私と、境界性パーソナリティ障害。



私は大学2年生の冬、境界性パーソナリティ障害の診断を受けた。


よくネットで「ボーダー」という言葉を聞きませんか?あれは境界性パーソナリティ障害のこと。Borderline Personality Disorderの略でボーダー。有名なインフルエンサーでもこの病気の人はいたりしますね。


一般的には「ボーダー」という呼び名が通例になっている境界性パーソナリティ障害。
この障害を持つ人はしばしば魅力的で、他には見当たらない非常に個性豊かな性格にみえます。
ところが、関係性を深めるにつれて相手の気分の移ろいがどうにも気になるようになり、何かよく分からない所で突然怒り、悲しみ、感情の起伏がとても激しい人であるという印象に変わってきます。
無邪気に接してくれていたと思えば、次の瞬間には急に気分が変わったように振る舞いを変え、まるで人が変わったかのように憎しみをぶつけてきて、痛烈に非難される。その極端さに驚く人もいるでしょう。


出典:新橋メンタルクリニック 精神医学ラボ
境界性パーソナリティ障害
〜激しい対人関係の変化と自己像の揺らぎ〜


とは言っても、私は重度ではないのでコミュニティでの立場や、友人との関係は安定しているものだった。俗に言う愛されキャラ(自分で言うな)で過ごしてきた。中高も6年間、吹奏楽部でフルートを続けたし、特に人との関係に問題はないと思って生きてきた。

ただ、恋愛する相手や、親など、近しい人に対してのみ、酷く感情が揺さぶられて、些細なことで傷ついてしまう。自傷行為や離人感、激しい怒りと虚無感に自分をコントロールされる。


例えば、恋人から1時間返信が無いだけで焦燥感、恐怖心に襲われ、上手く感情を表現出来ずに、怒ったり泣いたり、暴れたりするみたいな感じ。だいたい気分の波は2~3時間くらいで治まるのが特徴といわれてる。

正気な時の自分からしたら信じられない。面倒くさいからメンヘラです、と名乗ったりしています。


今回は、他人の言動で、自分をボロボロにしてしまう、そんな私の話をします。

長いので、ささっと読んでくれたら嬉しいです。


1.大学時代、彼氏Tinder入れてるやん事件


発症のきっかけとなったのは、大学2年生の春。当時付き合ってた彼氏の携帯にTinderが入っていたことだった。女の勘ってすごいね。普段なら絶対見なかった彼の携帯、なぜか見なきゃって思ったの。1回見て、何も入ってなくて安心したが、いやおかしいと思ってもう一度見ると、しっかり赤い炎のアイコンが入っていて、ハートマークの絵文字付きで何処の馬の骨かもわからない野良女と会話していた。


泣きながら彼の家を飛び出した。苦しすぎてその時のことは思い出せないし、彼の名誉を思って詳しくは書かないが、土下座されて許してしまったことは覚えてる。彼は反省しているように見えたし、私も彼のことが大好きだった。

次の日の朝は、夢だったらよかったのに、と絶望に襲われた。


ついでに、彼氏がその時期にインカレに入ったので、女子との付き合いや、男のノリみたいな、彼女からしたら最悪な付き合いが増えて、みるみる私は情緒不安定に陥った。ここに書けないほどのTheやば女への道を着実に歩んで行った。

実は私は、小学生の頃から、ピアノの練習で指を間違えたらマフラーで首を絞めたり、思春期も死にたい死にたいとずっと思ってきたタイプの人間だった。ただ、人をその言葉で思い通りにしようとすることはなかった。



でもついに私は、自殺のそぶりを見せて、彼氏を脅すようになった。


境界性パーソナリティ障害の症状というと、激しい怒り、慢性的な虚無感、自傷行為、自殺のそぶりを見せる、離人感(幽体離脱みたいな感じ)が代表的だ。

春から秋にかけて、私の症状はどんどん酷くなり、彼も私自身も疲弊していった。彼が遊びに行く度に私は、浮気してるんじゃないかと疑い自殺のそぶりをみせる。はたから見たら大迷惑で死ぬ死ぬ詐欺の女だが、私は毎回苦しんで、毎回本気で死のうとしていた。終電で帰ると約束していた彼が、「やっぱオールする」とLINEで報告してくる度に、心が荒んで、消えたくなった。

責任を取ると言ってた彼も、ついに別れたいと言い出すようになった。


2.どメンヘラに成長した半年後の私

だが私はその時、人生最大の無敵メンヘラ状態だったので、もちろん別れさせません。どんな手を使ってでも、一生責任を取らせるつもりでいた。高校生の純粋な心がまだ残っている時期から、大切に大切に育んできた恋愛だったもん。

比較的温厚で、怒ることより泣くことの多かった私が、電話しながら物を投げつけたり、怒りに任せて暴言を吐くようになっていた。


彼の所属するインカレの人たちには敵対心剥き出しで、インスタは要チェック。女が彼のピン写真をストーリーに載せ「イケメン」と書いていた日には、暴れまくり、携帯の電源を切って自殺したと思わせるなどやりたい放題だった。

死にたい夜に、マンションの屋上に行って、柵に足をかけるのが日課だった。


ちょうどその頃、統合失調症みたいな症状が出始めて、気づいたら早朝に築地本願寺に行っていたこともあった。当時の日記には「神様からのお告げがあった。」とか書いてあった。


