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まちなかでピアノを奏でる(まちの不思議 おもしろ探究日記#25)

(本記事は雑誌『社会教育』2024年7月号に掲載された記事を転載しています)

まちなかにピアノが置いてある。
演奏者が座ると、たちまちそこはステージになる。
その場に居合わせた人々は聴衆となり、演奏が終わると自然と拍手が生まれる。

子どもでも大人でも、プロでも習いたてでも、クラシックでもポップスでもジャズでも、誰もがそのステージに立つことができる。
ピアノが一台あるだけで、まちなかで音楽の一期一会が生まれるのである。

私も、時々まちなかでピアノを弾いている。
もともと趣味で一人で弾いていたのだが、住んでいるまちにピアノが置かれるようになり、まちなかで弾くことを楽しむようになった。

初めてまちなかでピアノを弾いたのは、二〇一八年に国立市で開催された「Play me, I`m yours!」というイベントだった。
約二週間の期間限定で、市内十箇所に市民アーティストにより装飾されたピアノが置かれ、誰でも自由に弾けるというイベントであった。
ちょうど子どもの卒園の時期だったため、卒園の歌をピアノで弾いてみた。
弾き終わると、女性の方が「とてもよかったわ」と声をかけてくれて、「子どもの卒園の歌なんです。」「あら、おめでとう!」と話が弾んだ。
卒園の喜ばしいけれども寂しい気持ちが、まちで受け止めてもらえた気がして嬉しかった。

二〇二〇年、国立駅前に新しくできた観光施設「旧国立駅舎」の中に、まちピアノ「プレイピアノ」が常設された。
昼と夕方に一時間ずつ、一人十五分の枠を予約して弾くことができる。
ここのピアノは、まちの楽器店が輸入代理店となっているシンメルというドイツ製のピアノで、まちのロータリクラブの方々が寄贈してくれたものである。
弾いていてとても心地よくなる響きで、何度でも弾きに行きたくなるピアノである。
私は、このプレイピアノを中心に、各地のピアノを弾いて回っている。

まちなかでピアノを弾いていると、リクエストをいただくこともある。
弾いている曲に合わせて歌ってくださる方もいる。
弾き終わった後に曲名を聞いてくれたり感想を聞かせてくださる方もいて、飴玉などのお菓子をいただく時もある。

習いたての小さい子に誘われて、一緒に演奏したことや、
同じようにピアノを弾いている方と仲良くなり、まちのピアノ情報を交換した事もある。
聴いてくださった方と話している中で、誰でも弾いていいなら弾いてみようかなと、十年以上ぶりにピアノを弾いてくれた方もいた。
指一本でたどたどしくも素敵なメロディーを奏でる老婦人がいた時は、私から声をかけて、八十歳を超えてからピアノを習い始める事になったいきさつを聞いた。

観光施設以外にも、駅、商業施設、カフェ、ホテル、ホールのロビーなど、まちなかの様々な場所にピアノは置かれている。
有名なのは、東京都庁の展望台に置かれている、草間彌生さんデザインの「都庁おもいでピアノ」だろうか。
国立のイベントもあり、二〇一八年以降、ストリートピアノは一気に全国各地に広がった。

ピアノは、メーカーやサイズ、型が違えば音は異なるし、同じ型でもピアノ一台一台の響きには個性がある。
また、大きく開けた空間や、縦に吹き抜けている空間、音が反射し合う部屋の中など、ピアノが置いてある空間によっても響きは異なる。
ピアノの個性と空間の響きと、さらにはその日の天気や演奏者の個性、そして、そこのピアノを楽しむまちの人々の思いなども重なり合って、その場その瞬間限りの音楽が生み出される。
それがストリートピアノの醍醐味である。

一方で、まちなかというのは「公共空間」でもある。
そのため、ストリートピアノをめぐっては、様々な問題も起こっている。

基本的に、それぞれのピアノには、管理している市や施設、ボランティア団体等によって定められた、運営のルールがある。
一人何分までとか、他の楽器との合奏がOKかどうか、列に並んだり予約表に書いたりと待機の方法も決められている。
練習のような演奏を禁止していたり、一年以上ピアノを習っている事など、演奏者に条件を課しているところもある。
これらのルールには、公共の場であるその空間を、どのような場にしていきたいのかという設置者の思いが表れている。

しかし、管理人が常駐しているピアノはほとんどなく、ルールが曖昧になっていたり、そもそもルールを守らない人がいたり、そのルールを守らない人を激しく糾弾する人がいたりして、トラブルに発展することも多い。
また、一部の人がYouTubeなどの撮影のために私物化していたり、常連の人たちで予約が埋め尽くされて、なかなか弾けないといったこともある。
また、調律や切れてしまった弦の修理などができないまま放置されてしまっていて、ほとんど誰も弾きに来ないようなピアノもある。

また、公共空間で弾くからには、人に聴かせるという意識で弾くべきだという人と、誰でも弾きたい人が弾きたいように弾いていいのだという人との間で、SNS等で激しい意見が交わされる時もある。
また、その場に居合わせる人が、必ずしもピアノを聴きたい人ではなく、強制的に聞こえてくる音を、不快に思うという事もある。
ピアノの近くにあるカフェなどで、お客さんからクレームが入ることもあるのだそうだ。

こういった課題が積み重なる中、一度は設置されたものの、管理が難しいといったことを理由に、撤去されていくストリートピアノも増えている。

区切られた空間の中で行われるコンサートや発表会とも違う、ストリートピアノというステージで生み出される「音楽の一期一会」というコンテンツは、今後まちの中でどのように受け止められていくのだろうか。
そして、そもそも「公共空間」に求められるものとは何だろうか。
まちは、まちの人たちは、「公共空間」に何を望むのだろうか。

私にとっては、人との出会いの場であり、音楽でまちとつながれる機会であるまちピアノが、これからも受け入れられていて欲しいと願うばかりである。



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