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4/25の日記(人生を表現するための手段)

昨日は遅くまで仕事をしてしまったので、今日は自分が使い物にならなくなってしまった。12時過ぎに起きて、映画を1本、Youtubeを流し見て、「有田と週間プロレスと」を観ている。コーヒーを飲んだらようやく頭が動き始めた。

仕事で時間を使いすぎると頭の中が混乱する。私のスペックの問題かもしれないが、情報を処理できない状態が続いているのか、頭がクリアな状態に戻るまで時間がかかる。その点、映画を観るには役に立つ。別の世界に入り込むとグルグル考えることを遮断できるし、良い映画に当たればそれはそれでラッキーだ。今日は当たりの日。

話は変わって、最近読んだnoteの記事で、小説のストーリーは読み手を引き付けるきっかけみたいなもので、その作品の意図を伝えることがクリエイターの本懐なのだと書いてあった。小説はストーリーを読ませるものだと思ってたから、ちょっと目から鱗だった。ここから話が飛ぶのだが、ふと人生も同じなのかもしれないと思った。

この世に生まれて今日まで生きてきた中でたくさんの選択をして、私だけの人生のストーリーが出来上がった。知らず知らずのうちにその選択の中に自分がこう生きたいと思う、主義主張が反映されていたのだと思う。以前に書いたように、大学生の時は自分の主義主張を選択肢で表現できたから、生きている実感がした。自分が選択できない状態が続けば、心が壊れていくのは当たり前なのだ。

社会人になってからの私は、自分の主義主張を表現できているのか?仕事が生活の主軸となっていく中で、多分、必要とされることで自分をごまかしている。そして、ここ2、3ヶ月でしていた仕事は、売上はあったが席に座って暇をつぶすような仕事だった。だからヘルプとして必要とされた新しい仕事にのめり込んでしまうのかもしれない。仕事は人生の一部であって、自分の人生を表現する手段だと今更ながら思う。仕事に時間をかけすぎて、次の日に重い体でテレビを見続けていることは、私の人生ではないのになと思う。おおげさだけど。


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