そんな私を見て彼も放っておけなかったのか、その後3ヶ月くらい付き合って、最終的には私から「今までごめんね、もういいよ」と別れを告げた。

(私がボロボロ泣くと、彼も号泣しだしたので、お前のせいだろ💢と思っていたのは内緒)


3.さすがに受診


彼には、別れる前に「精神科に行ってくれ」と言われていた。

大学の心理士さんにはお世話になっていたので、まずはその方に、大学に在中している心療内科の先生に繋げてもらった。


その先生はとても優しく、疲弊した私の拙い言葉をひとつ残さず汲み取ってくれた。

心療内科の先生と言っても、そこで診断を出すのではなく、生徒の症状に見合った外部の病院を紹介してくれるという形だった。


私が紹介してもらった病院は2つ。帰って調べるとどちらとも境界性パーソナリティ障害に対応している病院だった。


心療内科って意外と、自殺のそぶりを見せる人だったり、私みたいな症状が出ている人をお断りすることがある。境界性パーソナリティ障害を見てくれる病院もかなり少ない。

既に何件か自分で予約しようとしてお断りされていた私は、その時点で救われた気持ちになった。

ただ、初診は3ヶ月待ち。毎晩襲ってくる希死念慮に必死に耐え、やっと受診し、1時間の問診を終えて診断が出たのだった。


4.診断が出た


その時の私は、病名がついたことにとても安心していた。病名がつくということは、確立された治療法があるということだと思っていたから。

実はこの初診までの間、3ヶ月待ちきれなくて別の病院に行って、不安障害じゃない?と言われて、少し強い薬を出されていた。


今のその先生に薬の名前を言うと

「よく生きてましたね。境界性の人がこれを飲むと抑制が外れて自殺しちゃうんですよ。これ飲まなかったら生きてたのにっていう人、います。」

と言われた。よく生きてましたね、の言葉で私、大号泣。



パーソナリティ障害って、鬱病などの脳病とは違う。いきすぎた個性みたいなもの。それが自分を苦しめて、生活に支障をきたすようになると、診断が出る。そのため薬では治らず、根気強くカウンセリングするしかないのだ。だからこそ本人の「治したい」という意志の強さが重要になる。


病院の先生にもらった宿題。弁証法的行動療法(境界性パーソナリティ障害に効くと言われてる治療法)の紙に自分の考えなどを記入し、次の診察時に持っていく流れを続けた。

嫌いな自分と向き合う時間はつらかった、紙をぐしゃぐしゃにしたくなった。自分の味方は自分だけ、というが、私は自分が敵だった。
書こうとするとイライラするからもうやらない!って何度も思った。


自分が空っぽだから、紙にはなんて書けばいいのか、毎日わからなかった。


途中で躁鬱の診断もおりたので、薬を飲みながら必死に自分と戦いつづけた。

占いで強い意志をつくり、神社に通って心を保つ。どんなに落ち込んでる私を見ても見捨てない、温かく見守ってくれると友達と、信じるものは報われるみたいな、スピリチュアルに救われていた。

ずっとずっと辛い毎日を過ごした。なにかある訳でもないのに急に死にたくなって、真冬のベンチで凍死しようと寝転がったりした。ちょっとアホで可愛い。

その結果、今もかなり情緒不安定だが、当時ほど暴れたりすることはなくなった。自傷行為はやめられないけど、誰かに暴言を吐くことはなくなった。不安定だった時期、全く単位も取れなかったが、先生や友人に助けられ、何とか124単位を取りきって卒業することができた。

(ギリギリでいつも生きていたいから〜Ah)

5.まとめ

こんな感じで、境界性パーソナリティ障害にコントロールされた私の大学生時代。もちろん楽しいことの方がたくさんあったし、友人には怒ったり情緒不安定になることはなかった。人並みに卒論も書いて卒業した。だから皆は、怒ったり泣き叫んだりする私が想像できないらしい。

これを言われる瞬間だけは、不思議な気持ちになる。皆からは普通の人に見えて、実は繊細でか弱い心を持ってる自分がちょっと愛おしくなる。(普段はそんなこと考えてる場合では無い)


話逸れるけど、かの大女優、マリリン・モンローともお揃いです。同じ悩みの方は、これ読むのおすすめ。

「あんなに美しく魅力的なのに、劣等感でいっぱいで、とても繊細なマリリン。 私は、彼女が「生きにくい」と嘆きながらも、どんなに絶望しようとも、諦めることなく、真摯に生きた、その姿に惹かれる。 そして、たまらなく愛おしいと思う。」(序 章より)


出典:↓



大変生きづらく、自殺率も高い。お医者さんからも避けられるような病気だけど、何とか上手く乗り越えて付き合っていきたいと思う。



最後に。

ちょっと長くなっちゃったな…

私は今でも、自分のことが大好きで大嫌い。

人に依存して、人からの評価で出来上がってる、空っぽな自分が嫌い。

嬉しい時、体いっぱいに感激を表現する、愛されキャラの自分が大好き。


それに、酷く将来に悲観的になる私がいる一方で、私の人生ハッピーエンドしかありえないと信じきってる私もいる。


若くして死ぬのか、最後まで生き延びるのか全くわかんないし、希望を持って生きましょう!なんて言えない。思えない。でも、死にきれなかった時がいちばん怖いから。それなら健康な状態で生きた方がいいなってまだ思うの。あと、れいかが死んだら悲しむ人も沢山いる。


たったそれだけの理由。


だから私は今日も生きてる。


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