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"自分らしさ"は、社会の中で見つける

こんにちは。富山で育つも、窮屈に感じ18で上京。大学卒業後、憧れていたファッションブランドで海外買付に行くという夢を叶えたはずが、それでも拭えなかった生きづらさにどん詰まり、37歳の時にフリーランスになった女、れいこです。『HELP!』を立ち上げて2年が経ち、今は人の相談をたくさん聞きながら暮らしてます。事業として成立するようになってきました。

会社員を辞めた当時の葛藤の様子は、初期の記事でも書いてますので、そちらもぜひ!

今回は、最近よく聞く"自分らしさ"の正体について。

少し長いですが、面白いと思うのでぜひ最後まで読んでみてください。



"自分らしさ"とは実にトリッキーな言葉だと感じる。

"自分らしさ"は社会と自分との接点の中にしか存在していないにもかかわらず、"自分"だけに矢印が向いてしまうような言葉だからややこしい。

社会の中で見つけるってことは、他人と自分を比べるってこと。"社会の中にいる時の自分"に一貫している特徴を掘り下げて経験を重ねていけば、"自分らしさ"は必ず見つかる。けどこれがけっこうしんどい。キツイ。だから挫折してしまう人が多い。「人と比べないで!」という声を最近よく聞くのは、あまりにもキツいから、「一回休もうよ、ね?」という事なのだと思う。だけど人と比べた先にしか"自分らしさ"は見つからないのに「比べないで!」と不特定多数に言ってしまうのは、大変デンジャラスな呼びかけでもある。

問題なのは、『人と比べてただ落ち込む』こと。それだけで終わってしまうことである。自分らしさを見つけたいから今比べてる。キツイけどやらないともっとキツイから自発的に比べる。それが理想。恐らくみんな苦しんでるのは、自発的じゃないタイミングで、急にそれがやってくる時のこと。そういう場合はSNSを閉じて、『今私はショックを受けてるな』と自覚すれば良い。『急に来ちゃってビックリしたよね』と、友だちと話すように自分に話しかける、そんな感じで良い。

かくいう私も、自分らしさは社会の中で見つけた。今となっては本領発揮して引きこもりをかましているが、社会に出て、戸惑いながら、自分と違う環境や価値観のたくさんの人たちとの関わりの中で見出して行った。中途半端な学歴やらスキルやらのおかげで、頭の良い人からトンチンカンな人、超センスの良い人からそれに触れる機会のなかった人、お金持ちから貧乏な人、都会しか知らない人と田舎しか知らない人、色んな人と時間を過ごした。人間関係の振り幅はなかなか大きい方で、これが結構今の自分の仕事に役立っているように思う。

幼い頃から、他者にこれでもかというくらい馴染めなくてとても寂しい思いをしてきた。みんなが笑ってる時、何も面白くない。もちろん友だちとも特に気が合わない。が、そんな孤独な時間のなかで、私は道具をいくつか手に入れた。つまらない毎日を埋めるために時間を費やすようになった、音楽とファッションという道具だ。これも比較してみると面白くて、"自分らしさ"を考える必要のないくらい幸せな人たちは、道具を持ってなかったりする。世間で強みとなる資質を、そのまま武器に出来た類の人たちである。学歴、容姿、家柄、性格、環境、これらは資質による武器。でもそんな幸せな人たちも何か壁にぶち当たると、他人と自分を比べて嘆きはじめる。やめてくれ。道具を持たなくても良かったくらい、武器を持ってた人生なんだから良いじゃないか、と言いたくなることもある。しかし武器は意外に脆いものかもしれなくて、壊れた時には道具を持っていないと修理方法がわからないのかもしれない。

話を戻すと、私は学生時代で一番楽しかったのは大学のとき。道具を持ち合わせて集まってきていた人たちが友だちになった。音楽サークルに入って、それまで富山でできなかったような話がたくさん出来た。私が特に仲良くなったのは、音楽をよく知っている男の先輩たちだった。彼らの特徴は、みんな寂しそうだったということ。道具の使いみちは、お互いを癒すため、さみしいって顔に書いてあるような愛しい人たちだった。たまに、自分が持ってる道具を振り回して、武器みたいに使ってる先輩もいたけど、そういう先輩とは、いまいち仲良くなれなかった。

社会人になると、また広い世の中に放り出されて、自分が道具だと思っていたものが社会では使い物にならない経験をした。道具も役に立たないうえ、人間関係においても、あまりにも他人と自分が違いすぎてキツイ。会社の集まりでも、みんながワイワイしている姿を真顔で眺めては、愛想笑いをしてみたりもするが何一つ楽しくない。富山にいた時によく感じていた、自分だけ浮いている感覚、誰からも理解されていないという孤独。道具が少しでも役に立ちそうな職場を選んで必死にやってみるも、なんで毎日こんなにキツイんだろうと、何かおかしいと思い始めたのが33歳くらいの時。周りを見渡し続けて、ある日ハッと気が付いた。必死に調べていると、社会心理学の本にたどり着いたりして、これも大きな助けになった。社会の中で、他人と自分を比較していくことで、違いを少しずつ見つけていった。その違いの集合体が"自分らしさ"だった。

