震える水 #3 EMPYREAN ISLES

季節がひと回りする間にいろんなことがあった。とりわけ衝撃的だったのは地獄川静物園の閉鎖だ。動物園なら世界中にあるけれど、地元の価値観では動く物はたいてい退屈で下品なものなので、物体は静止しているに越したことはないわけで、古今東西から集まった静物の数々をトロッコアドベンチャーみたいな車両に乗って眺めていくテーマパークが地獄川静物園だったのだ。

とはいえ、厳密に言えば人体にせよ工作物にせよ、細胞が生まれ変わったり諸成分が劣化していったりという意味では「動いちゃってる」。

だから、限りなく本当の静物になるためには、時間の流れそのものを停めなければいけなかった。さっきトロッコアドベンチャーみたいな車両と言ったのは実はタイムマシンで、ちょうど1秒単位の時間経過とぴったり同じ時間をさかのぼり続ける、つまりシーソーのつりあった相殺を果てしなく繰り返していく乗り物によって、入園と出園の時間が数値上はまったく一致している、というのが静物園の静物園たる(誇らしき)根拠だったのだ。

地獄川静物園が開園したのはもう50年近く前で、発起人はサソリと名乗る長身の男だった。

サソリは、隙あらば自分はジョルジョ・モランディを父に持ち、クロード・モネを母に持つのだと居丈高に話していたが、モランディとモネじゃ生まれ年が50年近く違うし、何より両方とも男性のはずだった。

どうやらモネの代表作である「日傘をさす女」がモネの自画像だったと勘違いしていたらしい。

とある来場者がそのことを指摘すると、サソリは顔を真っ赤にしながら、クロード・モネというのは聞き間違いで、自分は黒野モネ子という日本のアンビエント・ミュージシャンのことを言ったのだと取り繕った。

しかし黒野モネ子というミュージシャンの情報は、ちょっと検索した限りは存在しない。サソリは何かにつけてそんな調子で、やや誇大妄想癖があったものの、一応地獄川静物園はコアなファンに依存しつつ細々と経営していたはずだ。

悲しいニュースはトンビと一緒で、当たり前のような顔をして俺たちが大切にしているメロンパンを食い去っていく・・・・・・

霊界に住む友だちから閉園の知らせが届いたとき、「やっぱり、コロナウィルスで?」と返したのだけれど、それは違っていた。

なんてことない。できるだけ本質的な静止状態にとどまるためには、園そのものの存在を消し去るのが一番効率的だと思い至ったらしい。

でもその友だちは「シンプルに後継者が見つからないまま園長が死んだ説」とも言っていた。

「結局あいつはスノッブの域を出なかったんだよ。最近じゃあ園の管理をみんなバイトに任せて、自分はずっと近所のスーパーマーケットで子ども用のUFOキャッチャーをやってたんだぜ。カプセルの中に鍵が入っていて、カプセルの鍵で開いたロッカーの中の景品がもらえるアレだよ。あいつよっぽどSwitchが欲しかったと見えて、朝から晩までUFOキャッチャーの筐体にかじりついてたんだ。顔つきだけは重戦車に乗った新撰組みたいだったな。とんだドン・キホーテだよ、近所のガキどもからは『スーパーマン』って言われて馬鹿にされてたんだ。体臭がひどいもんで誰もちょっかいはかけなかったけどな」

ひとつだけ分かっているのは、皮肉なことに、人々の心の底で温められている記憶ほど、静止状態から遠いものも無いってことだ。おのおのにとっては動かざるべきスナップショットのつもりかもしれないが、いつの間にか当たり前に発酵して、セピア色になり、ぶつぶつといやな泡を吹きながら、本来あった姿とはかけ離れた「たわごと」に成れ果ててゆく。地獄川静物園はこれからアメーバ状に形を変えてプリズム的な光を放ち動き回るだろう。俺たちのなかで。

