見出し画像

私が市政にハマっている理由

「市政ってめっちゃおもしろいんですよねー。

なんてあちこちで言ってると、何がそんなにおもしろいの?とよく聞かれる。
自分でもなんでかなぁと思っていて、いつもうまく説明できなかったんだけど、最近では「関われるから」なのかなぁと思ってきた。

「政治に関わる」なんていうと、なんだか大仰な感じがするけど、市の政治に関わる方法って、実は身近なところにたくさんある。あちこちにある。
選挙はもちろん、市長への手紙だって、パブコメだって、議員さんへのメールだって、PTAからの要望提出だって、他にもまだいろいろあるけど、全部政治に関わることだと思う。
そして、市政の場合は、自分がちょっと動いてみるだけで、実際に目の前に政治の舞台が表れて、人物が登場してきて、リアルに話せるし、なんなら自分も登場人物になれたりもして、その結果として「それなりに影響力を持てているのかも?」なんて思える瞬間があったりする。

「自分の行動の影響力を、実感を伴って感じることができる」って、それだけでおもしろいというか、やってよかった生きててよかったみたいに思える理由になったりするから、もしかしたら、それが私がここまでのめりこんでる一番の理由かもしれない。

そもそも。
「政治」ってなんだろうね、という質問もある。
国の政治がいいとか悪いとか、なんとなくそれっぽいイメージで気楽に使ってる単語だけど、改めて政治って何だろうね?なんて聞かれると、結構説明に困る。

もう何年も子どもに聞かれて答えたりしてるうちに、私の中でも言葉がやっとまとまってきて、
政治とは「みんなで出し合うお金の使い道と、みんなのルールを決めること」だと言えるようになってきた。

それが、国の話であれば国政だし、都であれば都政。市であれば市政だし、会社内の話であれば社内政治、家庭内の話であれば家庭内政治になる。

家庭内政治なんて言われると、ちょっとギョッとするような感じだけど、家族が働いて得たお金をどう使うのか。家計をどういうバランスで配分していくのかみたいなことから、旅行に行くのか、行くならいつどこに行くのか、その時に持っていく持ち物はどうするのか、旅行中の禁止事項はあるのか。
そして、それを誰がどうやって決めるのか。どうやって実行するのか。みたいな。
絶対王政のような家庭もあれば、共和制もあれば、いろいろごちゃまぜなんて家庭もあると思う。政治は家庭から始まるなんて話も聞いたこともあるけど、家庭ほど多様で柔軟で人間くさい魅力的な政治がおこなわれている組織体は他にないんじゃないかなと、結構真剣に思ったりもしてる。

みんなのお金をどうやって集めて、どうやって使うのか。そして、みんながみんなで守り合うルールはどんなルールにするのか。
それを決めるための方法であり、手段であり、組織であり、話し合いであり。
そのすべてが「政治」なんだと私は思っている。

選挙だけじゃない。政治家だけじゃない。話し合いの場である議会だけじゃない。
自分たちなりに考えて、意見を出して、決めるというところに、少しでも関わっていけたなら、それはもう十分に政治参加なんじゃないかな。

だからこそ私は、政治に関わることっておもしろいと思ってるし、
ものすごく身近なものだとも感じている。

前に、政治が身近かどうか、と言う話をした時に、私は市の政治がとても身近だという話をしたんだけど、その場にいた人がむしろ市の政治が一番遠くて、国の政治の方が身近に感じると言っていて。それもよくわかる話だなぁと思った。
多分、身近に感じるかどうかってのは、自分の暮らしがどこに結びついて成り立ってるのか、その実感を持てているのか、みたいなことが大きく影響するんじゃないのかなぁと思ったりしてる。

例えば、わりと規模の大きい会社で働いて仕事をしているような時って、基本的に「市場」を相手に仕事をしていると思うんだけど、その市場が「市」とかのエリアに限定されてることって、結構稀で。基本的には、「国」や「世界」の規模の中にある市場で仕事をしてることがほとんどだし、自分の労働者としての市場価値も、基本的には「国」レベルで測ってることが多いんじゃないかなと思う。
だから、国政の方が身近に感じるというのは、とてもよくわかる。

企業の国際競争力をどうやって高めていくのかとか、世界の金融市場の中で円の価値を安定して高めるにはどうしたらいいのかとか、世界で進む環境施策にどうやって対応していくのかとか、新しく入ってくる若者に期待する能力をどうやって育成していくのかとか。
そんな会社とかで話されるような話が、まんま国政の場でも話されていたりするしね。それはそれでとても面白い。

一方で、私がこれまでやってきた仕事は、「市区町村」がお客さんになる事も多かったし、今は基本的には子育てを中心とした暮らしをしていて、その子育てサービスの提供者は基本的に「市区町村」だったりする。
なので、そもそも私は、どうやっても市政の方が身近に感じられるというのはある。

あそこの公園の遊具がどうしたとか、新しく開発されるあそこの住宅街がどうしたとか、古くからあるあの建物をどうするのかとか、学校の指導内容がどうかとか、町内会をどうするとかPTAをどうするとか。
それこそ昔だったら井戸端会議で話されるような話が、まんま市政の場で話されていたりする。それがまた面白いんだけど。

私は、市政を身近に感じるようになってから、市政と都政と国政のそれぞれに自分と関わるところを見つけられるようになってきて、そうしたらそれぞれの特徴もわかってきて、自分なりの関り方を見つけることが出来るようになってきた。

関わり方を見つけられたら、市政だけじゃなくて、都政も国政もやっぱりおもしろくて、結局政治全般にハマってるという部分もあるかなーとは思う。

政治に関わるようになってから。
というか、お金の使い方やみんなのルールを決めることについて、自分の意見を表明して行政に届けるようになってから。

私は、いろんなことを諦めなくていいんだと思えるようになったし、周りにも自信を持ってそう言えるようになった。

真面目にやってるのに、ちゃんと生きてるのに、こんなにも苦しいということは、自分と同じように苦しい人が絶対にいるはず。きっと、みんなのお金の使い方やルールが、自分が望むあり方と合ってないことが理由なんだ。それならちゃんと伝えるところに伝えていこう。伝えることで、何かが変わるかもしれない。
そう思えるようになったことで、日々の絶望のぶつけどころが見つかった感じがしている。
絶望を自分が抱え込んで、自分の中で絶望にのまれてしまう必要なんてないんだと、胸を張って言えるようになった。

それが、どれだけ力になることか。
それが、どれだけ生きているという実感を持たせてくれることか。

些細な小さな声でも、それがちゃんと伝わる道筋に乗せられた時の希望の大きさは、この絶望ばかりの世界の中で計り知れない。

確かに、政治を知って関わっていくと、絶望させられることも多い。
でも、それと同じくらい希望をもらうことも多い。
関わるようになってから受け取るその比率は、ものすごい僅差だけど希望の方が勝ち続けている。
悲しくなるようなことがあっても、その裏にある、人の思いや願いに気付くことができたり、私の気持ちを代弁するかのように戦ってくれている人がいたり。そのことに気が付くたびに、前を向いて進んでいこうと、思えるようになる。

そんな、めんどくさい、人間くさい、人間らしい働きが、私は好きだ。

だから、私は市政にハマっている。


私なりの政治との関わり方を紹介しようと思って書き出したら、「まえがき」が止まらなくなってしまいました(笑)
私がどうやって関わっているのかの詳細は、下の記事で紹介しています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?