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抒情

感情が言葉になる瞬間を見失うと、言葉はするすると逃げていってしまう。
そして、行き場を失った感情が、疼いて溢れて出てきて、私を困らせる。

それは、涙の姿になったり、身体の不調になったりすることも多いのだけれど、時に音楽にもなったりもする。
言葉にするのも面倒な思いとか、涙だけでは流しきれない思いとか、そういうものを、私はピアノを弾いて昇華している。

♪♪♪

6月、これまでずっとおもしろがってきた市政に関わる選挙が3つも同時に行われ、その選挙を盛り上げるプロジェクトを立ち上げることになった。
これについてはまた後でまとめるけど、選挙にまつわるいろんな嬉しい腹立たしい悲しい楽しい出来事が日々ものすごい勢いで起こりまくって、それに合わせて感情もものすごく激しく揺れて。
どうにか外に出していかないと全然追いつかないのに、言葉にする作業は全然追いつかなかった。

そんな言葉にならない、できないものがどんどん溜まってどうにもならなくて、吐き出すようにピアノを弾いていたら、友人が素敵な映像にしてくれた。

絞り出すような心の叫びを、ありがたいことにたくさんの人が受け取ってくれて、たくさんの嬉しい言葉をいただいて。
それにまた感情が揺らされて、でもそれもまた言葉にできずにピアノを弾く。

気が付いたら、選挙のプロジェクトの時間以外は、常にピアノを弾いてるような状態で、そんな時間の過ごし方をすることで、この感情の荒波をどうにか乗り切ることができた。

♪♪♪

私としては、本当にただ一生懸命に生きているだけなのに、起こること全てが全力で感情を揺らしてくる。

しかもこのところ「ファンです」という風に言ってもらえる機会が増え、さらに感情のやり取りも増え、そのエネルギー量もグンと増えていて。

これはいったい何なんだろう。
私が動けば動くだけ感情が揺れ、さらにまわりからも揺れた感情が返ってくる。
これだけ返ってくるということは、私がそれだけ誰かを揺さぶってるということなんだろうか。
私はいったい社会に対して何をしているのだろうか。

ただ、この感情の大きな揺らぎは、とてもとても大切な気がしていて、この揺らぎを無視しては自分が自分ではいられなくなるような感覚もある。
だから、この大揺れに向き合いながら、これはいったいなんなんだろうとひたすらに内省をしていたら、ふとこんな言葉をいただいた。

「すわさんの演奏はリリカルで素敵ですね」

♪♪♪

リリカル。

よくわからないけど、その響きがすごく気になって調べてみると、「叙情的、叙情詩的であるさま」と出てきた。lyrical。lyric。

叙情。

これまたよくわからないけど、すごく気になるので調べてみると、「自分の感情や気持ちなどが外に現れるような様子」と出てきた。

"叙情"は、"叙事"と対になる言葉で、"叙事"が出来事をありのままに述べることを示す言葉なのに対して、"叙情"は出来事を感情の面から述べることを示している、と。

情緒的というのともまた少し違くて、情緒的というのは感慨深い感情そのものを指すのに対して、叙情的というのは感情を表現している様子を指す、ということらしい。

さらに、叙情という言葉には、もともとは抒情という漢字が使われていて、
「叙」が単に「述べる」という意味を持つ漢字なのに対して、「抒」は「汲み出す」の意味から「表現する」を表すようになった漢字で、その意味から考えると、抒情と表すのがふさわしい、と。

あぁ、なるほど。

私がやってることは、全部が「抒情」だ。

♪♪♪

私は日々の行動の起点を、すべて心に、感情に全振りして生きている。
身体性とか思考とかも、もちろん私の中に存在してはいるけど、それを行動の起点にはしないようにしている。

感じることに、"間違い"というのは存在しない。
考える頭のはたらきは間違えることもあるけれど、感じたことと、そこの心のはたらきは常に正しくて、絶対に間違いというのは存在しないと思っている。

もし何かを感じた結果、そこに生きづらさのようなものがあるのであれば、それは社会の方に、社会のシステムの方に、課題が存在しているということだ。
課題があるのはいつも社会の方で、人間の感情ではない。私はいつもそう信じている。

感じたままに生きていきたいのに、生きづらさを感じてしまう。その背景にある課題は何なのか。
その課題のもととなる社会のシステムをよく見て、できるだけみんなハッピーという状況を目指しながら変えていく。
それこそが、誰もが生きやすい社会になっていく方法で、今のこの息苦しい、仕組みばかりが先行する社会に対抗し得る、唯一の方法だと思っている。

その、すべての起点は、
感じたこと。そしてそこで起きた心の働き。
感情だ。

だから私は、ひたすらに感情の面から表現し続けていくと決めている。
表現して社会の中心に置いて、無視できないようにして。そして、どんな小さな感情も、大きな仕組みによってつぶされてしまうことがないように、くり返しくり返し表現して風を送り込み続ける。
そこにだけは、徹底的にこだわり続けている。

私がやっていることは、ピアノでも文章でもトークライブでも地域活動でも、全て同じ。
「抒情」だ。

♪♪♪

私がやりたいこと、ありたいあり方は、常に物事を感情の面から表現していくことだし、これからもそこを軸とし続けていく。

今までもこれからも、ここを中心に置く以上、私は自分の揺れる感情を無視せずに見つめ続けるしかない。
できるだけ情熱を保ちながら、できるだけ冷静に。
タイミングを逃さないようにしながら、一つ一つ丁寧に表現していく。

揺れるし揺らされる。
そして揺らすから相手も揺れる。

これまでも自分のことを面倒な存在だろうなとは思ってきたけど仕方ない。もうそこは諦めた。
揺れ続けることは、時にしんどいけれど、それでも受けて立とうと思う。

これも私の戦い方だから。
それでいい。

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