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長い有休の合間に『オッペンハイマー』を観て世界の平和について考えた 2024年4月第3週の日記

2024年 4月21日(日)

10日の最終勤務日から1週間以上経った。長いような短いような不思議な気分。
会社に通っていたのが遠い昔のような気もするし、これまでのように明日会社に行けば、何事もなかったようにパソコンを立ちあげて、仕事をはじめてしまいそうな気もする。

いつも日曜の夕方になると、明日から会社か……とどんよりしていたけれど、もうそんな必要もない。掃除機をかけて風呂の掃除をせねばと思ったあと、別に今日じゃなくても明日でもいいんだと気づく。

夕方になっても雨がやまないので、もよりのファミマにでも行こうと家を出る。けれども、傘をさして住宅街のなかを歩いているうちに足取りがわずかに軽くなり、ひさびさにキリンジの「雨を見くびるな」を聴きながら、庭や軒先に植えられた花を眺めたり、雨に濡れた猫に話しかけたりしているうちに、思ったより遠くまで進んでいて、気づけば5000歩以上歩いていた。

夜は録画していた「うたコン」を観る。岡村和義目当てで録画したのだが、アヤ・シマズの「think」に聴きいってしまった。もちろん、岡村和義「サメと人魚」もかっこよかった。純烈のリーダーと一緒に「ヘポタイヤ~」と声をかけたくなった(いまだにこの語句の意味がわからないが)。

で、2月末からこれまで退職やなんだかんだで忙しく、日々の記録を書けなかったけれど、まずは今週をふり返りたいと思います。

2024年4月17日(水)

映画『オッペンハイマー』を観た。原爆の父と呼ばれたロバート・オッペンハイマーを主人公として、第二次世界大戦中にマンハッタン計画を見事に成功させて原爆を開発した栄光と、戦後になって水素爆弾の開発に反対したことから共産党とのつながりを疑われ、スパイ疑惑をかけられて取り調べを受ける挫折の日々までを描いている。

正直、三時間か、長いな……と思っていたけれど、お世辞ではなく(ノーランにお世辞を言う義理もないが)、長いとは感じなかった。まったくの予備知識なしで観たので、学生時代の鬱屈や共産党とのつながりなど理解しがたいところもあったのに、退屈だと感じる瞬間がなかったのは(つまり、眠くならなかったのは)、やはりノーランの卓越した手腕なのだろうか。

おもしろかったのはまちがいない、とはいえ、マンハッタン計画が成功に向けて進んでいく場面は複雑な気持ちになった。この映画を観た日本人全員が複雑な気持ちを抱いたのではないでしょうか。

原爆の当初の標的はナチスドイツであり、ユダヤ人であったオッペンハイマーは意義を感じていた。だがヒトラーが降伏し、標的を日本に変更する。
日本が降伏するのも時間の問題だったのに、なぜ原爆を落としたのか?
戦争を終わらせるだけではなく、ソ連を牽制することも原爆の大きな目的だったからだ。

日本のどこに原爆を落としてやろう? と語りあう場面では、小学校の修学旅行で行った原爆ドームで歌った原爆の歌(ああ~許すまじ原爆を~という歌)が頭に流れ、何度見ても胸が苦しくなる平和記念資料館を思い出した。

だが一方で、映画を観ていると、オッペンハイマーをはじめとする登場人物たちが力を尽くしたすえにようやく実験に成功するクライマックスでは、思わず感情移入してしまい、やったー!という気持ちも湧いてきたので、物語が持つ力の強さや怖さもあらためて感じた。その瞬間の映像も吸いこまれるような迫力があり、「神の火」を見事に表現していた。

日本の被害が描かれていないという批判もあるらしいが、オッペンハイマーが広島と長崎の実態を知らされて言葉を失う場面で、この映画にこめられた反戦・反核の意図はじゅうぶんに示されていたように感じた。
もちろん、いまもなお被害に苦しんでいる人たちのことを思うと、簡単には答えが出せない問題だけれども。下の記事では、広島や長崎の人がこの映画を観てどう感じたか、ていねいに取材されています。

それからの挫折の日々、水爆開発に反対してトルーマン大統領に弱虫と罵られ、果てはスパイ容疑までかけられる――実のところ、ストローズとの軋轢などあまりついていけず、ストローズがなにやら陥れようとしているとしか理解できなかったのだが、ただ、このストローズ役の役者、誰だっけ? 絶対に見覚えあるけれど……とずっと考えていて、あとから調べてロバート・ダウニー・Jrだと知り、『アイアンマン』のイメージが強かったのに、こんなんなってるの? と驚いた。

ついでに言うと、マット・デイモンにも、これがマット・デイモン? と驚かされたのだが、よくよく考えたら〝私のなかのマット・デイモン〟(映画のタイトルのようですが)は、『プライベート・ライアン』や『リプリー』といった90年代の映画で止まっていたので、そりゃあの頃より歳もとるはず、ワシが悪かった!という気分になった。

と、最後はどうでもいい感想になってしまいましたが、『オッペンハイマー』に興味あるけれど、えらい長いな、原爆が描かれているのか……などの理由でためらっているならば、思いきって観る価値のある映画だと思います。原作も読んでみないと。

2024年4月19日(金)

梅田に出て漢方の薬をもらい、夜は辞めた職場の仲間との約束があるので、待ち合わせの時間までタリーズで休憩しながら、『ローラ・ディーンにふりまわされてる』を読了。

女子高生のフレディは、男からも女からもモテモテのローラ・ディーンと付き合っては別れ、そしてまたよりを戻すということをくり返している。
魅力的だけど不実な恋人――もしかしたら、不実だから魅力的なのかもしれないが――というのは、物語で何度も描かれているが、それでもなおモティーフであり続けるのは、誰もが陥りがちな関係だからだろう。

AV監督の二村ヒトシは、『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』で、結局は自己受容ができていないから、自分を大切にしてくれる人を大切にすることができず、自分を苦しめる人に執着してしまう、と解説している。が、そんなん頭ではわかってても、そう簡単に気持ちを切り替えれるわけないやろ!!ということなのだろう(たぶん)。

恋愛に積極的な発展家(死語ですが)のようで実は一途なフレディや友人たちの描写、日本のマンガにも近い情緒のある絵柄などから、90年代の『FEEL YOUNG』に載っていた一連のマンガ、南Q太の『さよならみどりちゃん』などを思い出した。星野真里が熱演していた映画もおもしろかった。(イメージちがうと思った西島秀俊も好演していた)

それにしても、欧米のYAを読んでいると、異性愛、同性愛を問わずカップル文化の浸透ぶりに驚かされることがあるのだけれど(みんなこんなに旺盛に恋愛してるの?と)、考えたら、日本の少女/女性向けマンガも恋愛が中心になっているものが多いので、恋愛への憧れは洋の東西を問わず不変なのだろうか。どうして人間は、核や恋愛といった制御不可能なものに手を出してしまうのか? 撤退すれば、世界は平和になる……のだろうか?

(『さよならみどりちゃん』で星野真里が歌う「14番目の月」がめちゃめちゃ切ないのだが、YouTubeにないのでこちらを。それにしても、ソロにMANNISH BOYSにカーリングシトーンズにほんと忙しそう)


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