見出し画像

しぜんのかがくep.46(5/17)東北紀行②(岩手県、宮城県)松の話、松島、末の松山

松(マツ)〜日本人に親しまれている木、そして災害を防ぐための木

松は杉や桧(ヒノキ)と同じようにどの場所にもある木ですよね。松竹梅とあるように縁起いい木でもあります。松は冬でも縁を保ち寿命も長い(500年〜1000年)ことから平安と長寿を表すそうです。

松はいろいろな種類がありますが、特に本州北部から九州、屋久島まで生息しているのが、「赤松」と「黒松」ですね。

せいかつ緑化計画【「黒松」の歴史や文化を次の世代へ】 庭サポHPより

黒松は幹が黒っぽくゴツゴツしています。海岸近くにあり、塩害に強い種類です。幹も太くて風雪にも耐えます。そのため、砂防林として海岸の砂浜などに植林されてきました。(※松の葉が塩害に強いのは、葉の中央にある大きな維管束(水分や養分を運ぶ管)の部分が内皮で囲まれており、余分な塩分の流入を防いでいるそうです。)

赤松は幹が赤っぽく見え、成長が早い種類です。平地の都会でも見られます。荒地や火災にあった土地でも育つため、パイオニア種とも言われています。松茸は赤松に生えます。松が乾燥した土地に生えることができるのは、松茸などのキノコが生えるために水分などが保持されているからだそうです。

松が海岸によく見られるのは、先ほどもお話ししましたが、砂防林(防風林)として人々が江戸時代に植林したからですね。それまでは海岸の砂が畑や民家に強風で飛んできて砂で埋め尽くされることがしばしば起こったそうです。
後でお話ししますが、これまでの災害でも松は人々を津波から防いできました。
松は災害を防ぐだけでなく、白い砂浜や海岸沿いに松がそびえ立つ姿はとても美しく、「白砂青松(はくしゃせいしょう)」とも言われています。

今回行った陸前高田市の松もその一つです。
この場所はかつて、「高田松原」と言われ、江戸時代から松が植林され、約7万本の松の景勝地でした。

「高田松原」陸前高田市HPより

1896年(明治29年)明治三陸津波、1933年(昭和8年)昭和三陸津波、1960年(昭和35年)チリ地震津波でも松原は防潮林として市街地への被害を防いできました。

2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)では、10メートルも超える大津波に呑み込まれ、ほぼ全ての松がなぎ倒されました。奇跡的に1本の松が倒れずに残り震災直後から復興のシンボルとして、「奇跡の一本松」とされモニュメントとなっています。この奇跡の一本松はアカマツとクロマツの交雑種(アイグロマツ)で、高さは約27.5m、幹の直径約90cm、樹齢は173年でした。周りの末に比べてもかなり大きな松の木だったそうですよ。

ボランティアによって再植林されたアカマツ(海側にクロマツ、陸側にアカマツが植えられました)。松原が震災前と同じ光景に戻るまでには、約50年の歳月がかかると見込まれているそうです。

今回、宮城県松島町で日本三景の「松島」を見てきました。松島は約260もの島々からできています。
※日本三景は松島以外は、【京都府:宮津市】天橋立【広島県:廿日市市】宮島 ですね。

松島の島々

松島海岸一帯は、震災での津波被害が地域より少なく、国宝の瑞巌寺や海辺にある五大堂も無事でした。これは松島湾の地形と、多くの島々が津波を軽減したためと考えられています。

また宮城県多賀城市の「末の松山」にも行きました。

末の松山

有名な歌が残っています。
「契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末の松山 波こさじとは『後拾遺和歌集 初版1086年』」
 (私たちは心変わりすることはないと約束したのに。お互いの着物の袖が涙で絞れるくらい濡らして、末の松山を波が越えることはないのと同じように2人の愛も変わらないと。それなのに」)

百人一首ですね。約束を破って心変わりした女性を責める失恋の歌を、ふられた男性の代わりに清原元輔(908〜990)が詠んでいる。元輔は清少納言(966?~1025?)の父で、三十六歌仙のひとりです。

実はこの波とは、869年の平安時代の貞観地震による津波の際の様子を表しています。この時、2011年の東日本大震災に匹敵する津波が東北を襲いました。仙台平野はほぼ一面が冠水しましたが「末の松山」(多賀城市八幡)には届きませんでした。その際、周辺の市街地は2メートルも浸水しましたが、末の松山に避難した人は無事だったそうです。

2011年の東日本大震災で津波がきた場所
現在地の駐車場まで津波が来ていたようです。

日本らしい美しい風景は昔から人々が手をかけて育ててきたものですね。それが災害の避難場所として1000年を超えて和歌で後世に伝えられていることも興味深いです。

防災ひとこと

「恋の歌は今でも不変。現代にも伝わる」

この「末の松山」の歌には、基になったと思われる歌があります。『古今和歌集 905年奏上(平安時代前期の歌)』に収められた歌で、陸奥(みちのく:現在の青森県、岩手県、宮城県、福島県、秋田県北東部)の歌ですが詠み人はわかりません。
 「君をおきて あだし心をわが持たば 末の松山 波も越えなむ」
 (あなたを差し置いて、他の人への浮気心を持つようなら、末の松山を波が越えてしまうでしょう)
こちらも恋の歌で、「末の松山を波が越えない」ことを、絶対にないことの例えにしている点は、元輔の歌と同じですね。

また、松は油が多く含まれているため、火がつきやすく燃料としても使われています。松ぼっくりや乾燥した松の葉を集めると着火剤にもなるんですよ。普段はキャンプ、災害時にも役立ちそうですね。

⭐️Podcast本編はこちら↓宜しければお聴きください♪
神田沙織 がりれでぃ スピンオフ
ナチュラル・サイエンス・ラボ
しぜんのかがく



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?