そうか、あなたは神様になったのか

連日、志村けんさんの特番や追悼番組が放映され、泣いては笑うという心がバラバラになりそうな数日間を生きている。人を愛し、愛された人が逝った。しかも思いもよらない形で。言葉にならないくらい、非常に残念である。

お笑い番組を楽しみにしていた子ども時代

元来わたしの家族は、九州の田舎から出てきた酒好きの一家だった。夕飯を囲むときにはテレビがつけられ、プロ野球やニュース番組などを見ながら食卓を囲んだものだ。その一コマに「だいじょうぶだぁ」があり、「バカ殿」があり、よくみんなで笑った。
亡き祖母がハンカチで目を押さえながらけんさんの芸に笑い転げていたことを鮮明に覚えている。みんな声を上げてそろって笑う。そんなあたたかな思い出とセットだから、志村けんさんを思い出す時も笑えて、あたたかな気持ちになるのかもしれない。


悲劇を喜劇に変えることができる人

これまで知らなかったことだが、志村さんの父親は先生でバイクの事故によって脳に障害を負い、晩年は家族のこともわからなくなり、家族に支えられながら過ごしていたという。
「飯はまだかい?」(もう食べたのに)
「ようこさん、苦労をかけるねぇ」(と老人に扮した志村さんがつぶやく)
といった描写は、志村さん自身が体験した過去に裏打ちされている。
志村さんの代名詞「変なおじさん」は、社会的弱者をうたった沖縄の「ハイサイおじさん」をモチーフにしているそうだ。

いずれも、家庭の悲劇をあえて表舞台に引っ張り出して「喜劇」に変えている点に、わたしは深く感銘を受けるのである。

すべって転んだり、おねしょをしたり、あるいはひどいフラれ方をしたり、、人生に起こりそうな不運を笑いに昇華する。もちろんこれは他の芸人さんでも実践している方はいっぱいいるだろう。
しかし、それをわかりやすい形で示し続けたのが志村さんじゃないか、と思うのだ。


何度も同じパターンで、繰り返す笑いがわかりやすさを産む

ドリフやバカ殿のコントでよく散見されるが、笑いのパターンを連続させて笑いに引き込む。
一瞬しつこいぞ、と思わせるような方法だが、「ここで笑うところだぞ」と視聴者に訴えかける。
そして何回も繰り返すことで、ストーリーを視聴者にすり込むのではないか。人間1回や2回面白いことを聞いたところで、その内容は忘れてしまう。そうではなく何度も繰り返すことで小学生からお年寄りまで「わかりやすい」笑いを届けたのではないか。
もうひとつの特徴は舞台を走り回るあの派手なアクションだ。言葉だけではない、動きの笑いを追求したところに万人から受け入れられる魅力があったように思う。

表現したのは多様性、根底にあるのは人への愛情深さ

「動物からもあんなに愛された人はいない」と動物園の園長が語るほど、愛された志村さん。
それにはやはり、他者へ限りない愛情を傾けられる人だったからだろう。
志村さんのコントには、酔っ払いや老人、会社員、ちょっと抜けている人間など、今見返すと「差別だ」と騒がれてしまいそうな描写がいくつも出て来る。しかし、志村さんが伝えたかったのは「みんな違う人間で、それぞれ生きている」という多様性だ。

もちろん、それを生み出した根底には、地域や家族といったさまざまな人間が、志村さんを深い愛情で育んだ家庭背景があるのだろう。もちろん、志村さん自身の血のにじむような努力と、ドリフとの出会い、持ち合わせた運などが交差して彼をあそこまでのスーパースターにしたのは言うまでもない。
しかし、スーパースターになったからと言って、決しておごらず最期まで配慮に満ちた人だったように思う。


これを書いている今も悲しくてたまらない。自分の幼少期をつくってくれたひとの一人だからだ。
あっという間に「笑いの神様」になってしまった。こんな最期をのぞんではいなかった、はずだ。だけど時間は巻き戻せない。
人にあたたかさを与え続けてきた志村さんのようにわたしも、あたたかなモノを届けられるようになりたい。願わくば文章で…。

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