛のコミットがこれから塗り替えられる可能性も…何かよっぽどの事が起きない限り、ないと言うことなのか?!

大人になるのが寂しいのは、やはりそれを何処か肌で感じ取ってしまっているからなのだろうか。

なんてことだ。これからもっと愛にコミットすることは不可能なのか。いや、そんなことはないはずだ。私は歳を取っても、少しずつでいいから愛のコミットが欲しい。

タツノリの乳首の位置が、実は思っていたよりかなり低位置にあると、昨年突然告白されたとき。雷が落ちて、えっ!ってなって、愛が更新されたような気がしたんだよ。

私はそんな彼の新しい一面を知れた事が嬉しくて、会社の同僚や友達に言いふらしてた。それくらい新鮮な出来事で、楽しい気持ちになれたんだ。

そりゃあ青春時代ほど頻繁ではないけれど、そんな初めての衝撃を、これからもぶち込んでくれ、いや、ぜひとも取りに行かせてくれ。

夫婦関係じゃなくたって、趣味や仕事だって何だって、生きている限りはずっとコミット出来るはずだし、そう足搔きたい。

実際に祖父が遺してくれたこの本こそが、証明になっているではないか。

愛のコミットを、私は絶対過去だけのものにしない。謎にそう誓った、37歳の春であった。





気が向いた時、サポートしてくださるとウレシイです。