何が言いたいかというと、こうして書いている「いま」から数えて、およそ2985年近く前の話をしようとしているのだから、当時の彼ら「八心」に詳しい人がいたとして、俺の紹介に誤りを見つけたとしても、細部を穿つような物言いはしないでほしい。

6. "真眼" の 波震(パープル)

 波震は前にも話したように、滝壺のそばに捨てられていた俺を拾い上げ、酔狂で霊媒修行をさせた変わり者であり、恩人だ。

彼は額の真ん中、ちょうど2つの目と正三角形を為す位置に第三の眼を持っているが、めったなことでは開かない(厳密には薄目を開けている状態らしい)。

彼は抜群に勘が良いというか、極めて敏感なシックス・センスを備えている。言語化し切れない動物的な本能だ。前に話したように、未来予知の力がある折慈と、真眼を持つ波震がいて「拝命の儀」が成立するのだ。

波震が捨てられていた俺を拾い、他の子どもらと一緒に修行を受けさせたのも、そんな衝動的な勘にささやかれてのことだったらしい。

だから、俺が「拝命の儀」を通過したのは当たり前のことといえば、そうなのだ。

いつか語ることになるけれど、魔振と波震、この2人の諍いによって地獄川の歴史上もっとも血塗られた惨劇となる「坩堝ヶ池の変」が起きることになる。

その日(1月2日)は波震の命日で、いまだに無乱咲(むらさき)忌と呼ばれて、坩堝ヶ池まで線香をあげに来る霊媒師、陰陽師、イタコ、修験道士、風水師、サイキッカー、ゾンビ、魑魅、吸血鬼、ドラゴンナイト、アンドロイド、物の怪、文学少女などが後を絶たない。

7. "吟唱" の 哀堀(アイボリー)

当時、この世の霊魂の9割は、哀堀の歌を聞くことで鎮まっていたと言っても過言じゃない。

地獄川の山林区には「龍の斜塔」というねじれた灯台みたいな場所があって、1日のうち8時間ほど、哀堀は歌をうたって過ごす。

それは悪鬼や邪神たちを永遠の微睡みにつかせる子守唄なのだ。哀堀がいなかったら、どうして人間どもがこんなに平穏に過ごしてこれただろう?

また、哀堀は詩によって歴史を後世に伝える役目も担っていた。

霊坊、腐乱雲と肩を並べて、圧倒的な霊力を持っていたことは間違いない。

なお歌声は菊池桃子に似ていた。

8. "安楽" の 癒牢(イエロー)

癒牢はその通り名どおり、メンタルヘルスをケアする精神カウンセラーであると同時に、物理的な傷病を治癒するドクターでもあった。

とはいえ、彼の根本にあるのは天才的な呪力のコントロールと恵まれたタフネスだ。

つまり傷病の原因を根本的に取り除くのではなくて、患者からの呪いを自身に付与する形で、ひとまず擬似的な「呪い返し」をつくり、自分に降りかかってきた傷病を、呪力に昇華する形でどうにかこうにかやり過ごしている。

口だと簡単に聞こえるかもしれないが、常人に耐えられるわざではない。さまざまな霊媒師から肩代わりした傷や病気のせいで、癒牢の身体からはいつも血が滴り、腐臭がし、視力・味覚・嗅覚を失っているので召喚した式神に盲導してもらっていた。

彼が歩いた後は、しばらくのあいだ禍々しい瘴気によって地面が黄色く濁るのだが、それを見かけた人々は彼の大いなる慈愛に向かって必ず手を合わせ数秒祈るのであった。純然たる感謝と愛しみの情が、時おり蝶の姿になって癒牢の周りを舞っていた。

癒牢さん、あの「凍月の乱」が起きた夜、あなたに治してもらった傷跡は今も戒めのように俺の膝に残っています。ありがとう。


さて、八心の説明も終わったので、次からは「拝命の儀」の顛末と、地獄川の山林区で見られる奇妙なキノコについてお話ししたいと思います。

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