ダメ。ゼッタイ。
「災い転じて福となす」
歳を重ねてこそ大きなリアリティをもって実感出来る諺であり、これまでの多々の災いが起こらなかったとしたらの未来に少々不安を感じざるを得ない。
これまでの人生で順風満帆だったことなど一度もないが、それでも比較的平和で希望に満ちていた瞬間は幾度かは有る。そんな時に必ず「これは夢だ。こんなに上手く行く筈がない。」と心の中に細波が立ち始め、ほどなくして禍が起こる。それはもう見事なシンクロニシティであり我ながら予知能力の一つなのではないかと自惚れてしまうほど。
かくして、禍の過ぎ去った後には夏草が青々と生い茂る見晴らしの良い丘のような景色が心象に広がり、「ああ、またこれで暫くは驕り高ぶらず生きていける」と安堵する。
今年は災難・寛解のサイクルが非常に速く、ジェット機の尾翼にしがみついて飛んでいるような気分が続いているが、これもまたなかなか乙なものである。
「どっからでもかかっこいやー!」とファイティングポーズを取るも鮮やかに先制パンチを喰らってションボリしてしまうような情けない有り様ではあるけれど、太刀打ちできない相手にこてんぱんにやられるって救いようがなくてなんだか痺れる。
ダメなもんはダメ。
「ダメ。ゼッタイ。」キャンペーンとは訳が違う。ダメと禁止されると手を出したくなる思考回路とは格段に異なる。ダメだと思い知らされてそこを受け入れてより善き道を模索する。それこそが人間の尊厳というものではなかろうか。
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