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#45【気付き】草むしりって深い。

久しぶりの投稿です。
色々手を出しすぎたので、noteをやめようかな?と思ったのですが、

今日思った事は何故か『noteに残したい』と思ったので、ここに書こうと思います。

■庭の草むしり

9月に家の草むしりをしたときに、
思った事をFBに上げたら、結構たくさんの人から共感をもらいました。

【草は、わたし?】

この夏、暑すぎて放置していた庭の草。
いよいよ隣家の敷地に侵入しようとしていたので、
『長くなってしまった草だけ抜こう』
と、重たい腰を上げる。

そして、順調に長い草を抜いて思うのです、、、

ー短い草も気になる…(~_~;)ー

長い草に隠れて見えなかった、短い草が気になり出す。

そして、その短いのを抜き始めると、
全然終わらない…

そして、疲れで中途半端で終わる。

あぁ、これは、まさにわたしだ。

肩が痛いな、、と思って肩を揉んだら、
あれ?今度は腰が痛いかも?
ってなって、結局、色々痛いかも?ってなって放置。

大きな問題や不安を解決しようとすると、
その奥に隠れていた小さな不安が気になり出し、
全て解決したくなって、
途中で力尽きて、放置。

そんな時、この前受けた『断捨離講座』で習った言葉を思い出す。

ー部分即全体ー

見えるカタチと見えない世界は繋がっているらしい。

要は、庭の草はわたし自身。
ボーボーに放置されすぎて、全体が見えてない。

でも、今日はあえて草むしりを
『途中だけど、オッケー』と。

今のわたしは、このくらいかな?と思えたから。

一気に変わるのではなく、
少しずつでよいから、キレイにしていこう。

何より、、、

涼しくなってからやる。

2023.9.18

この時は暑すぎたので、30分くらいでやめちゃったんですけど、昨日改めて抜いたんですね。

そしたら、こんな事思いました。

■『中途半端』は怖い?

草むしりって、野菜育てたり花育てたりしてなかったら、草がなくなったキレイな状態がゴールですよね、基本。

でもそのゴールってなかなか体験難しいけど、“何も無い”が気持ちよいってことは、なんとなくわかる。

そんなとき、ふと思ったんです。

ーわたしは“何も無い”事が怖くて、たくさんの鎧(知識)をつけてきたけど、怖さは消えた?
むしろ鎧をつけたことで、怖さも増えたし、手が行き届かない事が増えた気がするー

と。

そしてこの鎧が、目の前の雑草と重なるわけです。

綺麗な花を咲かせたくてたくさんのタネを蒔いたけど、
どこに何植えたかわからなくなって、
肥料も散漫しちゃった状態。

そして、雑草が育つ…

自分だけじゃない。
子どもや周りに対してもそう。

運動できる子になってほしい!
勉強できる子になってほしい!
自信持った子になってほしい!

そう思ってたくさんやらせるけど、
ケアしきれなくて、中途半端。

中途半端だからすべて50点。
赤点ギリギリ?

だから、不安になってる。

■『何も無い』は怖くない。

だけど、草をむしって思う。

ー何も無い事は怖くない。
むしろスッキリ、きれい、気持ち良いー

そう思った瞬間、
なんとなく吹っ切れた感を感じました。

もちろん、
勉強しなくてもよいとか
何も習得しなくてもよいとか、
そう言う話ではなくて。

ただ、

ーあればあれば良いけど、
無くてもそれはそれで大丈夫ー

そんな感じ?

■腑に落ちる瞬間は人それぞれ。

多分多くの人が同じようなことを言ってるけど、いまいち腑に落ちなかったのは、

自分で体感してなかったから。

人それぞれ、腑に落ちる方法ってあると思います。

わたしはそれが『草むしり』だった。

その方法はなんであれ、

行きつく先はきっと同じなのかもしれない。

と個人的に思っています。


ちなみに断捨離とかまだ少し苦手なわたし。
要る?要らない??が難しい時あるから。

でも草むしりは基本『要らない』から、いちいち選択不要。
捨てるのが苦手な人にはオススメです。

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