やりたいことより、やめたいことを考えてみっか。



気がつくと、すぐに

「いい人」「まともな人」

になろうとしている自分がいる。


「こういう反応が求められている」

とか、


「こう声をかけるのが無難」

とか。


そんなつもりは全然ないと思っているところが厄介である。

だから、かなりその状態にはまった「だいぶ後」でないと気がつかない。


その反動、というか「出したものが返ってくる法則」による結果が、「体調ぶっ壊す」となる。


それは、一週間の始めに突然やってきた。


2日間、ちょっとスケジュールが立て込んだのだけど、振り返ってみるとそれらの予定は自分が入れたというよりも他人から誘われたり組まれたもので、つまり他人の行動に従う内容だった。


もちろん、結局は自分で選んだのだから自主性皆無ではないし、イベント中は自分の意志にもとづいて話したり考えたりしていたはずだった。


にも関わらず、体は拒否反応を起こしたのか、ぐったりと寝込んでしまった。



いったい何がストレッサーになったのだろう?


そこで、あ、と思ったのが冒頭の「いい人・まともな人であろうとする回路」である。



誘われたのだから、つねに

「いいですね!」を発動しておく。

うんうんとうなずいておく。

笑顔で返す。

否定的なことは言わない。

……


でもそのくらい、みんな普通だいたいやるよね?


だからそこまでいい人ぶってたつもり、ないんだけど。



それに、ちゃんと本音で返してたと思うけど?


言いたいこと、言うほうだと思ってるし。




でも、ぶっ倒れた。

それが何よりの証拠、

じゃないのかね。




ということは。


自分、

思った以上にキャパが小さいってことだ。


やっと自覚したのであった。



倒れた翌日、太陽が久し振りに輝いていて、暖かい1日だった。


体調は万全でないくせに、子供たちと公園で思い切り遊んだ。

疲れたけど、ちゃんと動いたし、むしろ段々と体調が回復に向かっていくのがわかった。

寝込んだ理由は、体の疲れではなかったのだ。



光合成をしたかのごとく、

呼吸する。


そうしたら思考もなにやらスッカーンと再構成されたのか、


「やりたいことやるんだ」


と思っていた。



これ…

とっくの昔に使い果たされ、

今さらまた言うか?な台詞である。




実はやりたいことなんて、

ほとんどない。


ないのだ。


ないということがよーくわかったこの数年だった。



それまで自分が「やりたい」と思っていた(しかも心から)ことは、ほとんどが


「他人視点をとおしてそう思ったら自分のエゴと辻褄が合ったので、やりたいこととして努めていたこと」だったのだから。




…それでもまた、

「やりたいことやるんだ」と宣言していた。



いや、正しくはその前段階の

「思いたいこと思うんだ」

かもしれない。


「そうなんですか。(まあ、私はイヤですけど)」

と。



あるいは「やめたいことやめるんだ」かもしれない。



いまだに放置したままの「やりたいこと(と錯覚したこと)」が、部屋のあちこちに散乱している。


それを棄てたら自分の何かが足りなくなると思う怖さから、ずっとそのまま。


それらをやめたら?

つまり、肩から飛び出しているわけのわからない、武装というよりは「要らなかった装飾品」をゼロに戻したら?

何もやりたいことはないのに

「今日はやめときます」


これを3回に1回発動する女になるか。


あるいは


「え、楽しそう!行こういこう!」


と乗り出したけどしばらくして


「あー疲れてきた。よし、先帰るね」


と去ってゆく女になるか。



うむ、
これで健全な心とからだが保てるのだろうか。




わからないけど、


その「遠慮もへたれもない家族」のような距離感を、いまから少しずつやってみようかと思うのであった。