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現代的死神
「…死神?」
「ええ。その通りです。」
目の前の人らしき奴はそう言った。死神なんて漫画や小説の世界でしか聞いたこと無かったが、今こいつは死神だと僕に言った。スーツで黒髪短髪。眼鏡をかけており左手にはiPadみたいなタブレットを持っている。意外に現代的だ。
だが、現実的じゃないところがある。こいつはどこからともなく羽を広げて目の前に現れたのだ。
「正直今忙しいんだけど。」
そう。今僕は自宅で首吊り自殺をしようとしている。丁度首にロープをかけるとこだった。
「私も忙しいのです。我々は自殺者一人一人に『死の同意』を得なければならないのですから。」
「『死の同意』?」
「自殺とは自ら死を選ぶこと。病気や事故ならまだしも勝手に死なれては死者は多くなって三途の川は渋滞してしまいますし、我々の上司である閻魔様はオーバーワークで過労死してしまいます。」
「つまり自殺者の死をコントロールしているってこと?」
「話が早くて助かります。まぁ立ち話もなんですし。」
淡々と説明され、座るよう促される。僕は首を吊った直後蹴り飛ばそうとしていた椅子に座る。
この世に本当に死神なんていたのか、と現実離れしている目の前の現実に少しワクワクする。
「じゃあさっさとやろうよ。どうしたらいいわけ?」
「私からの幾つか質問に答えていただきます。その後、同意書にサインして頂きます。」
「どうぞ。」
死神は持っていたiPadをスクロールし始めた。
「まずお名前は。」
「犬塚謙吾(いぬづかけんご)」
「年齢は。」
「22歳。」
「ご職業は。」
「待って、合コン?」
「合コンではありません。まずは我々が持っているデータと一致する人物であるか確かめる必要があるのです。」
なるほど。確かに筋は通っている。
「…アスリート。短距離走の。」
「ありがとうございます。本人確認が取れました。」
「これでおしまい?」
「いやまだ重要なことをいくつか聞かなくてはなりません。」
さっさと終わんないかなと思い始めて少しイライラする。
「なぜ死のうと思ったのですか。」
「…人生がイヤになったから。」
「もう少し具体的にお願いします。」
「よくあることだよ。スランプ、パワハラ、誹謗中傷。」
そう。よくある事だ。
僕は短距離走者だ。元々陸上は得意だった。高校の頃は幾つか賞を取っていたし、それなりに名前も知られていた。それらの栄光を過信しアスリートの道を選んだはいいものの、結果は思うように出なかった。悔しくて毎日馬鹿みたいに練習した。あのころの僕は休むことが怖くなっていて体に鞭打って練習していた。
しかしそれでもダメで、オリンピックの予選会でも大コケした。コーチやトレーナーから、お前は何やってんだ、と殴られた事もあった。それがきっかけでどんどん行為はエスカレートし、いわゆるパワハラを受ける毎日になった。
さらに結果を出さないアスリートは、世間から冷ややかに見られ、ネット上では酷い言葉を書き込まれるようになった。どんどん身も心も憔悴していった僕は、遂に走ることが怖くなった。
「それでも応援してくれる人はいませんでしたか。」
「いたよ。」
こんな僕でも応援してくれる人は多からずともいた。
「頑張れ」という言葉をかけてくれる人もいた。
「でもこっちは身も心もすでにボロボロなのに頑張れなんて、よく言えたよな。こっちはお前なんかに言われなくても頑張ってるし、そもそも努力を他人に押し付けてくんなって思ってたよ。」
はっ、と僕は笑う。我ながらひねくれているなぁと思う。
「結果が全てなんだ。結果が出せないアスリートは存在価値がないも同然。僕には短距離走しかなかった。僕の全てだったんだ。もう、僕の価値はどこにも無い。」
もう疲れてしまった。走ることも、生きることも。消えてなくなれば少しは楽になると思った。だから僕は死ぬんだ。そう、覚悟した。その覚悟が揺らぐことはない。
「なるほど、分かりました。」
「はい、これでおわり?」
「いえ、最後にもう1つだけ。」
「まだあるのかよ。さっさと死なせてくれ。」
「お願いです。死なないでください。」
「…は?」
「死なないでください。」
「っざけんなよ!」
僕は死神の襟元を掴む。何言ってんだこいつは。ふつふつと怒りが込み上げてくる。
「今聞いてたか?!僕は死にたいんだよ!死に同意するって言ってんだ!契約書にでもなんでもサインするからさっさと進めてくれ!」
「いえ、今の話をお聞きしたらできません。」
「なんで!」
「なぜ、誰にも相談されなかったのですか。なぜ誰かに頼ろうとしなかったのですか。なぜ、1人で頑張ろうとしたのですか。」
「僕の気持ちなんて誰にも分かりゃしねぇからだよ!」
「なぜ、そう言いきれるんです。」
「分かりきったことだろ!」
「分かりません!」
死神は大声でそう言った。
「思うように結果が出せず走れなくなったことで自分の存在価値が無くなったと思うようなる気持ちになるのは人として当然の感情です。私でも分かります。でもなぜ、そこで死ぬことを選んだのですか。なぜ、逃げなかったのですか。」
僕は言葉を失った。逃げる、なんて思いもつかなかった。だって僕の世界では常に努力と結果が求められていたんだから。
「なぜそんなにも頑張ることが必要なのですか。頑張ることは正しいのですか。正義なのですか。頑張ってない人は死ななければいけない法律があるのですか。」
「それはっ…ないけど…」
「逃げることも必要です。」
死神は確固とした目で僕を見る。先程まで冷酷な目をしていたくせに今は力強い。
「本来、貴方には死んでもらうつもりでいました。でも、これはあくまで個人的な私の一意見ですが、貴方が死ぬのはあまりにも勿体ない。上にはどうにか掛け合います。だから、」
死神が頭を下げる。
「どうか、死なないでください。」
死への同意を得ることが仕事なのに、こいつは死をやめろと頭を下げている。上司の命令に逆らってまで。死神のくせに。他ならぬ、僕のために。
「…僕は、逃げてもいいのか。」
「はい。」
「もう走らなくてもいいのか。」
「はい。」
「…生きていてもいいのか。」
「もちろんです。」
そうか、僕は誰かに逃げてもいいと言って欲しかっただけだ。頑張ることをやめてもいいと。僕は泣き叫んだ。大粒の涙を流した。
………………………………………………
ヴヴヴ。犬塚謙吾の元を離れ、休憩していたところで持っていたタブレットが振動する。閻魔様からのメールだ。今日のことを報告しろという催促のメールだった。
『ご指示通り、犬塚謙吾を生き延びさせました。』
死神は表情を変えることなく、また新たな自殺者の所へ飛び立った。
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