見出し画像

戦争ゲーム

多分自分の感覚が変なんだろうなと自覚することは多々ある。

例えばいかにも涙を誘う哀愁感たっぷりの曲に感情移入してサメザメとした表情で歌詞をそのまま忠実に再現するような意味合いの踊りを恍惚と踊る人を観ているとここはヤクーツクかしら?と錯覚するぐらい気持ちが冷える。周りは?と見回してみると皆さんもれなくサメザメと泣いていらっしゃる。

あぁ、またか、とそこで我に返る。

そのまた真逆の現象も起きることがよくあって、本当に何気ない日常のワンシーンの描写で哀しさなど微塵も無いのに音楽のタイミングや色合いや役者の間などが絶妙に相まって涙腺を直撃するケースなどはまさにそれ。周りは誰も泣いていないのに一人で嗚咽を漏らしながら泣いているのだから奇妙この上ない。

そこでまた、あぁ、またか、と我に返る。

要は天の邪鬼、なワケだけどそう言い切りたくない自分がいる。情(じょう)と情感は明らかに正反対の概念や感覚であり、情に訴えようと企んで創られた作品にはピクリとも反応しないが様式美から漏れ出る情感には過剰なほど敏感に反応してしまうということなのだ。

そんな自分だが過去に二度ほど直接的な感情に任せて創った作品が存在する。数年ぶりに見返してみてケモノ度の高い直情的なダンスと独りよがりな構成・演出にグッタリとしてしまった。元々農耕民族であった我々日本人が騎馬狩猟民族の真似事をしたらそれはそれは滑稽になる。その滑稽さは演出の狙いの一つではあったが、何しろ憧れや勝手な推測に任せ力技で創った代物だからリュージュ競技並みに上滑りする誤った疾走感には感心すらする。

しかし、今の僕がどう感じようが当時の僕は精魂込めてこれを創ってた訳でそこに情熱を注いで下さった才能豊かなゲストの皆さんが居たからこそ成立した作品な訳なのでお蔵入りさせておくのも勿体無いから蔵出し公開することにした。

ダイジェスト版ではありますが宜しければご覧ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?