私の場合、"自分らしさ"を見つける過程はマジで死ぬほどしんどかった。その過程の中には、こんなに色々やってきたのにそれでもなお、自分が大したことのない奴だと受け止めなければいけない事実を突きつけられることがキツかった。他人と比べる作業において、自分がちっぽけな奴だと知ることからは逃れられない。でも元々キツかった私には選択の余地がなかった。

幸せな人はそこまでの想いをする必要は無いと思うけど、これを読んでいる人の中には、いまも死ぬほど辛い思いをしてる人がいると思う。死ぬほど辛い思いをしてる人ってことは、世間が当たり前に持ち合わせているものがあなたの手元にはない。変わりたいけど何から始めたらいいか、考えれば考えるほど頭でっかちになり進めない。だからあなたの生活は、すでに成り立ってなかったりする。休みの日も誰にも会いたくなく、家で寝ながら他人の生活を見ては、さらに落ち込んだりしている。仕事もあまり楽しくないし、心から笑える人間関係もない。何でわかるんですかって、昔の自分だからである。私はそういう人の役に立ちたい。切実な人の役に立ちたい。幸せな人と話してても何もしっくりこない。幸せな人たちが抱えている『悩み』は、『悩み』ではなく『選択』でしかない。どん底には『選択』すらない。幸せな人たちは、選べる時点でとても幸せだということを自覚する必要がある。私が興味があるのは、死にたいほどのどん底から自分の力で幸せを勝ち取った人だけである。最も抵抗を感じるのは、どれだけ恵まれているか自覚の無いまま、私利私欲のためだけに生きている人たちである。

自分の違和感やしんどさについて、具体的に教えてくれる大人は昔から今にいるまで、私の人生には特にいなかった。37歳の頃に、坂口恭平に出会うまでは。顔にはすっかりシワが増えていたけど、私の人生はここからだって思えた気がした。誰も教えてくれなかったというよりは、自分の中にあるしんどさについて、20代の頃はそれを言葉で他者に伝える賢さもなくて、身近な人たちにそれを伝えることも出来なかった。

坂口恭平の本には、『具体的に何をすればいいのか』が書いてあった。「こういう特徴の人はいつも肩に力が入っているはずだから、横になって心臓の負担を減らすと良いよ」とか、そんな感じで、とても詳細に書いてくれていた。私が知りたかったのはそれだ。『具体的に何をすればいいのか』知ることで、私は死にたい気持ちから解放された。

これまで社会で他人と自分を徹底的に比較したことで、

①個人の特性や良いところ(自分らしさ)
②社会の動向(社会的需要)

に敏感なことこそが私の"自分らしさ"だと気が付いていたので、その2つを掛け合わせて、自分の事業『HELP!』の中のサービスの1つとして、『パーソナルキュレーション』立ち上げた。肩書もパーソナルキュレーターと名乗り、ホームページや名刺も作ってみたりして、毎日がとても楽しくなった。

変わりたい、何かチャレンジしてみたいと思っているがどうしたら良いかわからない、という人が、『具体的に何をすれば良いのか』を、オンラインで話をしながら一緒に見つけていく。友だちと話している雑談みたいな感覚なのに、色々クリアになっていく。これはパーソナルじゃないと意味がない。セミナーに行っても、自分に向けて書かれているわけでは無い自己啓発本を読んでも無意味なのは、それがパーソナルじゃないからである。

パーソナル キュレーションをすると、他人と自分の比較の考察が浅いほど"自分らしさ"見つけていくのは大変だけど、少なくとも必ずみんな『具体的に何をすれば良いのか』『どうすれば満たされるのか』は見つかっていく。

キュレーションという言葉をチョイスしたのは、その人の人生から現代に見合う部分をピックアップして、さらに私の言葉に置き換えることで、自分の持っている個性や世の中がこれまでとは少し違って見える手伝いが出来ると思ったからだ。

アーティストが展示をする時に、美術館には美しい解説文が載っている。あれはキュレーターさんのお仕事。今この時代に、なぜこのアーティストの、この作品を展示するのか。それに通ずる感覚が私にはあると思った。目に見えなくても、誰しもが人生において大切にしてきた価値観やこだわりがあって、それを私が解説文にしたいと思った。

何より、自分のルーツと通じ合っている言葉を選ぶ事が大切だった。

富山にいたころ、周りに馴染めない寂しさを埋めるために、沢山のライナーノーツを読んだ。母に連れられて、たくさん美術館にも行った。大人になって、大好きなアーティストの展示もたくさん見に行った。

社会と自分との接点を作ってくれていた道具を磨き上げて、私はようやくそれらを武器にすること出来たわけだ。

今、生きづらくて苦しんでる人の役に立ちたい。他人を助けているように見えて、実は私自身が助けられていると、2021年にHELP!を立ち上げてからずっと言ってきた。私が人生でやりたいことは、ほんとこれだけである。ただ、あなたがどれだけ変わりたいと思っているのか、言葉にしてくれないと私もわからない。みんなわからない。伝えてくれたら、力になりたいと思う。

自分が作ったこの仕事をとても誇らしく思うし、これからもたくさんの人の相談に、たくさん乗っていきたい。

#ウェルビーイングのために


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